沓掛良彦著『古代西洋万華鏡』が、「出版ニュース」(2017年9月上旬号)にて紹介されました。
2017年 のアーカイブ
宮崎揚弘著『函館の大火』が、「図書新聞」(2017年9月9日号/麻生将氏・評)にて紹介されました。
1949年生まれ。フランクフルト・ゲーテ大学でアメリカ文学を専攻。エズラ・パウンド研究で博士号を取得後、渡米。イェール大学およびラトガース大学で教鞭をとり、1990年よりシカゴ大学英文科教授。映画メディア研究科の創設に尽力する。フランクフルト学派とメディアに関する研究を精力的に発表するかたわら、初期映画や映画とモダニティをめぐる論考を幅広く執筆。著書に、本書のほか、『バベル・アンド・バビロン――アメリカ無声映画における観客』(1991)。主な論考に、オスカー・ネークト/アレクサンダー・クルーゲ『公共圏と経験―ブルジョワ公共圏とプロレタリア公共圏の分析にむけて』英語版序文(1993)、「感覚の大量生産――ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映画」(1999;邦訳:2010)、「ヴァナキュラー・モダニズム――グローバルな規模で映画を跡づける」(2009)など。本書脱稿直後の2011年2月に逝去。 1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は、ドイツ思想史、映像文化論。現在、東京大学大学院総合文化研究科准教授。著書に、『アドルノ、複製技術へのまなざし――〈知覚〉のアクチュアリティ』(青弓社)、『〈救済〉のメーディウム――ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)。共訳書に、メニングハウス『吐き気――ある強烈な感覚の理論と歴史』(法政大学出版局)、アドルノ『文学ノート2』(みすず書房)、シュティーグラー『写真の映像』(月曜社)ほか。 1977年生まれ。シカゴ大学映画メディア研究科博士課程修了。専門は、サイレント映画研究、メディア論。東京大学大学院情報学環特任講師、特任准教授をへて、現在、城西国際大学メディア学部准教授。論文に、「「動き」の美学――小津安二郎に対するエルンスト・ルビッチの影響」『表象』7号ほか。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序文
謝辞
略語
第Ⅰ部 クラカウアー
第1章 映画──崩壊していく世界の媒体としての自然
モダニズム的唯物論に向けて
写真、および歴史の一か八かの賭け
第2章 奇妙なアメリカニズム
装飾と公衆としての大衆
大衆文化、階級、主体性
競合しあう複数のモダニティ、狭まる選択肢
第Ⅱ部 ベンヤミン
第3章 アクチュアリティ、さまざまなアンチノミー
複製技術論文──テクスト上の戦略、概念上の被害
大衆、気散じ
第4章 アウラ──ある概念の我有化
一般的な意味におけるアウラ
アウラ芸術、美しい仮象
アウラ、原初的イメージ、夢意識
アウラ的な自己遭遇、生産的な自己疎外
第5章 月をボールと取り違えること
神経刺激
ミメーシス的能力
視覚的無意識
第6章 ミッキーマウス
集合的哄笑──治癒と恐怖
モダニストのメルヒェン
異種混交的な被造物──「自然目的論の破砕」
過剰と馴致
第7章 第二の自然の遊戯形式
《Spiel》と遊戯論
遊戯のための空間、第二の自然、反復可能性
遊戯のアンチノミー
第Ⅲ部 アドルノ
第8章 映画美学という問題
技法、技術
透かし絵
映像/文字
自然美、言語的性格
運動、時間、音楽
第Ⅳ部 亡命時代のクラカウアー
第9章 映画の理論
マルセイユ︲ニューヨーク
歴史の待合室としての映画
訳者あとがき
原註+訳註
索引 クラカウアー、ベンヤミン、アドルノは、映画とは何かよりはむしろ、映画は「何をするのか」という問いを立てる。進化を遂げていくモダニティとしての映画、映画経験と映画を観る公衆の生きた経験との繋がりをなすモダリティ、いまだに予感しえない未来を生じさせる試みのなかで、映画という媒体、映画館という場のもつ可能性を追究する。映画学とフランクフルト学派が交差する思考の星座がここに煌めく。
グザヴィエ・ロート著/田中祐理子訳『カンギレムと経験の統一性』が、「図書新聞」(2017年9月2日号/近藤和敬氏・評)にて紹介されました。
サイモン・クリッチリー,ライナー・シュールマン著/スティーヴン・レヴィン編/串田純一訳『ハイデガー『存在と時間』を読む』が、「読書人」(2017年8月25日号/陶久明日香氏・評)にて紹介されました。
1925年生まれ。フランスの作曲家、指揮者。第2次世界大戦後の西欧前衛音楽界で指導的役割を果たし、また20世紀音楽を中心に傑出した指揮活動を展開。フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)創設者、初代所長。日本語訳に『意志と偶然』『ブーレーズ音楽論』『参照点』『クレーの絵と音楽』『現代音楽を考える』『標柱』『ブーレーズは語る』『エクラ/ブーレーズ』『ブーレーズ作曲家論選』などがある。2016年逝去。 (Jean-Pierre Changeux)
1936年生まれ。フランスの神経生物学者。コレージュ・ド・フランス名誉教授、パストゥール研究所名誉教授。日本語訳に『ニューロン人間』『分子と記憶』『考える物質』『理性と美的快楽』『真理を求める人間』『脳と心』がある。 (Philippe Manoury)
1952年生まれ。フランスの作曲家。カリフォルニア大学サンディエゴ校名誉教授。パリ国立高等音楽院などに学び、IRCAMでの研究と一連のライヴ・エレクトロニクス作品などで作曲家としての地位を確立。 東京藝術大学大学院修了。パリ第4大学博士課程修了(音楽学博士)。早稲田大学社会科学総合学術院教授。ブーレーズの日本語訳を数多く手がけるほか、訳書にルシュール『伝記 クロード・ドビュッシー』、ストラヴィンスキー『音楽の詩学』『私の人生の年代記』がある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序
第一章 音楽とは何か?
音楽と快楽/頭脳的なものと非理性的なもの/ピュタゴラスと不確実性/人間の声、楽器?/声楽と劇作法/フルートからコンピューターへ/音楽と言語/自然あるいは文化?
第二章 「美」のパラドックスと芸術の規則
美と未完/芸術作品と商品価値/新しいもの、新しいもの、新しいもの/科学における進歩、音楽における変革/芸術家の姿/部分と全体/生得的な核と文化的コード/音楽フレーズ/小形式から大形式へ/倹約して/他者への関係/芸術の普遍性?
第三章 耳から脳へ──音楽の生理学
雑音と楽音/動物の音楽/鳥たちの場合/音楽的知覚──習得?/音楽を聴く──頭の中で行なう再構成
第四章 作曲家の頭の中のダーウィン
素材と形式/脳の自発的な活動/創造者の精神的作業/精神的ダーウィニズムと音楽創造/多様性から選択へ/関連性/意図から実現へ/報酬による選択?
第五章 音楽創造における意識と無・意識
美的直観/秩序と無秩序/意識への接近/過去を再創造する/意識的な期待/先取りし、驚かされるがままになる/明─暗/書くという行為/記憶の仕事と仕事の記憶
第六章 音楽的創造と科学的創造
理論と実践/他の分野の寄与/模 倣/学者のモデル、芸術家のモデル/即 興/ひとつの作品から別の作品へ/ドビュッシーの例/音楽、「精神的事象」/芸術と科学の交差点で──IRCAMの創設
第七章 音楽を学ぶ
音楽は生得的なものか?/学ぶ、それは選別することである/音楽家たる乳児/変化していく音楽意識/音楽の習得と一般教育/音楽は生活習慣を和ませるか? 2016年に惜しまれつつ逝去した現代音楽界の巨匠ブーレーズとフランスを代表する神経生物学者シャンジュー、ブーレーズ後の世代を担う作曲家マヌリによる刺激的な対話。作曲家・指揮者が音楽を創造するさい、あるいは聴衆が音楽に心を動かされるさい、人間の脳内ではどのような生物学的プロセスが生じているのか。最晩年のブーレーズが辿りついた作曲論、芸術論、科学論が明かされる最後の書物。
第1章 ヴァルター・ベンヤミン 隠喩
第2章 ジョルジュ・バタイユ 悪
第3章 エマニュエル・レヴィナス 他者
第4章 ロラン・バルト 愛
第5章 ポール・ド・マン アレゴリー
第6章 ルネ・ジラール 欲望
第7章 ジル・ドゥルーズ 差異
第8章 J・ヒリス・ミラー 情念
結 語
あとがき
文献一覧
人名索引 ベンヤミン、バタイユ、バルト、ドゥルーズ――綺羅星のごとき思想家たちは、誰もが魅惑の書『失われた時を求めて』を手にし、語らずにはいられなかった。この20世紀小説の金字塔に彼らは何を見たのか? この作家の何がこれほどまでに彼らを惹きつけたのか。縦横に読み解かれる8人の論が交錯するその地点に、かつて誰も目にしたことのない現代思想の核心が浮かび上がってくる。前人未到の野心的企て!
1952年生。ミラノ大学とヴェネツィア大学で教鞭を執り,近世史や印刷・出版史の正教授および大学院の史学研究科長を務める。ヨーロッパ近世における出版生産と流通の統制問題に長く関心をもち,『バッサーノのレモンディーニ。18世紀ヴェネトにおける印刷と産業(I Remondini di Bassano. Stampa e industria nel Veneto del Settecento)』(バッサーノ,1980年),『18世紀のヴェネツィア出版業 (L’editoria veneziana nel ‘700)』(ミラノ,1989年)など,多数の論文や著書を出版している。 東京外国語大学トルコ語専攻を卒業,(株)NEC勤務の後,2002年よりヴェネツィア大学に入学,2005年度イタリア政府奨学金留学生,学士号・修士号取得後,2015年にヴェネツィア共和国の税制と情報管理に関する博士論文で史学博士号を取得した。現在,人間文化研究機構国文学研究資料館の特任助教として基幹研究プロジェクト「バチカン図書館所蔵マリオ・マレガ収集文書調査研究・保存・活用」に従事している。訳書にベルティーニ『アーカイブとは何か』(法政大学出版局,2012年)。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 著者から日本の読者へ
出版規制
1 検閲の起源
2 教会と国家の狭間で
3 無垢で思慮深い検閲
文化追放
1 禁書目録
2 講読禁止
3 検閲と民衆講読
4 科 学
検閲の限界
1 クレメンス目録後
2 異端審問と抑圧
3 寛容の起源
絶対主義と検閲
1 国家検閲の優勢
2 非合法市場
3 黙認と偽書誌事項
4 啓蒙、検閲、印刷の自由
エピローグ
参考文献
邦語参考文献
年 表
訳者あとがき
索 引 活版印刷の発明から宗教改革をへて、近代ヨーロッパ世界が形成される過程で、異端思想を取り締まる禁書目録のシステムはどのように作られ、機能し、消滅したのか。現代イタリアの近世史・出版史研究の第一人者が、教権から王権へと統制主体の移行していく時代を背景に、各国の書物発禁や検閲の内情、人々の抵抗の実態をたどり、やがて出版の自由が実現されるまでの知られざる歴史を解き明かす。
1937年生まれ、アメリカの哲学史家・カント研究者。カリフォルニア大学サンディエゴ校およびボストン大学の名誉教授。おもな著書に本書のほか、『カントの超越論的観念論──解釈と擁護』(1983年、増補改訂版2014年)、『カントの趣味の理論──美感的判断力批判を読む』(2001年)、『カント『道徳の形而上学の基礎づけ』注解』(2011年)、『カントの超越論的演繹論──分析的・歴史的注解』(2015年)など。 1972年生まれ、東北大学大学院文学研究科准教授。博士(文学)。専門は哲学・倫理学。おもな著書に『理性の深淵──カント超越論的弁証論の研究』(知泉書館、2014年)など。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 謝 辞
原典と略号
序 論
第Ⅰ部 『純粋理性批判』における自由と理性的行為者性
第一章 第三アンチノミー
1 予備的考察
2 定立・反定立の論証
3 第三アンチノミーの解決
4 第三アンチノミーと意志の自由
第二章 経験的性格と叡知的性格
1 区別一般、とくに経験的性格
2 叡知的性格
3 経験的性格と叡知的性格との両立可能性
4 無時間的な行為者性と理性の原因性
第三章 実践的自由と超越論的自由
1 弁証論と規準章における自由
2 実践的自由の両義的な本性
3 一七八一年頃のカントの道徳理論における自由
第四章 別の二つの解釈
1 ベックの批判と再構成
2 超越論的観念論と非法則的一元論
第Ⅱ部 道徳的行為者性と道徳心理学
第五章 理性的行為者性と自律
1 『基礎づけ』第二章における理性的行為者性
2 意志の性質としての自律
3 性質から原理へ
第六章 義務、傾向性、尊敬
1 善い意志と道徳的価値
2 尊 敬
第七章 〈意志〉、〈選択意志〉、心根
1 〈意志〉/〈選択意志〉の区別
2 カントの心根の概念
第八章 根源悪
1 根源悪と厳格主義
2 性癖とその普遍性
3 根源悪の程度
第九章 徳と神聖性
1 徳の本性
2 道徳的理想としての神聖性
第十章 古典的な反論
1 シラーの批判
2 ヘーゲルの批判
3 ウィリアムズの批判
第Ⅲ部 道徳性と自由の正当化
第十一章 相互性テーゼ
1 テーゼの定式化
2 自由と実践的法則──その最初の試み
3 自由と実践的法則──論証を完成する
4 実践的法則から道徳法則へ
第十二章 『基礎づけ』第三章における演繹
1 準備論証
2 隠れた循環
3 演繹を完成する
4 演繹の失敗
第十三章 理性の事実と自由の演繹
1 事実の本性
2 理性の事実としての事実
3 自由の演繹──基本的論証
4 自由の演繹、第三アンチノミー、理論理性と実践理性との統一
5 自由の演繹──最終考察
訳者後記
原 注
文献一覧
事項索引
人名索引 現代の英米圏を代表する哲学史家の一人であり、この四半世紀で世界的に最も高く評価されてきたカント研究者であるアリソンの主著にして、初の邦訳。自由と道徳的意志の根拠をめぐる、近年の発展著しい議論の蓄積を踏まえつつ、カントの超越論的観念論にもとづく倫理学の核心部ならびに全体像を網羅的・体系的に示した第一線の研究書。日本語の土壌を新たな思想的文脈へと開く画期的な全訳!
来たる9月2日(土)、沖縄大学にて、小局刊『共生への道と核心現場』の著者白永瑞先生の公開講演会が開催されます。
〈公開講演会〉「世界史のなかの韓国──市民社会の現状と東アジアの課題」
日時:2017年9月2日(土) 午後2時~午後5時 *開場:午後1時30分
会場:沖縄大学3号館101教室
*参加費無料
講師:白永瑞(韓国・延世大学)
コメンテーター:新崎盛暉(沖縄大学名誉教授)、呉世宗(琉球大学准教授)
詳細はこちら→ MATアジア現代思想計画 那覇×東京
詳細をご確認のうえ、ご参加ください。
マーティン・ヘグルンド著/吉松覚、島田貴史、松田智裕訳『ラディカル無神論』が、「読書人」(2017年8月18日号/立花史氏・評)にて紹介されました。
衛藤幹子著『政治学の批判的構想』が、「出版ニュース」(2017年8月下旬号)にて紹介されました。
権赫泰著/鄭栄桓訳『平和なき「平和主義」』が、「市民の意見」(2017年8月1日号/高橋武智氏・評)にて紹介されました。
コンラート・パウル・リースマン著/斎藤成夫、齋藤直樹訳『反教養の理論』が、「読売新聞」(2017年8月20日付/納富信留氏・評)にて紹介されました。
沓掛良彦著『古代西洋万華鏡』が、「北國新聞」(2017年7月29日付)「四國新聞」(2017年7月30日付)「山梨日日新聞」(2017年8月6日付)にて紹介されました。
町田祐一著『近代都市の下層社会』が、「史學雑誌」(2017年7月20日号/鈴木智行氏・評)にて紹介されました。
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。 (さらに…)
1 はじめに
2 一つめの違和感──部族とカート
3 二つめの違和感──イスラーム経済とカート
4 本書の構成
5 調査に関して
第1章 カート伝来と消費の拡大
1 はじめに
2 カート伝来
3 広がる消費
4 南北イエメン時代
5 統合イエメン時代
第Ⅰ部 カートを噛む
セッション会場にて
第2章 カートをめぐるマナー
1 噛む準備
2 セッション会場
3 通過儀礼とカート
第3章 消費の変化
1 はじめに
2 一九七〇年代のカート・セッションの特徴
3 二〇〇〇年代のカート・セッションの特徴
4 おわりに
コラム 男女の生活空間の分離の実際
第Ⅱ部 嗜好品か薬物か
嗜好品への執念
第4章 薬物としてのカート
1 生産地と消費地
2 薬物とは何か
3 薬物としてのカート
4 イエメンにおけるカート問題
第5章 嗜好品としてのカート
1 嗜好品とは何か
2 結衆の手段
3 消費する場所
4 消費形態の多様化
コラム イルハームの決断
第Ⅲ部 カートを作る
カート生産地にて
第6章 生産者とカート
1 生産方法
2 生産者の生活
第7章 コーヒーとカート
1 はじめに
2 生産と販売の比較
3 カート化の実際
4 コーヒー化の可能性
コラム 飲み物の話
第Ⅳ部 カートを売買する
カート市場にて
第8章 流通経路とその効率化
1 はじめに
2 市場、商人、カート
3 道路開発と流通量の増加
4 流通の特徴と変化
5 おわりに
第9章 商人、生産者、購入者の関係
1 はじめに
2 情報の非対称性と信頼関係
3 カート市場の特徴
4 カート市場における信頼関係
5 考 察
コラム 女性と買い物
結 論 ゆるやかな関係
1 議論の総括
2 ゆるやかな関係
あとがき
資 料
参考文献
索 引 現代イエメンの経済・文化・社会に大きな影響力をもつ嗜好品カート。その生産・流通・消費をめぐる現地調査を通じて、イエメン独自のイスラーム社会を描いた民族誌的研究。商品作物としてのカートについて日本語で書かれた初の総合的モノグラフである本書は、中東世界の多様性のみならず、人類の嗜好品との関係について普遍的な理解をもたらす。地域研究を超えた、人文社会科学全般への貢献。