権赫泰著/鄭栄桓訳『平和なき「平和主義」』が、「出版ニュース」(2016年10月上旬号)にて紹介されました。
2016年 のアーカイブ
対馬美千子著『ハンナ・アーレント』が、「REPRE」(表象文化論学会サイト)(2016年11月28号/串田純一氏・評)にて紹介されました。
木下千花著『溝口健二論』が、「REPRE」(表象文化論学会サイト)(2016年11月号/後河大貴氏・評)にて紹介されました。
木下千花著『溝口健二論』が、「シナリオ」(2016年11月号/後河大貴氏・評)にて紹介されました。
白永瑞著/趙慶喜監訳/中島隆博解説『共生への道と核心現場』が、「出版ニュース」(2016年9月下旬号)にて紹介されました。
前田和美著『豆』が、「豆類時報」(2016年3月号 No.82/後沢昭範氏・評)にて紹介されました。
レオ・シュトラウス著/石崎嘉彦、飯島昇藏、小高康照、近藤和貴、佐々木潤訳『都市と人間』が、「社会思想史研究」(2016年 No.40/稲村一隆氏・評)にて紹介されました。
中央大学文学部日本史学専攻兼任講師を経て,現在は日本大学商学部准教授。
主要著作に『洋服・散髪・脱刀―服制の明治維新―』(講談社選書メチエ,2010年)。『明治国家の服制と華族』(吉川弘文館,2012年)日本風俗史学会第27回江馬賞受賞。『京都に残った公家たち―華族の近代―』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー,2014年)。『三条実美―孤独の宰相とその一族―』(吉川弘文館,2016年)などがある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序章 大礼服には権威と魅力があるのか
一 本書の目的と分析視角
二 先行研究とその問題点
三 本書の構成
第一章 近代洋式大礼服制の創出
一 岩倉使節団と洋式大礼服
二 洋式大礼服の制定
三 大礼服制に対する批判と服装観
第二章 文官大礼服の権威創出
一 大礼服と小礼服
二 文官大礼服の系譜
三 有爵者大礼服の制定と華族
四 文官大礼服の改正
五 大礼服と洋服店
第三章 宮内省と大礼服制
一 宮内官大礼服制の制定と整備
二 宮中席次と勲章
三 宮内官制服令の制定
第四章 官僚と代議士の服装観
一 帝国議会の開院式と大礼服制
二 官僚たちの和服と洋服
三 官僚と代議士の大礼服姿
四 羽織袴の公認を要求する判任官
第五章 大喪および国葬と喪服
一 国葬と大礼服制
二 英照皇太后の大喪と喪服
三 皇室喪服規程の制定過程
四 明治天皇の大喪と喪服
第六章 大正時代の服装の簡略化
一 大正大礼と大礼服制
二 帝国議会の服装の簡略化
三 大礼服制と華族
四 宮内省服制の簡略化
五 矛盾する大礼服の権威
第七章 昭和戦前期の大礼服制の改正と限界
一 宮内官制服令の改正
二 非役有位大礼服の廃止案
三 宮中諸行事の服装の簡略化
四 知られざる文官大礼服改正案
五 大礼服の権威と魅力
第八章 戦時下の礼服
一 大礼服制の停止
二 国民服と礼服
三 太平洋戦争と礼服
第九章 現代に残る礼服
一 大礼服制の終焉
二 官民礼服の近接
三 栄光の行方──骨董市と博物館
終章 帝国日本の大礼服
あとがき
索引 明治5年(1872)、服制で国家の礼服が定められた。これを大礼服といい、昭和29年(1954)に法的根拠を失うまで、80年間利用された。従来の衣冠束帯から西洋に遅れまいと洋式礼服になったことで、高価な調製費や仕立屋の問題が起こる。皇族や官僚、有爵者らの着る絢爛豪華な大礼服は、勲章や宮中席次とともに権威の象徴であった。目立つために微妙にデザインを変えたり、安い古着を探し回るといった挿話も紹介。
著書に『新版 鋳造工学』『濡れ,その基礎とものづくりへの応用』(いずれも産業図書),『結晶成長と凝固』(アグネ承風社),『凝固工学』(アグネ),『状態図と組織』(八千代出版),共著に『材料プロセス工学』(朝倉書店),編著に『新版 鋳鉄の材質─鋳物技術者と機械設計技術者のための』(日本鋳造工学会)など。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 1 はじめに
2 鉄砲伝来から大砲まで
一 鉄砲伝来
二 火縄銃から大筒(大砲)へ
三 わが国における歴史上の代表的大砲
3 わが国を取り巻く世界の情勢と大砲
一 ペリー来航まで
二 近代化への第一歩
4 溶解炉の変遷──甑から反射炉へ
一 タタラとこしき──鑪と踏鞴、甑と鞴
二 甑から反射炉へ
三 青銅砲から鋳鉄砲へ
5 反射炉による鋳鉄砲の製造
一 反射炉の位置づけ
二 荷下鉄
三 反射炉と甑による鋳鉄溶解
四 和銑の甑での溶解
五 実証実験
6 わが国の鉄──幕末の銑鉄と鋼
一 タタラから高炉へ
二 銑鉄、鋳鉄と鋼
三 高炉の建設
7 幕末から明治の製鉄所・造船所・軍工廠
一 幕末の製鉄所と鋳造所、造船所
二 浦賀造船所
三 横須賀製鉄所と横浜製鉄所
四 東京砲兵工廠
五 赤羽工作分局
六 大阪砲兵工廠
七 大阪砲兵工廠の鋳鉄砲
八 大阪砲兵工廠での水道用鋳鉄管と自動車エンジンの鋳造
九 呉海軍工廠
8 明治の製鉄─釜石から八幡へ
一 幕末から明治へ
二 釜石製鉄所の誕生
三 官営八幡製鉄所の誕生
9 江戸時代以前に設立された鋳鉄鋳物工場
一 鋳物の歴史
二 石川島造船所(現在のIHIと、いすゞ自動車、日野自動車)
三 長崎熔鐡所(現在の三菱重工、三菱造船)
10 明治時代に設立された鋳物工場
一 池貝鉄工所
二 クボタ
三 新潟鉄工所
四 住友金属工業
五 日本製鋼所
六 日立金属
七 日立製作所
八 豊田自動織機
九 コマツ
11 おわりに
あとがき
索 引 近代日本史の扉は、黒船の大砲によって開かれた。西洋列強に軍事的に対抗すべく、富国強兵を旗印に推し進められた明治の産業革命は、大砲製造を含む金属鋳造・加工技術の急速な発展の歴史でもある。幕末以降官民挙げて操業に着手し、草創期の数多くの日本企業が参与したにもかかわらず、敗戦をへてやがて忘れられた軍事技術の歴史を、鋳造工学研究の第一人者がひもとく異色の書。図版多数。 『大砲からみた幕末・明治』正誤表PDF
「正誤表」について。本書の刊行後、いくつかの誤表記または事実誤認の箇所を確認いたしました。いずれも編集部の不注意の結果であり、ご迷惑をおかけしました関係各位、読者の皆さまに心よりお詫びを申し上げます(2016年10月27日)。
1930–2004年。アルジェリア生まれ。パリの高等師範学校で哲学を専攻。同校の哲学教授を経て、社会科学高等研究院教授。1983年に設立された国際哲学コレージュでは初代議長を務めた。著書に、『エクリチュールと差異』、『散種』、『絵画における真理』、『法の力』、『他者の言語:デリダの日本講演』、『アーカイヴの病:フロイトの印象』、『シニェポンジュ』、『哲学の余白』、『有限責任会社』、『ユリシーズ グラモフォン:ジョイスに寄せるふたこと』(以上、法政大学出版局)、『アポリア:死す「真理の諸限界」を[で/相]待‒期する』(人文書院)、『他の岬:ヨーロッパと民主主義』、『生きることを学ぶ、終に』(以上、みすず書房)、『ポジシオン』(青土社)、『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』(筑摩書房)などがある。 1935–1989年。東京生まれ。学習院大学文学部教授。国際哲学コレージュでは連絡会員を務め、デリダはその死を悼み、著書『アポリア』を捧げた。著書に、『余白とその余白または幹のない接木』(小沢書店、1974)、『砂の顔』(小沢書店、1975)、『他者と[しての]忘却:メタフォール メタモルフォーズ』(筑摩書房、1986)、『文手箱』(書肆 風の薔薇、1986)、『ファミリー・ロマンス:テクスト・コンテクスト・プレ(–)テクスト』(小沢書店、1988)などがあり、訳書に、個人訳『ロートレアモン伯爵 イジドール・デュカス全集』(白水社、1989)、ブランショ『最後の人/期待 忘却』(白水社、1971)、フーコー『レーモン・ルーセル』(法政大学出版局、1975)、ドゥルーズ=ガタリ『千のプラトー:資本主義と分裂症』(共訳、河出文庫、2010)、ル・クレジオ『物質的恍惚』(岩波文庫、2010)などがある。 1960年東京生まれ。早稲田大学法学学術院教授。詩人。著書に『脱構築』(岩波書店、1990)、『存在と灰:ツェラン、そしてデリダ以降』(人文書院、2004)、『法』(岩波書店、2005)、『終わりなきパッション:デリダ、ブランショ、ドゥルーズ』(未來社、2012)、詩集に『守中高明詩集』(思潮社、現代詩文庫、1999)、『系族』(同、2009)などがあり、訳書に、デリダ『シボレート:パウル・ツェランのために』(共訳、岩波書店、1990)、『たった一つの、私のものではない言葉:他者の単一言語使用』(岩波書店、2001)、『コーラ:プラトンの場』(未來社、2004)、『精神分析の抵抗』(共訳、青土社、2007)、『赦すこと:赦し得ぬものと時効にかかり得ぬもの』(未來社、2015)、ブランショ『他処からやって来た声:デ・フォレ、シャール、ツェラン、フーコー』(以文社、2013年)などがある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 目次
1 誘惑としてのエクリチュール──絵葉書、翻訳、哲学
2 哲学とパフォーマティヴ
解説 哲学・翻訳・パフォーマティヴ──Living on borderlines.
監修者あとがき デリダが最も信頼する相手と語り合い、難解で知られるその哲学について、講義や講演でも見せることがない率直な語り口でデリダ自身が明らかにし、豊崎光一が《翻訳》で応答する。アルジェリア生まれのユダヤ人としての来歴、言語との関係、自身の哲学のさまざまな概念、ハイデガー、ブランショ、レヴィナス、セール、フーコー、ドゥルーズらとの関係までを語る。現代の知の核心を開く対話による共著。世界初の書籍化。
第一部 フッサールとハイデガーへの回帰/からの出発
第一章 真理のための呼び名
【ディディエ・フランク】
第二章 フッサールとフィンクにおける世界の必然性と偶然性
【池田裕輔】
第三章 数学の現象学──理念性と歴史性
【ドミニク・プラデル】
第四章 「全体的時間」の概念を哲学のなかで維持するための試み
【ヴァンサン・ジロー】
第二部 物語と文学の現象学に向けて
第五章 「語る」とは何をすることか──リクールのミメーシス論再考
【杉村靖彦】
第六章 テクストの世界と生の世界 矛盾する二つのパラダイム?
──ポール・リクールと〈読むこと〉の現象学
【ミカエル・フェッセル】
第七章 知覚的経験における両義的なものと注意
──メルロ=ポンティにおけるプルーストの現象学的読解について
【落合 芳】
第三部 生の問題をめぐって──アンリ/デリダ/レヴィナスと現象学
第八章 アンリの超越理解とサルトルの影
【服部敬弘】
第九章 いまだかつて見た者なき神
【エマニュエル・カタン】
第十章 内在の内の非内在的なもの
──出会い損なったアンリとデリダの遅ればせの対話?
【米虫正巳】
第十一章 生き残る者の有罪性としての倫理
【フランソワ=ダヴィッド・セバー】
あとがき
人名索引 フッサールとハイデガーを批判的に受け継いだフランスの哲学者たち──レヴィナス、サルトル、メルロ=ポンティ、リクール、アンリ、デリダほか──がおのおのの仕方で展開した現象学的探究の帰趨を見つめ、この越境する運動がいまなおもたらし続ける思考の可能性をひらく。D.フランク、F.-D.セバーをはじめ、日仏の有力研究者が共同でおこなったプロジェクトの成果を示す本格論集。 ディディエ・フランク(Didier Franck)
1947年生まれ。高等師範学校講師、トゥール大学教授、パリ第十大学ナンテール校教授を務め、現在はパリ西大学名誉教授。近年は同志社大学客員教授、日本学術振興会外国人招聘研究者、関西学院大学客員教授として来日。著書に『現象学を超えて』『ハイデッガーとキリスト教』(萌書房)、『他者のための一者』(法政大学出版局)ほか。
池田裕輔(いけだ・ゆうすけ)
1983年生まれ。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(立命館大学)。日本学術振興会特別研究員(PD)。専門は現象学。論文に、「フィンクの世界根源の現象学」(『現象学年報』第32号)、“Eugen Finks Kant-Interpretation”(Horizon 4 (2))、 «L’événementialité du phénomène selon Neue Phänomenologie in Frankreich»(Revue internationale de Michel Henry, no 6)ほか。
ドミニク・プラデル(Dominique Pradelle)
1964年生まれ。高等師範学校でフランクの指導を受ける。ボルドー大学准教授、ソルボンヌ大学准教授、クレルモン=フェラン大学教授を経て、2013年よりソルボンヌ大学教授。専門は現象学、ドイツ哲学、数学の哲学。パリ・フッサール文庫所長。著書にL’archéologie du monde(博士論文、Kluwer Academic Publishers, 2000)、Généalogie de la raison(PUF, 2013)ほか。
ヴァンサン・ジロー(Vincent Giraud)
1977年生まれ。2011年に日本学術振興会外国人特別研究員として来日、京都大学白眉センター助教を経て、16年より同志社大学文学部助教。専門は現象学、解釈学、中世哲学、日本哲学。著書にAugustin, les signes et la manifestation(博士論文、PUF, 2013)、「第一哲学としての美学」(『ミシェル・アンリ研究』第6号、2016年)ほか。
杉村靖彦(すぎむら・やすひこ)
1965年生まれ。京都大学大学院文学研究科准教授。専門は現代フランス哲学・宗教哲学。著書に『ポール・リクールの思想──意味の探索』(創文社。日本宗教学会賞受賞)、編著にPhilosophie japonaise: le néant, le monde et le corps (Vrin, 2013)、共訳書にJ.グレーシュ『『存在と時間』講義──統合的解釈の試み』(法政大学出版局)ほか。
ミカエル・フェッセル(Michaël Foessel)
1974年生まれ。ブルゴーニュ大学准教授を経て、パリ理工科学校教授。専門は近現代ドイツ哲学、政治哲学。リクールのアンソロジーの編集や、スイユ社の叢書「哲学的次元」の監修も行なう。著書にKant et l’équivoque du monde(博士論文、CNRS, 2008)、Après la fin du monde. Critique de la raison apocalyptique(Seuil, 2012)ほか。
落合 芳(おちあい・かおり)
1975年生まれ。関西学院大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。同志社大学嘱託講師、 龍谷大学非常勤講師。専門はフランス哲学。論文に 「幼少期・身体・環境──イディス・コッブとメルロ=ポンティ現象学」(『メルロ=ポンティ研究』第12号)、「注意、憤慨、根をもつこと」(『ヒューマンセキュリティ・サイエンス』第7号)ほか、共訳書にクルティーヌ=ドゥナミ『シモーヌ・ヴェイユ』(萌書房)。
服部敬弘(はっとり・ゆきひろ)
1981年生まれ。パリ西大学大学院博士課程修了。博士(同志社大学・パリ西大学)。同志社大学文学部助教。専門は現代フランス哲学。論文に、«De l’affect de la loi au commandement de la Vie»(Revue internationale de Michel Henry, no 7)、共訳書にフランク『他者のための一者』(法政大学出版局)ほか。
エマニュエル・カタン(Emmanuel Cattin)
1966年生まれ。高等師範学校でフランクの指導を受ける。クレルモン=フェラン大学准教授、同大学教授を経て、ソルボンヌ大学教授。専門は近現代ドイツ哲学、宗教哲学。著書にTransformations de la métaphysique(博士論文、Vrin, 2001)、La décision de philosopher(Olms)、Sérénité. Eckhart, Schelling, Heidegger(Vrin, 2012)ほか。
フランソワ=ダヴィッド・セバー(François-David Sebbah)
1967年生まれ。リセ・カルノー、リセ・ジュルジュ・サンドなどで教鞭を執り、コンピエーニュ工科大学教授を経て、現在はパリ西大学教授。著書に『限界の試練──デリダ、アンリ、レヴィナスと現象学』(法政大学出版局)、『レヴィナス──他性の曖昧さ』『テクノサイエンスとは何か』『レヴィナスと現代──現下の急務』ほか。
樋口雄哉(ひぐち・ゆうや)
1984年生まれ。同志社大学大学院文学研究科博士課程在学中。滋賀大学非常勤講師。専門はE.レヴィナスの哲学。論文に、「レヴィナスにおける倫理と公正」(『倫理学研究』第44号)、「レヴィナスにおける存在論の問題と他人への関係としての言葉の問題」(『同志社哲学年報』第35号)ほか。
前田和美著『豆』が、「日本農業新聞」(2016年9月11日号/長谷川清美氏・評)にて紹介されました。
木下千花著『溝口健二論』が、「毎日新聞」(2016年9月13日付)にて紹介されました。
神山伸弘著『ヘーゲル国家学』が、「図書新聞」(2016年9月24日号/赤石憲昭氏・評)にて紹介されました。
有岡利幸著『欅(けやき)』が、「森林技術」(2016年9月号/原口雅人氏・評)にて紹介されました。
石原あえか著『近代測量史への旅』が、「東京大学広報誌 淡青」((2016年9月33号))にて紹介されました。
ジーン・シャープ著/三石善吉訳『市民力による防衛』が、「出版ニュース」(2016年9月中旬号)にて紹介されました。
序 章 ヘーゲルの哲学講義 【寄川条路】
第一章 論理学講義 【赤石憲昭】
第二章 論理学・形而上学講義 【真田美沙】
第三章 自然哲学講義 【大河内泰樹】
第四章 精神哲学講義 【池松辰男】
第五章 法哲学講義 【鈴木亮三】
第六章 国家学講義 【岡崎 龍】
第七章 歴史哲学講義 【中畑邦夫】
第八章 美学講義 【瀧本有香】
第九章 芸術哲学講義 【片山善博】
第十章 宗教哲学講義 【小島優子】
第十一章 神学講義 【小井沼広嗣】
第十二章 哲学史講義 【三重野清顕】
注
あとがき
著者紹介
人名索引 ヘーゲルの哲学著作の多くを占める講義録テキストの編集・成立過程を丹念に跡づけ、研究に新局面を開いたペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』に続き、現代日本の気鋭の研究者たちが各講義録の核心を読み解く。校訂版全集に依拠して従来の解釈を更新するための洞察にみちた1冊。論理学・形而上学、自然哲学、精神哲学、法哲学、国家学、歴史哲学、美学、芸術哲学、宗教哲学、神学、哲学史の講義を扱う。 ■著者紹介
赤石憲昭(あかいし・のりあき) 1974年、東京都生まれ。一橋大学大学院修了、社会学博士。現在、日本福祉大学准教授。論文に「ヘーゲル判断論の論理──ヘーゲル判断論の人間論的解釈の試み」(久保陽一編『ヘーゲル体系の見直し』理想社、2010年)、「ヘーゲルの「仮言判断」の具体例をめぐって」(『ヘーゲル論理学研究』第9号、2003年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
池松辰男(いけまつ・たつお) 1988年、山東省生まれ。東京大学大学院修了、文学修士。現在、千葉県立保健医療大学非常勤講師。論文に「身体と言語──「精神哲学」における二つの表現」(『ヘーゲル哲学研究』第19号、2013年)、「承認の条件としての身体──ヘーゲル「人間学」における〈身体〉の意義」(『倫理学年報』第62集、2013年)、共訳にマルクス・ガブリエル/・スラヴォイ・ジジェク『神話・狂気・哄笑──ドイツ観念論における主体性』(堀之内出版、2015年)、オットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
大河内泰樹(おおこうち・たいじゅ) 1973年、福岡県生まれ。ボーフム大学大学院修了、哲学博士。現在、一橋大学教授。単著にOntologie und Reflexionsbestimmungen. Zur Genealogie der Wesenslogik Hegels. Königshausen und Neumann, 2008. 共著に西山雄二編『人文学と制度』(未來社、2013年)、共訳にアクセル・ホネット『自由であることの苦しみ──ヘーゲル『法哲学』の再生』(未來社、2009年)、マルクス・ガブリエル/スラヴォイ・ジジェク『神話・狂気・哄笑──ドイツ観念論における主体性』(堀之内出版、2015年)、オットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
岡崎 龍(おかざき・りゅう) 1987年、バーモント州生まれ。一橋大学大学院修了、社会学修士。現在、日本学術振興会特別研究員・フンボルト大学留学中。論文に「ヘーゲル『精神現象学』における否定性の問題──ヴォルフガング・ボンジーペン『ヘーゲルのイエナ期論考における否定性の概念』を読む」(『クァドランテ』第16号、2014年)、共訳にマルクス・ガブリエル/・スラヴォイ・ジジェク『神話・狂気・哄笑──ドイツ観念論における主体性』(堀之内出版、2015年)、オットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
片山善博(かたやま・よしひろ) 1963年、東京都生まれ。一橋大学大学院修了、社会学博士。現在、日本福祉大学教授。単著に『生と死の倫理──「死生学」への招待』(DTP出版、2014年)、『差異と承認──共生理念の構築を目指して』(創風社、2007年)、『自己の水脈──ヘーゲル「精神現象学」の方法と経験』(創風社、2002年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
小井沼広嗣(こいぬま・ひろつぐ) 1979年、東京都生まれ。法政大学大学院修了、文学修士。現在、法政大学非常勤講師。論文に「道徳的行為主体による悪とその克服──『精神現象学』における良心論をめぐって」(『ヘーゲル哲学研究』第20号、2014年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)、ロバート・B・ピピン『ヘーゲルの実践哲学──人倫としての理性的行為者性』(法政大学出版局、2013年)。
小島優子(こじま・ゆうこ) 1973年、神奈川県生まれ。上智大学大学院修了、哲学博士。現在、高知大学准教授。単著に『ヘーゲル──精神の深さ』(知泉書館、2011年)、『最新哲学がよ〜くわかる本』(秀和システム、2006年)、共著に『生命倫理の教科書』(ミネルヴァ書房、2014年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
真田美沙(さなだ・みさ) 1989年、福岡県生まれ。一橋大学大学院修了、文学修士。現在、一橋大学大学院博士課程在学。論文に「ヘーゲル『大論理学』における量の適用範囲」(『哲学の探求』第40号、2013年)、「量における質の回復について──ヘーゲル『大論理学』における〈定量の無限性〉を中心に」(『ヘーゲル哲学研究』第21号、2015年)。
鈴木亮三(すずき・りょうぞう) 1975年、愛知県生まれ。東北大学大学院修了、文学博士。現在、日本医科大学非常勤講師。共著に『どう生きどう死ぬか』(弓箭書院、2009年)、論文に「〈所有の運命〉の行方──フランクフルト・イエーナ期ヘーゲル哲学生成の1断面」(『思索』第47号、2014年)、「ヘーゲル哲学におけるオイディプス問題」(『ヘーゲル哲学研究』第19号、2013年)。
瀧本有香(たきもと・ゆか) 1988年、福井県生まれ。早稲田大学大学院修了、文学修士。現在、日本学術振興会特別研究員。論文に「シェリングとヘーゲル──その芸術観と芸術の地位」(『哲学世界』第37号、2014年)、「ヘーゲル美学における有機体の美しさ」(『哲学世界』別冊第5号、2013年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。
中畑邦夫(なかはた・くにお) 1971年、千葉県生まれ。上智大学大学院修了、哲学博士。現在、麗澤大学非常勤講師。論文に「ヘーゲルのソクラテス論──その悲劇性および喜劇性」(『麗澤学際ジャーナル』第22巻、第1号、2014年)、「ヘーゲル論理学における神の存在証明の意義」(『ヘーゲル哲学研究』第15号、2009年)、「ヘーゲル論理学における「人格性」について──『大論理学』の実践的・倫理的な解釈可能性」(『倫理学年報』第52集、2003年)。
三重野清顕(みえの・きよあき) 1977年、兵庫県生まれ。東京大学大学院修了、文学博士。現在、お茶の水女子大学非常勤講師。論文に「超越論的な過去──初期シェリングの時間論」(『倫理学年報』第59集、2010年)、「共同体の倫理──時間論的視座より」(『理想』685号、「特集 倫理学の再発見」2010年)、「真理の生成──ヘーゲルにおける時間の真理開示機能をめぐって」(『KAWADE道の手帖・ヘーゲル入門』河出書房新社、2010年)、共訳にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)。