6月2日(土)より、オリオン書房ルミネ店において、「みる・つくる・あそぶBOOKフェア」が開催されます。 (さらに…)
2012年 のアーカイブ
M.B.ベルティーニ著/湯上良訳『アーカイブとは何か』が、「図書新聞」(2012年6月2日号/和田敦彦氏・評)にて紹介されました。
現 在:早稲田大学教員,博士(文学).
主要業績:
『ハイデッガーと思索の将来──哲学への〈寄与〉』(理想社,2006年,共編著).
『二一世紀への思想』(北樹出版,2001年,共著).
『〈対話〉に立つハイデッガー』(理想社,2000年,共著).
M.リーデル他著『ハイデッガーとニーチェ』(南窓社,1998年,共訳).
E.ケッテリング著『近さ──ハイデッガーの思惟』(理想社,1989年,共訳). 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序論
本論 ハイデッガーにおける「自己」の問題と「性起」
第一章 「自性」と「奥義」と性起(真理と性起)
第二章 「存在の亀裂」と性起
第三章 〈時間〉という謎──時間と性起
第四章 「存在」:「ある」ということをめぐる「格闘」
──存在と性起
第五章 言葉と性起
第六章 〈物〉という謎:根源的物性
──物と世界と性起
第七章 芸術の可能性
──芸術と性起
総括 ハイデッガーの「性起」とは何だったか?
──ハイデッガーにおける「自己」
展望 性起と思索の可能性
──〈自己〉の問題の新たな可能性へ
第一章 哲学と〈自己〉との一つの可能性
──ハイデッガーと西田哲学
第二章 〈自己〉の真相:〈自己〉の問題の新たな可能性へ
──〈自己〉という「事態」:〈自己する〉自己 ハイデッガーは、「性起」(Ereignis)について論じることにより、その思索の根底で「自己」と「他・世界」との問題について問うた。著者は、この「性起」を、「存在、時間、世界、物、真理、言葉、芸術、奥義、亀裂」等との関わりで論じるとともに、西田幾多郎「自己論」との比較をも通じて、哲学のみならず広く人間の抱える根本問題の一つとしての「〈自己〉とは何か」の問いに解答を試みる。
クロモジ(黒文字)
ハッカ(薄荷)
ユズ(柚子)
モミ(トド松)
セキショウ(石菖)
コハク(琥珀)
タチバナ(橘)
スギ(杉)
ショウノウ(樟脳)
ラベンダー
ヒバ(檜葉) 植物を蒸留し、その香りを精油として抽出する方法は古くから知られ、日常生活のさまざまな場面で活用されてきた。クロモジ、ハッカ、ユズ、セキショウ、ショウノウなど、日本の風土で育った植物から香料をつくりだす人びとの営みを現地に訪ねる。製法の実際と伝統技術の継承や発展の様子をたどりながら、香りが日本の産業や文化に果たしてきた役割を探る。
小菅信子・H.ドブソン編著『戦争と和解の日英関係史』が、「日本歴史」(2012年6月号/庄司潤一郎氏・評)にて紹介されました。
1939年、アメリカ、フィラデルフィア生まれ。イェール大学で学び、1979年、ベストセラーとなった『サリー・ヘミングス』で、アメリカの女流作家の手になる最高の小説に与えられるジャネット・ハイジンガー・カフカ賞を受賞。歴史小説『ヴァリデ―ハレムの物語』(1986年)、『ライオンの咆哮』(1989年)、『大統領の娘』(1994年)は、いずれも絶賛を浴び、広く翻訳されている。これらに次ぐ歴史小説である本書には、2005年、アメリカ図書館協会からブラック・コーカス賞(「ブラック・コーカス」は黒人の権利向上をめざすアメリカの民間団体)が贈られた。1988年には、詩集『クレオパトラのごとき裸婦の肖像』で、優れたアメリカの詩人に贈られるカール・サンドバーグ賞を受賞し、詩人としての評価も高い。数々の受賞作品がロワー・マンハッタンを飾る彫刻家としても知られる。1996年にはフランス文化省から芸術文化勲章を授与された。現在、アメリカのみならず、パリ、ローマでも活躍を続けている。 1958年生まれ。
京都大学大学院文学研究科西洋史学専攻博士課程単位修得退学。博士(文学)。
現在、甲南大学文学部教授。専門はイギリス近代史、帝国史。
主な著書に、『大英帝国はミュージック・ホールから』(朝日新聞社、1990年)、『女たちの大英帝国』(講談社現代新書、1998年)、『黒人王、白人王に謁見す』(山川出版社、2002年)、『植民地経験のゆくえ』(人文書院、2004年)、『大英帝国という経験』(講談社、2007年)、『イギリス文化史』(編著、昭和堂、2010年)、『アフリカと帝国』(共編著、晃洋書房、2011年)ほか。 1954年生まれ。
1976年、関西学院大学社会学部卒。
2000年より甲南大学文学部の聴講生となり、歴史文化学科、英語英米文学科の授業を中心に、監訳者の講義などを受講し、現在にいたる。 1956年生まれ。
1979年、関西学院大学文学部、教育心理学科卒。
2001年より甲南大学文学部の聴講生となり、歴史文化学科、英語英米文学科の授業を中心に、監訳者の講義などを受講し、現在にいたる。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 主人公覚書
第Ⅰ部 一八〇六年、南アフリカ、ケープタウン
第1章 きょうは、見世物興行(フリークショー)はない……
第2章 この物語を始めるなら……
第3章 翌日、私は村を離れ……
第4章 シーザー農園は谷あいにあった……
第5章 そのホッテントットのことを初めて聞いたのは……
第6章 私はエクセター号のデッキに立っていた……
第Ⅱ部 一八一〇年、イギリス、ロンドン
第7章 私はセンセーションを巻き起こした……
第8章 展示場所を見つけてきたのはヘンドリック様で……
第9章 私は入り口に掲げられた看板を見あげた……
第10章 ウェダバーン牧師は大法官法廷に訴えた……
第11章 私が裁判所に姿を現すと……
第12章 親愛なるカサンドラ……
第13章 裁判は私をいっそう有名にし……
第14章 では、これがいま私の四分の一を所有している男なんだわ……
第15章 夫はアフリカに帰ると約束していたが……
第Ⅲ部 一八一四年、フランス、パリ
第16章 拝啓、ジョルジュ・レオポルド・キュヴィエ男爵……
第17章 目がくらむようなまぶしい日差しは……
第18章 私は、ヴィーナスの視線が私に注がれているのを感じた……
第19章 最初、私は平気だった……
第20章 クール・ド・フォンテーヌに戻ると……
第21章 いつものように白人が勝った……
第22章 私は赤いグローブ皮を選んだ……
第23章 ティーダマン様が植物園を横切って……
第Ⅳ部 二〇〇二年、南アフリカ、ケープタウン
エピローグ
謝辞
解題 サラ・バートルマンは眠れない──ポストコロニアルにおける歴史小説の試み
19世紀初頭、南アフリカからロンドン、パリに連れてこられ、「ホッテントット・ヴィーナス」の呼び名で見世物にされたサラ・バールトマン。その死後は、医学のためと称して解剖され、パリの人類博物館に展示・保存された。当時、科学の名のもとに、黒人である彼女に向けられた偏見に満ちたまなざしとは? 本書は、実在したアフリカ女性を主人公にしたポストコロニアル文学の傑作。
。63年同大学院社会科学研究科経済学専攻修士課程修了。69年同博士課程単位取得、後に経済学博士。69年法政大学経済学部専任助手、70年同助教授、79年同教授、今日に至る。主要著書:『賃労働原論』日本評論社(72年)、『賃労働理論の根本問題』(73年)、『日本炭鉱賃労働史論』(76年)以上、時潮社、『賃労働政策の理論と歴史』(79年)、『日本の伝統的労資関係』(89年)、『日本の鉱夫』(98年)以上、世界書院、編著『レジャーと現代社会』法政大学出版局(99年)、その他。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク はしがき
第I部 日本の国立公園制定史
第1章 明治期における国立公園思想の萌芽
第2章 大正期における国立公園の思想と政策の形成
第3章 大正期における国立公園論争
第4章 国立公園法制定の準備過程
第5章 国立公園法の制定と法の問題点
第II部 主要な国立公園の成立過程
第1章 富士箱根国立公園──(1)富士山
第2章 富士箱根国立公園──(2)箱根
第3章 日光国立公園
第4章 中部山岳国立公園──(1)上高地・白馬
第5章 中部山岳国立公園──(2)立山・黒部
第6章 その他の国立公園──十和田国立公園と吉野熊野国立公園
注
索引(人名・事項)
あとがき 明治後期に芽生えた国立公園の思想、設置構想をめぐる論争を経て、昭和6年、国立公園法が成立。主要国立公園の設立経緯と問題を環境経済学的視点から考察する。
I 詩作営為──「ひそかな対決」の位相
II 放浪
1 詩人への道
2 「野宿」と「無銭宿」
3 「さまよえる琉球人」と「放浪三昧」
III 『思弁の苑』
1 処女詩集『思弁の苑』出版まで
2 逆倒の視点
3 郷愁の心理
4 「地球の詩人」
IV 『山之口貘詩集』──「暗い飛沫をふきとる手」
V 『鮪に鰯』
1 「きょうを見つめた」詩人
2 「救済」の詩篇・ミミコ
3 沖縄への郷愁
4 「天から降りて来た言葉」
VI 初期詩篇──「責め」から「嘆願」へ
VII 軌跡
付録 山之口貘著作掲載紙誌一覧
あとがき 未発表の初期詩篇から遺著『鮪に鰯』にいたる作品の軌跡を生活の軌跡と照らし合わせつつ、〈物への愛〉にみちた貘の詩的表現、その〈静かな感動〉の源泉を探る。
生き続けてほしい沖縄語
沖縄語は日本語か
II 沖縄の言語史
沖縄の言語史─序説の序説─
沖縄の言語教育史
沖縄方言形容詞の史的変遷
III 沖縄の言語
琉球方言について
奄美・沖縄の方言─標準語教育上の問題点─
『おもろさうし』の仮名遣いと表記法
おもろ語研究に関する若干の問題─『おもろさうし全釈』を読んで─
按司の語源
オモロの原意
「若くなる」思想─正月の挨拶ことば─
戦後沖縄における外来語
IV 付録
琉球方言研究文献・資料目録
沖縄言語・文芸史年表
あとがき
初出発表誌紙一覧 日本祖語を基層に持ちつつ琉球方言はいかに変化してきたか。古代から現代に至るその変遷を辿りつつ、沖縄の社会的変動をあとづける。付/文献目録・年表54頁。
第1章 『菊と刀』にみる「日本文化」──ルース・ベネディクトの視点 (星野 勉)
1 『菊と刀』の研究姿勢と方法論
2 「日本をして日本人の国たらしめているもの」
3 恥の文化
第2章 150年前に日本に来たフランス人 (相良匡俊)
1 東アジア情勢とフランス
2 交通と情報
3 日本に来たフランス人
4 フランス人の体験
第3章 モーツァルトと日本──『魔笛』における「日本の狩衣」 (ヨーゼフ・クライナー)
『魔笛』におけるタミーノの「日本の狩衣」
1 モーツァルトの日本についての情報
2 ヨーロッパにおける着物
3 東インド会社の役人とモーツァルト
第4章 日本の妖怪とアジアの妖怪 (横山泰子)
1 オバケが文化を超える可能性
2 中国の「飛頭蛮」から日本の「ろくろ首」へ
3 十返舎一九のろくろ首
4 ラフカディオ・ハーンのろくろ首から現代へ
第5章 東アジア文化の交差点としての日本文化 (川村 湊)
1 『喪失の時代』と『ノルウェイの森』
2 『桃太郎』から『もののけ姫』へ
3 “波濤を越える”アクション映画
第6章 現代中国における一つの日本観 (王 敏)
1 近代西洋の衝撃に対する日中の違い
2 日本に体系的に学ぶ
3 日本文化イン中国
4 二重性の日本観
第7章 欧米人の能楽発見 (西野春雄)
1 能とは何か
2 欧米人による能・狂言への関心
3 欧米人の能楽発見
4 フリードリヒ・ペルツィンスキーの能面研究
5 欧米人からのメッセージ
6 再び欧米人の能楽発見
7 能の根底を貫くものを求めて
第8章 二人のノーベル賞作家──川端康成と大江健三郎 (勝又 浩) 「美しい日本の私」を語った川端康成も、「あいまいな日本の私」でそれを否定した大江健三郎も、自国へのこだわりから自由ではなかった。本書は、日本文化論の古典『菊と刀』から、幕末・明治以来のフランス人や中国人の日本観、欧米人による能楽研究等、外からの眼差しを検討しつつ、映画やアニメ、ゲーム等に見られる国家の枠組みを超えた越境現象を通して〈日本文化〉の相対化をめざす。
凡例
十八世紀社会主義
まえがき
第一章 十八世紀社会主義
I 原因
II 主な性格
III 全体のスケッチ
第二章 十八世紀前半の社会主義
I 小説──ユートピア、『テレマックの冒険』
II 演劇
III 善良な未開人──グードヴィルとイエズス会の宣教師
IV 理論家
V サン=ピエール師
第三章 十八世紀前半の社会主義(つづき)
I メリエ
II モンテスキュー
III ダルジャンソン侯爵
第四章 モレリ
I 『バジリアード』
II 『自然の法典』
第五章 ルソー──その社会批判
I 人と作家
II 自然状態
III 所有権と不平等の起源
第六章 ルソー──その改革案
I モデル
II 所有権と国家
III 『政治経済論』
IV コルシカ、ポーランド等のための案
V 『新エロイーズ』の経済
第七章 ルソーの弟子たち
I レーナル
II メルシエ
III レティフ・ド・ラ・ブルトンヌ
第八章 マブリ
I 社会批判
II 改革プラン
第九章 百科全書派と哲学者(フイロゾーラ)
I ヴォルテール
II 百科全書派、ディドロ
III ダランベールとフリードリヒ大王
IV エルヴェシウス
V ドルバック
VI 哲学者──マルモンテル、シャトリュ、コンドルセ、サン=ランベール、コンディヤック
第十章 重農学派(エコノミスト)とのそ論敵
I 重農学派
II ランゲ
III ネッケル
IV 重農学派の群小の敵
V グラスランと累進税
第十一章 十八世紀における社会主義と博愛主義
I 組合プラン
II 共同体の計画
III 貧者の権利と国家の義務
IV キリスト教の説教者に見る社会主義
V 徴利の問題
第十二章 社会主義と文学
I 自然状態と善良な未開人
II 歴史
III 小説と演劇
IV 茶化した批判
第十三章 社会主義と文学(つづき)
I 所有の理論
II 社会批判
III 奢侈の問題
IV フリーメーソン、見神家、ドン・デシャン
第十四章 社会主義と刑事法規の改正問題
I ブリッソ・ド・ヴァルヴィル
II その競争者
第十五章 革命直前の文献に見る社会主義
I 穏健派
II 急進派
むすび
〈補論〉ユートピア社会主義
付属資料
訳註
人名解説
年表
訳者あとがき
補足文献
索引(人名・書名・事項・研究文献) 平等思想、奢侈批判、財産否定論、博愛主義など、近代社会主義の先行的表現を、フランス大革命前の作品群から蒐集し考察した〈十八世紀思想史〉の辞書的基本文献。
P.ティリッヒ著/清水正・濱崎雅孝訳『諸学の体系』が、「図書新聞」(2012年5月19日号/村上忠男氏・評)にて紹介されました。
高橋雄造著『ラジオの歴史』が、「アステイオン」(76号、2012年5月発行/渡辺裕氏・評)にて紹介されました。
S.ヴェイユ著/今村純子訳『前キリスト教的直観』が、「比較思想研究」(第38号、2012年3月31日発行/寺田ひろ子氏・評)にて紹介されました。
主な著書に、『ケアの社会学─臨床現場との対話』(勁草書房、2004年)、『看護とケア─心揺り動かされる仕事とは』(角川学芸出版、2010年)、『ケアとサポートの社会学』(共編著、法政大学出版局、2007年)。 1962年生まれ。現在、法政大学社会学部教授。
主な著訳書に、『村上春樹と物語の条件』(青弓社、2009年)、『ケアとサポートの社会学』(共編著、法政大学出版局、2007年)、A. W. フランク著『傷ついた物語の語り手─身体・病い・倫理』(ゆみる出版、2002年)。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク はじめに (鈴木 智之)
第1章 〈場〉の力──ケア行為という発想を超えて(三井 さよ)
一 〈場〉という発想
二 〈場〉がなしうること
三 〈場〉の力を育む工夫や仕組み
四 ケア行為という発想の限界
五 〈場〉にケア提供者はどう働きかけるのか
六 ケア行為という発想を超えて
第2章 名付けられぬものとしての「介助」── 障害の親をもつ子どものリアリティ(土屋 葉)
一 子どもは介助に「慣れて」いるのか?
二 子どもが行なう「あたりまえの行為」
三 有償の介助者として働くことと、その葛藤
四 子どもにとって「介助」とは
第3章 アイデンティティを保ち作るケア──若年認知症の人の新しい社会関係と自己への移行をめぐって(井口 高志)
一 「その人らしさ」を保ち作ろうとする家族と本人
二 デイサービスAに集う人々の語り
三 本人のアイデンティティを保ち作る
四 家族によるアイデンティティの維持から見えてくること
第4章 受ける側からみる「介護」──ホームヘルプサービスを利用する高齢者の語りから(齋藤 曉子)
一 「介護」の多様化と受ける側の意識
二 インタビュー調査の概要
三 「介護」を受けることの認識
四 「介護」に何を求めるのか?──「仕事」と「会話」の狭間で
五 家族や近隣の人による「介護」
六 受ける側にとっての「介護」
第5章 遠距離介護と同居問題──「なぜ?」はどのように語られるのか(中川 敦)
一 遠距離介護の社会学に向けて
二 家族介護研究における「なぜ?」
三 なぜUターン同居をしないのか?
四 なぜ呼び寄せ同居をしないのか?
五 遠距離介護のリアリティ
第6章 悲しむ主体としての看護師──遺族ケアの手前で考えるべきこと(鷹田 佳典)
一 医療従事者による「遺族ケア」の前提を問いなおす
二 患者の死を経験する
三 遺族との関わりの継続とその困難
四 悼む過程をともに
第7章 未決の問いとしてのがん告知──その後を生きる患者の語りから(田代 志門)
一 病院から在宅へ
二 日本におけるがん告知
三 在宅がん患者の告知体験の語り
四 告知後のケアを考える
五 「個人誌の断絶」を生きる困難
第8章 死にゆこうとする身体のために──応答としてのケアとその臨界(鈴木 智之)
一 呼びかけに応えるということ
二 父の最後の二日間について
三 そこに「人がいる/いない」ということ
四 剥き出しの身体
五 その身体の傍らに居続けるために
あとがき
人名・事項索引
執筆者紹介 〈ケア〉と呼ばれるなかには、看護、介護、介助、支援、援助、サポートなど、複数の選択肢が含まれている。こうしてケアは、その内部ではさまざまな分割線によって切り分けられると同時に、その外部に対する多層的な境界線によって区分されている。本書は、さまざまな現場でなされているケアの営みから、そこに生じる諸問題を検証しつつ、ケアのもつリアリティと可能性を探究する。 [執筆者紹介](執筆順)
鈴木 智之(スズキ トモユキ)[はじめに、第8章]*編者
三井 さよ(ミツイ サヨ)[第1章]*編者
土屋 葉(ツチヤ ヨウ)[第2章]
1973年生まれ。現在、愛知大学文学部准教授。
主な論文に、「『障害者』と『非障害者』を隔てるもの」好井裕明編『差別と排除の社会学』(有斐閣、2009年)43-163頁、「『真実の感動物語』を読み解く」倉本智明編著『手招くフリーク』(生活書院、2010年)18-43頁、「『ふつうの家族』の物語─身体障害をもつ親のもとで育った子どもの語りから」『愛知大学文学論叢』142号(2010年)、117-134頁。
井口 高志(イグチ タカシ)[第3章]
1975年生まれ。現在、奈良女子大学生活環境学部准教授。
主な著書・論文に、『認知症家族介護を生きる─新しい認知症ケア時代の臨床社会学』(東信堂、2007年)、「新しい認知症ケア時代のケア労働─全体的にかつ限定的に」仁平典宏・山下順子編『労働再審 第5巻 ケア・協働・アンペイドワーク─揺らぐ「労働」の輪郭』(大月書店、2011年)、「医療の論理が認知症ケアにもたらすもの─あるデイサービスの試みを事例にした探索的研究」『福祉社会学研究』9号(2012年5月掲載)。
齋藤 曉子(サイトウ アキコ)[第4章]
1975年生まれ。現在、日本学術振興会特別研究員(RPD)。
主な論文に、「発展途上国におけるケア・ダイアモンド─ UNRISD の6カ国調査から」『海外社会保障研究』170号(2010年)、20-30頁、「高齢者のニーズ生成のプロセス─介護保険サービス利用者の語りから」上野千鶴子・中西正司編『ニーズ中心の福祉社会へ』(医学書院、2008年)70-90頁、「高齢者・家族・サービス提供者の相互関係分析─夫婦間介護におけるサービス〈受容〉のプロセス」『社会政策研究』第7号(2007年)、176-196頁。
中川 敦(ナカガワ アツシ)[第5章]
1976年生まれ。現在、島根県立大学総合政策学部講師。
主な論文に、「『愛の労働』としての『遠距離介護』─母親が要介護状態にある老親夫婦への通いの事例から」『家族研究年報』33号(2008年)、75-87頁、「実の娘による『遠距離介護』経験と《罪悪感》─男きょうだいの有無による老親介護責任配分の位相」三井さよ・鈴木智之編『ケアとサポートの社会学』(法政大学出版局、2007年)37-71頁、「実の娘による『遠距離介護』経験ときょうだい関係─なぜ男きょうだいを持つ娘が通うのか」『家族研究年報』31号(2006年)、42-55頁。
鷹田 佳典(タカタ ヨシノリ)[第6章]
1975年生まれ。現在、早稲田大学人間科学学術院助手。
主な著書・論文に、『小児がんを生きる─親が子どもの病いを生きる経験の軌跡』(ゆみる出版、2012年)、「故人との絆はいかにして継続されるのか」『年報社会学論集』19号(2006年)、177-188頁、「病いをめぐる不確かさとその軌跡─小児がんの子どもを持つ親を事例として」『ソシオロジ』55巻3号(2011年)、85-101頁。
田代 志門(タシロ シモン)[第7章]
1976年生まれ。現在、昭和大学研究推進室講師。
主な著書・論文に、『研究倫理とは何か─臨床医学研究と生命倫理』(勁草書房、2011年)、「死の臨床における世代継承性の問題─ある在宅がん患者のライフストーリー」桜井厚・山田富秋・藤井泰編『過去を忘れない─語り継ぐ経験の社会学』(せりか書房、2008年)、「『看取り』を支える市民活動─ホスピスボランティアの現場から」清水哲郎編『高齢社会を生きる─老いる人/看取るシステム』(東信堂、2007年)。
平野恵著『温室』が、「地方史研究」(356、第62巻第2号、2012年4月/秋山伸一氏・評)にて紹介されました。
藤原帰一・永野善子編著『アメリカの影のもとで』が、「アジア研究」(第58巻第1・2号、2012年4月/日下渉氏・評)にて紹介されました。
主な著書に、『組織の存立構造論と両義性論』(単著、東信堂、2010年)、『環境総合年表』(共編、すいれん舎、2010年)、『社会学をいかに学ぶか』(単著、弘文堂、2012年近刊)。 1947年生まれ。現在、法政大学社会学部教授
主な著訳書に、『批判的理性の社会哲学』(単著、法政大学出版局、1996年)、「3・11後の責任倫理を問う」『環境思想・教育研究』第5号(2011年)、N.ボルツ/A.ミュンケル編『人間とは何か』(単独訳、法政大学出版局、2010年)。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク はじめに
第Ⅰ部 基礎理論的考察
第1章 社会制御過程における道理性と合理性の探究
(舩橋晴俊)
1 社会制御過程把握の社会学的枠組み
2 社会制御過程における規範理論的問題
3 勢力関係モデルとその理性化
4 課題としての公共圏の豊富化
5 おわりに2
第2章 リベラル・デモクラシーの危機と刷新
熟議は制度化できるか(クラウス・オッフェ/鈴木宗徳訳)
1 リベラル・デモクラシーの四つの長所
2 リベラル・デモクラシーの特徴
3 民主主義の失敗という診断と民主主義の刷新の必要性
4 二つの治療法
第3章 規範理論、討議民主主義的政治、アソシエーション(壽福眞美)
1 規範理論としての討議民主主義──参加・平等と普遍化可能性原理
2 討議民主主義的政治
3 自治体討議型国民投票(平等直接参加)
4 アソシエーションの挑戦──討議民主主義的社会・経済の可能性
第4章 公共性と熟議民主主義を分離・再接続する──「ミニ・パブリックス」の可能性(鈴木宗徳)
1 問題提起
2 参加の不足と熟議の不足
3 情念・理性・選好──熟議とは何か
4 代表制としての熟議
5 公共圏と熟議の再接続
6 おわりに
第5章 正義の作動と共同性──公共圏と「範囲」をめぐる理論的考察(斎藤友里子)
1 公共圏と関与の欲望
2 「他者の不快」と正義の範囲
3 「不正義」の同定・解消と共同性
4 理念・ルールと正義の実践
5 公共圏と正義の実践
第6章 経済学における個人の合理性と公共性(川俣雅弘)
1 社会的規範と制度設計
2 アダム・スミスのテーゼと市場メカニズムの限界
3 社会的選択ルール
4 メカニズム・デザイン理論の展開
5 公共性を共有する社会の形成に向けて
第Ⅱ部 社会問題解決過程の分析
第7章 不正義の感覚にもとづく問責‐答責関係の形成──規範概念としての「社会」の構想(大門信也)
1 「社会的なるもの」への批判と擁護
2 対立・葛藤・緊張を包含する複数的な「社会」の可能性
3 不正義と責任実践──「社会」の備えるべき規範的特性として
4 戦後日本における「社会」の醸成──公/私境界と「社会的なるもの」
5 おわりに
第8章 硬直化する規範とその再流動化──ジンメルとハーバーマスの思想を中心に(奥谷雄一)
1 なぜ「革命」は起こりづらいのか
2 近代社会における人々の行動原理──テンニースのゲゼルシャフト論
3 諸個人の価値判断および道徳的判断を規定する社会的規準
4 背景知そのものをテーマ化する「了解志向的行為者」
5 終わりなき「革命」
第9章 市民による公共的意見形成過程──まちづくりの会話分析をとおして(島田昭仁)
1 都市計画における市民の公共的意見形成過程への視座
2 まちづくりと会話分析
3 まちづくり会議の会話分析手法
4 分析事例
5 おわりに
第10章 自治体財政と公共圏形成の不十分性──夕張市財政破綻の財政社会学的分析(湯浅陽一)
1 問題の背景と本章の関心
2 本章の分析枠組みと先行研
3 旧産炭地自治体の財政を取り巻く環境
4 夕張市の財政破綻と公共圏
5 おわりに
人名・事項索引
執筆者紹介 高齢化・少子化、過疎化した地域、子どもの人権と教育、グローバル化の下での生活の安全、巨額の財政赤字や社会保障、メディアの多様化など、多くの社会問題・政策課題が突きつけられている。本書は、あらゆる人びとにとって「望ましい社会」を実現するための合意形成と、そのために必要な公開討議の場をいかに創出し、諸問題を克服していくのかを、理論と解決過程の両側面から考察する。 [執筆者紹介]
舩橋 晴俊(フナバシ ハルトシ)[はじめに、第1章]*編者
壽福 眞美(ジュフク マサミ)[はじめに、第3章]*編者
クラウス・オッフェ(Claus Offe)[第2章]
1940年ベルリン生まれ。現在、ヘルティ・スクール・オブ・ガヴァナンス(Hertie School of Governance)教授、フンボルト大学名誉教授
デモクラシーに関する代表的な著書に、Herausforderungen der Demokratie. Zur Integrations‐ und Leistungsfahigkeit politischer Institutionen(Frankfurt am Main: Campus Verlag, 2003)、邦訳に『後期資本制社会システム』(壽福眞美編訳、法政大学出版局、1988年)、『アメリカの省察』(野口雅弘訳、法政大学出版局、2009年)。
鈴木 宗徳(スズキ ムネノリ)[第4章]
1968年生まれ。現在、法政大学社会学部准教授
主な著書に、『哲学から未来をひらく① 21世紀への透視図』(共編、青木書店、2009年)、『リスク化する日本社会』(共編、岩波書店、2011年)、Munenori Suzuki et al., “Individualizing Japan: Searching for its Origin in First Modernity,”””” British Journal of Sociology, Vol. 61, No. 3(2010), pp. 513-538。
斎藤 友里子(サイトウ ユリコ)[第5章]
1961年生まれ。現在、法政大学社会学部教授
主な著書に、『現代の階層社会第3巻 流動化の中の社会意識』(共編著、東京大学出版会、2011年)、「〈公平〉の論理」土場学・盛山和夫編著『正義の論理』(勁草書房、2006年)、101-126頁、「『より良い社会』をめぐる問い」盛山和夫ほか編著『日本の社会階層とそのメカニズム』(白桃書房、2011年)、225-254頁。
川俣 雅弘(カワマタ マサヒロ)[第6章]
1958年生まれ。現在、慶應義塾大学経済学部教授
主な論文に、「20世紀の経済学における序数主義の興隆と衰退」『経済学史研究』第47巻(2005年12月)、108-124頁、“The Negishi Method in the History of General Equilibrium Theory,”””” in A. Ikeo and H. D. Kurz, eds., A History of Economic Theory: Essays in Honour of Takashi Negishi(Routledge 2009), Chap 7, pp. 120-136, “The Authorship of the Marginal Productivity Theory in `the Old Quarrel’,”””” Keio Economic Studies, Vol. 46(2010), pp. 43-59。
大門 信也(ダイモン シンヤ)[第7章]
1976年生まれ。現在、関西大学社会学部助教
主な著訳書に、「震災復興のための再生可能エネルギー事業のあり方を考える」『政經研究』97号(2011年12月)、「責任実践としての近隣騒音問題」『環境社会学研究』第14号(2008年11月)、ダニエル・アルドリッチ著『誰が負を引きうけるのか』(共訳、世界思想社、2012年)
奥谷 雄一(オクタニ ユウイチ)[第8章]
1979年生まれ。現在、法政大学大学院社会学研究科社会学専攻博士後期課程
主な論文に、「カント〈永遠平和論〉とその再構築をめぐる問題について」『法政大学大学院紀要』第59号(2007年)。
島田 昭仁(シマダ アキヒト)[第9章]
1965年生まれ。現在、東京大学大学院工学系研究科後期博士課程
主な論文に、「まちづくり運動の連帯における共同態の発見とその応用可能性」日本都市計画学会『都市計画論文集』No. 42-3(2007年)、「会話分析を用いた参加プロセスのモニタリング手法」日本建築学会『建築学会学術講演会梗概集:都市計画』(2011年)、「汎用テキストマイニングソフトを使った会話分析手法」電子情報通信学会『東京支部学生会研究発表会第17回講演論文集』(2012年3月)。
湯浅 陽一(ユアサ ヨウイチ)[第10章]
1972年生まれ。現在、関東学院大学文学部現代社会学科准教授
主な著訳書に、『政策公共圏と負担の社会学』(単著、新評論、2005年)、「循環型社会の形成と環境社会学」『環境社会学研究』第17号(2011年11月)、5-18頁、ダニエル・アルドリッチ著『誰が負を引きうけるのか』(監訳、世界思想社、2012年)。