叢書・ウニベルシタス 1036
熱のない人間
治癒せざるものの治療のために

四六判 / 352ページ / 上製 / 定価:3,800円 + 税 
ISBN978-4-588-01036-1 C1310 [2016年02月 刊行]

内容紹介

治療の目的は病いの治癒であり健康の回復だが、治療は必ずしも治癒をもたらさない。多発性の関節炎を伴う自己免疫疾患に苦しむ自身の体験から書かれた本書は、現代の医療がその中心的目標とする「治癒」の概念、その基底にある「健康」観、「生命」観を問い直す。「治癒をもたらすことなく治療することは可能か」。治療の技術が、病む人の生に寄り添うものとなるために、新たな哲学が誕生する。

著訳者プロフィール

クレール・マラン(マラン クレール)

(Claire Marin)
1974年、パリに生まれる。2003年にパリ第四大学(ソルボンヌ)で哲学の博士号を取得。現在は「現代フランス哲学研究国際センター」のメンバーを務めるとともに、高校の教員として哲学を教える。自らが多発性の関節炎をともなう自己免疫疾患に苦しめられ、厳しい治療生活を送ってきた患者(当事者)でもあり、その経験を起点として、「病い」と「医療」に関する哲学的な省察へと歩みを進め、精力的な著作活動を続けている。著書に、『病いの暴力、生の暴力』(Violences de la maladie, violence de la vie, Armand Colin, 2008)、『病い、内なる破局』(La maladie, catastrophe intime, PUF, 2014)、自らの経験を小説として綴った作品『私の外で』(鈴木智之訳、ゆみる出版、2015年)などがある。

鈴木 智之(スズキ トモユキ)

1962年生まれ。法政大学社会学部教授。著書に、『村上春樹と物語の条件――『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』(青弓社、2009年)、『眼の奥に突き立てられた言葉の銛――目取真俊の〈文学〉と沖縄戦の記憶』(晶文社、2013年)、『ケアとサポートの社会学』(共著、法政大学出版局、2007年)、『ケアのリアリティ――境界を問いなおす』(共著、法政大学出版局、2012年)。訳書に、J・デュボア『探偵小説あるいはモデルニテ』(法政大学出版局、1998年)、A・W・フランク『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』(ゆみる出版、2002年)、B・ライール『複数的人間――行為のさまざまな原動力』(法政大学出版局、2013年)などがある。

※上記内容は本書刊行時のものです。

目次

前言
 治癒をもたらすことなく治療することは可能か
 治療とは治癒をもたらすことではない
 人間、病理学的動物としての
 すべてを治療するという幻想
 傷つきやすさに寄り添う治療

第Ⅰ部 社会を治癒させる、新しいユートピア
第1章 病いなき人間
 人間を改良する
 私たちの見知らぬ身体
 解剖学の教え

第2章 完璧な健康、不可能な健康
 医療の大量摂取? 医療化過剰についての批判
 あら皮
 義務としての、労働としての健康
 保証としての医療

第3章 治療の領域の拡張
 思想の舞台における「ケア」
 脆弱さと傷つきやすさ
 些末なことで騒いでいる?「知ったことじゃない(Who cares?)」
 患者の自律性──問い直される治療の政治

第Ⅱ部 治療することと苦しめること、治癒をもたらすことなく治療すること
第1章 治療の中の暴力
 試練としての治療──侵入の暴力、剝奪の経験
 戦場に足を踏み入れる
 皮を剝がれた人間
 侵入者
 寄生的暴力
 社会的諸関係の暴力の再生
 制度的暴力
 「取るに足らない」暴力

第2章 苦しむ治療者たち
 治療と恐怖
 医療教育、あるいは暴力への参入儀礼
 死を飼い慣らす──エロスとタナトス
 嘲弄、暴力へのもうひとつの応答
 傷つきやすい治療者たち
 自己を危険にさらす
 治療の起源としての苦しみ?
 介護者の疲れ
 消耗と躍動のあいだにある治療

第3章 治癒をもたらすことなく治療すること
 治療の無益さ、選択の重さ
 死にゆく者の孤独
 治癒せざるものの医療
 最後まで治療を担う

結論──人々はますます病んでいるのだろうか

訳者あとがき
訳注
原注
参考文献
事項索引
人名索引

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ジョナサン・コール:著
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G.カンギレム:著
『死にゆく者の孤独 〈新装版〉』
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