神山伸弘著『ヘーゲル国家学』が「読書人」(2016年5月20日号/面一也氏・評)にて紹介されました。
2016年 のアーカイブ
ロバート・ロス著/平田雅博訳『洋服を着る近代』が、「日本経済新聞」(2016年5月19日付、夕刊/井上章一氏・評)にて紹介されました。
1922年、旧仏領インドシナのハイフォンに生まれる。7歳のときフランスに帰国し、アンリ四世校に通う。1945年、哲学教授資格を取得し、リセで教鞭を執るかたわら国家博士論文を書く。1978年に退官するまで、ポール・ヴァレリー大学(モンペリエ第三大学)哲学教授。小説家としても知られ、ルノド賞受賞作を含む3冊をガリマール書店から出版している。戦時中、強制労働局へ懲発されたが、ドイツ行きを拒んで地下に潜行。この「地下潜行」体験はアンリ哲学に決定的な影響を及ぼし、独自の「生の哲学」形成の契機となる。主著に『現出の本質』(1963)、『身体の哲学と現象学』(本書、65)、『マルクス』(76)、『精神分析の系譜』(85)、『野蛮』(87)、『見えないものを見る』(88)、『実質的現象学』(90)、『共産主義から資本主義へ』(90)、『われは真理なり』(96)、『受肉』(2000)、『キリストの言葉』(2002)など。2002年7月3日死去。 1955年生まれ.京都大学大学院文学研究科博士課程学修退学.フランス政府給費留学生としてフランスへ留学.ボルドー第三大学博士課程を経てパリ第四(ソルボンヌ)大学博士課程修了(博士号取得).京都大学文学部(哲学)研修員を経て,現在,愛知県立芸術大学美術学部教授.著書に『メーヌ・ド・ビラン──受動性の経験の現象学』『自然の現象学──時間・空間の論理』『歴史と文化の根底へ──《自然の現象学》第二編』(以上,世界思想社)『行為と無為──《自然の現象学》第三編』『身体の生成──《自然の現象学》第四編』(以上,萌書房),訳書にシュミッツ『身体と感情の現象学』(共訳,産業図書),アンリ『精神分析の系譜──失われた始原』(共訳)『実質的現象学──時間・方法・他者』(共訳)『受肉──〈肉〉の哲学』(以上,小局刊),フランク『ハイデッガーとキリスト教──黙せる対決』(萌書房)など. 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序論 身体に関する問いの見かけ上の偶然性と、身体の存在論的分析の必要性
第一章 身体についてのビランの分析の哲学的諸前提
第一節 ビラン存在論の現象学的諸前提
第二節 諸カテゴリーの超越論的演繹
第三節 エゴについての理論と魂の問題
第二章 主観的身体
第三章 運動と感覚作用
第一節 諸感官の統一性およびわれわれのイマージュとわれわれの運動との関係の問題
第二節 知の統一性として解釈された身体の統一性。習慣と記憶
第三節 感性的個体性としての人間存在の個体性
第四章 諸記号の二重の使用と自己の身体の構成の問題
第五章 デカルト的二元論
第六章 メーヌ・ド・ビランの思想の批判。受動性の問題
結 論 身体の存在論的理論と受肉の問題。肉と霊
原注
訳注
解説 メーヌ・ド・ビランとミシェル・アンリ
訳者あとがき 意識の根本に〈身体〉を据えたメーヌ・ド・ビランとの対話を通して生の哲学を基礎づけ、主観性が身体と不可分のものであることを示してビラン哲学を蘇らせる。
1922年、旧仏領インドシナのハイフォンに生まれる。7歳のときフランスに帰国し、アンリ四世校に通う。1945年、哲学教授資格を取得し、リセで教鞭を執るかたわら国家博士論文を書く。1978年に退官するまで、ポール・ヴァレリー大学(モンペリエ第三大学)哲学教授。小説家としても知られ、ルノド賞受賞作を含む3冊をガリマール書店から出版している。戦時中、強制労働局へ懲発されたが、ドイツ行きを拒んで地下に潜行。この「地下潜行」体験はアンリ哲学に決定的な影響を及ぼし、独自の「生の哲学」形成の契機となる。主著に『現出の本質』(1963)、『身体の哲学と現象学』(65)、『マルクス』(76)、『精神分析の系譜』(85)、『野蛮』(87)、『見えないものを見る』(本書、88)、『実質的現象学』(90)、『共産主義から資本主義へ』(90)、『われは真理なり』(96)、『受肉』(2000)、『キリストの言葉』(2002)など。2002年7月3日死去。 1948年茨城県生,東京教育大学大学院文学研究科博士課程修了.フランス文学,フランス現代芸術専攻.茨城大学名誉教授.訳書にセール『北西航路〈ヘルメス・〉』,『コミュニケーション〈ヘルメス・〉』(共訳)など. 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序
内部/外部―見えないものと見えるもの
「抽象絵画」という表現において「抽象」の意味するもの
フォルム
純粋な絵画的フォルム
抽象的なフォルム―要素の理論
絵画性の解明
点
線
基礎平面
要素の統一性
目に見えない色
フォルムと色
フォルムと色の統一性に関する困難さ
コンポジション
壮大な芸術
音楽と絵画
芸術の本質
絵画はすべて抽象的である
芸術と宇宙
原注
訳注
訳者あとがき 〈生の現象学〉の立場からカンディンスキーの絵画作品とその抽象絵画論を入念に考察し、人間の形而上学的認識能力に絵画の本質を探りつつ、芸術創造の秘密に迫る。カラー口絵8頁。
1946年生まれのイギリスの歴史家。ケンブリッジ大学クライストカレッジ卒業後、同大学の研究員・講師を経て、79年からロンドンのウェルカム医学史研究所(現在はロンドン大学ユニヴァーシティーカレッジ・ウェルカムトラスト医学史センター)勤務。91年からリーダー。93年から教授。94年大英学士院会員。2001年退職。同研究所名誉教授。2002年3月死去。社会史、医学史などの分野で膨大な研究業績を残した。またテレビやラジオなどメディアでも多彩な活動を展開し、知識の普及に努めた。邦訳書に『狂気の社会史』『人体を戦場にして 医療小史』『身体と政治』(以上、法政大学出版局)、『健康売ります』(みすず書房)がある。 1947年生まれ。東京教育大学卒業後、同大学大学院文学研究科博士課程中退。英文学専攻。鳥取大学勤務を経て日本大学商学部教授。2013年退職。共著に『戦後イギリス文学』『現代イギリス文学と同性愛』『階級社会の変貌』(以上、金星堂)、『現代の批評理論』第3巻(研究社)など。訳書にロイ・ポーター『狂気の社会史』『人体を戦場にして 医療小史』『身体と政治』(以上、法政大学出版局)のほか、『ノストラダムス百科全書』(共訳)『ノストラダムス予言全書』(共訳)『錬金術大全』『古代ローマの食卓』(以上、東洋書林)、『魔法と錬金術の百科事典』(柊風舎)、編著に『ちょっと考えるアメリカン・ジョーク集』(英潮社)などがある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 日本語版への序
監修の辞
謝 辞
改訂版への序
換算表
はじめに
1 光と闇
2 社会秩序
3 権力と政治と法律
4 日々の生活
5 稼ぐことと遣うこと
6 持つことと愉しむこと
7 日常経験の変化
8 産業社会に向かって
9 結びに
訳者あとがき
統計表
参考書目
索 引 ジョージ王朝の世紀の特異性と多様性、社会の秩序、権力と政治と法律、人々の生活、産業革命への変貌など、社会構造と社会活動、社会と政治の相互作用を分析する。
1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる。邦訳された著書に、『時代おくれの人間』上下、『世界なき人間:文学・美術論集』、『異端の思想』、『塔からの眺め』(いずれも青木隆嘉訳、法政大学出版局)、『われらはみな、アイヒマンの息子』(岩淵達治訳、晶文社)などがある。アムステルダム亡命文学賞、イタリア・レジスタンス賞、批評家賞、バイエルン美術アカデミー文学賞、オーストリア文化賞、ウィーン出版文化賞、フランクフルト市アドルノ賞などを受賞。1992年12月死去。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク まえがき
序論 三つの革命(一九七九年)
時代おくれの外観
時代おくれの唯物論(一九七八年)
時代おくれの製品(一九五八年)
時代おくれの人間世界(一九五八年/一九六一年)
時代おくれの大衆(一九六一年)
時代おくれの労働(一九七七年)
時代おくれの機械Ⅰ(一九六〇年)
時代おくれの機械Ⅱ(一九六九年)
時代おくれの哲学的人間学(一九七九年)
時代おくれの個人
時代おくれのイデオロギー(一九七八年)
時代おくれの順応主義(一九五八年)
時代おくれの国境(一九七九年)
時代おくれのプライバシー(一九五八年)
時代おくれの死(一九七九年)
時代おくれの現実性(一九六〇年)
時代おくれの自由
時代おくれの歴史Ⅰ(一九七八年)
時代おくれの歴史Ⅱ(一九七八年)
時代おくれの歴史Ⅲ(一九七八年)
時代おくれの空想(一九五五年)
時代おくれの「正しいもの」(一九七九年)
時代おくれの時間と空間(一九五九年)
時代おくれの真面目さ(一九六八年)
時代おくれの「意味」(一九七二年)
時代おくれの利用(一九七九年)
時代おくれの無能力(一九七五年)
時代おくれの悪(一九六六年)
方法論的考察(一九七九年)
原注
訳者あとがき 原子力の開発と情報化社会をもたらした第三次産業革命後の労働と消費生活における人間疎外の状況を洞察し、技術の専制支配による新たな全体主義の形而上学的根拠を暴いて、変革のための指針を提示する。
1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる。邦訳された著書に、『時代おくれの人間』上下、『世界なき人間:文学・美術論集』、『異端の思想』、『塔からの眺め』(いずれも青木隆嘉訳、法政大学出版局)、『われらはみな、アイヒマンの息子』(岩淵達治訳、晶文社)などがある。アムステルダム亡命文学賞、イタリア・レジスタンス賞、批評家賞、バイエルン美術アカデミー文学賞、オーストリア文化賞、ウィーン出版文化賞、フランクフルト市アドルノ賞などを受賞。1992年12月死去。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 献辞
第五版序文
序論
プロメテウス的羞恥
幻影と原型としての世界
時間なき存在
核兵器とアポカリプス不感症の根源
原注
(解説)ギュンター・アンダースの哲学(青木隆嘉) 技術の哲学を再考し、環境破壊、核の脅威、マスメディアの大衆支配など、旧来の哲学的人間学の根源をなす体系的思考を排して、危機的状況にさらされた人類を覆うニヒリズムの根源に迫り、〈いま〉を生きるための方法的エチカを探る。
ロバート・ロス著/平田雅博訳『洋服を着る近代』が、「毎日新聞」(2016年5月4日付)にて紹介されました。
ペネロピ・フランクス、ジャネット・ハンター編/中村尚史、谷本雅之監訳『歴史のなかの消費者』が「エコノミスト」(2016年5月24日特大号/橘川武郎氏・評)にて紹介されました。
序 章 複数のはじまり
第一節 幼年時代
第二節 間メディア性
第三節 「映画」とは何か
第四節 日活向島というマトリクス
第五節 編集と長回しの弁証法
第六節 監督、溝口健二
第七節 ナショナリズムとジェンダー
第八節 本書の構成
第一章 世界の中のミゾグチ、溝口の中の世界
第一節 日本趣味映画と「日本的なもの」
第二節 作家主義と世界映画
第三節 政治的モダニズムと日本映画
第四節 歴史映画としての『元禄忠臣蔵』
第五節 異化としての歴史化
第六節 溝口健二の「帝国」の映画
第二部 トーキーの間メディア美学
第二章 革命前夜──溝口健二の『唐人お吉』(一九三〇年)
第一節 はじめに
第二節 溝口健二の「映画言語の進化」
第三節 幕末のモガ──お吉とアメリカニズム
第四節 間メディア装置としての「お吉ブーム」
第五節 パフォーマンスとテクスト、注意散逸
第三章 映画の第四次元──溝口健二の一九三五年
第一節 はじめに──『折鶴お千』の境界性
第二節 一九三五年、日本
第三節 トーキー美学の誕生
第四節 『折鶴お千』、反時代的映画
第五節 音声と奥行き
第六節 前景構図の盛衰
第四章 「風俗」という戦場──内務省の検閲
第一節 はじめに──『浪華悲歌』の場合
第二節 検閲官という仕事
第三節 「検閲内規」の世界──『折鶴お千』を中心に
第四節 『祇園の姉妹』の善導
第三部 溝口の「女性映画」──松竹京都時代
第五章 芸道物考
第一節 はじめに──芸道と逃道
第二節 芸道物の誕生──『鶴八鶴次郎』、ハリウッド、「新しい女性」
第三節 ミッシング・リンクとしての『月夜鴉』
第四節 芸道物としての『残菊物語』
第五節 芸道物のゆくえ
第六章 占領下の女性解放──大衆フェミニスト・プロパガンダとしての溝口映画
第一節 はじめに
第二節 松竹大船女性映画としての『女性の勝利』
第三節 芸術と性愛──『歌麿をめぐる女たち』と『女優須磨子の恋』
第四節 「好色一代女」と『夜の女たち』
第五節 『我が恋は燃えぬ』
第四部 「現代映画」としての溝口作品
第七章 欲望の演出と妊娠の身体
第一節 はじめに──範例的シークェンスとしてのもとの告白
第二節 演出とは何か
第三節 妊娠の身体
1 りくの妊娠
2 時間イメージ──だからわれわれに一つの身体を与えて下さい
3 『西鶴一代女』
4 長回しと墜落
5 溝口映画の身体性
第八章 伝統と近代──溝口健二のポスト占領期
第一節 溝口健二のポスト占領期
第二節 絵巻物モンタージュ
第三節 閉域と性愛
第四節 『赤線地帯』の反時代性
あとがき
参考文献
映画題名索引
人名索引 トーキー化と長回しと縦の構図によって時空間を変容し、植民地主義や女性の人権蹂躙など矛盾をはらむ重層性を女性の身体を通して露呈させ、占領下の女性の解放を言祝ぎ、贈与交換に基づく権力関係に立脚した欲望を演出し、映画概念を拡張し続けた溝口健二に対峙して、ショットを分析記述し、検閲記録や撮影台本などの一次資料調査から、映画史、映画理論、メディア論、身体論、ジェンダー論など学際的な横断において映画学が本来有する力を発揮し、溝口健二の映画へとさらに眼差しを向かわせる画期的研究。
藤田正勝編『思想間の対話』が、「比較思想研究 第42号」(2016年3月31日発行/頼住光子氏・評)にて紹介されました。
ロバート・ロス著/平田雅博訳『洋服を着る近代』が、「サライ」(2016年6月号/住友和子氏・評)にて紹介されました。
凡例
第Ⅰ部 哲学の伝統との対話──古代ギリシアから近代ドイツまで
導入 伝統との対決──存在の歴史【秋富克哉】
1 アナクシマンドロス、ヘラクレイトス、パルメニデス──原初の思索家たち【日下部吉信】
2 プラトン──豊かな暗闇【小島和男】
3 アリストテレス──『形而上学』第一巻第一〜二章が人を感激させる理由【坂下浩司】
4 パウロ、アウグスティヌス──キリスト教における事実的生の経験の解釈学【片柳榮一】
5 トマス、スコトゥス、スアレス──「スコラ哲学」の解体と再建【山本芳久】
コラム① エックハルト──ハイデガーとドイツ神秘主義【上田閑照】
コラム② 老子──ハイデガーと中国道家思想【中島隆博】
コラム③ 親鸞──ハイデガーと日本仏教思想【大峯顯】
6 ルター、パスカル、キルケゴール──〈形而上学の克服〉のモチーフ【茂牧人】
7 デカルト──存在と実存─「私」と「現」における【小泉義之】
8 ライプニッツ──終生の「共同思索者」【酒井潔】
9 カント──超越論的構想力と構想─暴力【宮崎裕助】
10 シェリング──『自由論』解釈と「無底」問題【森哲郎】
11 ヘーゲル──六つのテーマに即して【大橋良介】
コラム④ フィヒテ──ハイデガーとドイツ観念論【美濃部仁】
第Ⅱ部 二十世紀の潮流のなかで──思索者たちの遭遇
12 ニーチェ、ヴェーバー──「学問の危機」をめぐって【竹内綱史】
13 ディルタイ、ヨルク──『存在と時間』成立の一大ドキュメント【的場哲朗】
14 ベルクソン、マルセル──希望をめぐって【戸島貴代志】
15 ブレンターノ、シェーラー──動物の心をめぐって【吉川孝】
16 フッサール──発生と解体【榊原哲也】
17 リッカート、ラスク、カッシーラー──新カント派との交差点【渡辺和典/庄子綾】
コラム⑤ マルクス──ハイデガーとマルクス主義【熊野純彦】
コラム⑥ バルト、ブルトマン、ティリッヒ──ハイデガーと二十世紀神学【芦名定道】
18 ヤスパース──かつての盟友からの視角【中山剛史】
19 ガダマー──存在の思索の解釈学的転回【佐々木一也】
20 アーレント──良心をめぐって【森一郎】
21 ヨーナス──グノーシス、自然哲学、科学技術倫理【安部浩】
22 レーヴィット、アンダース、マルクーゼ──三人の弟子たちのそれぞれの道【小松恵一】
23 サルトル、メルロ=ポンティ──フランス現象学の双星【本郷均】
コラム⑦ シュタイン、フィンク、パトチカ──ハイデガーとフライブルク現象学【陶久明日香】
コラム⑧ ビンスヴァンガー、ブランケンブルク、木村敏──ハイデガーと精神医学【野間俊一】
第Ⅲ部 ハイデガー以後と現代思想──他なる思考の競演
24 ブロッホ、ローゼンツヴァイク、ベンヤミン──反転する時間、革命としての歴史【柿木伸之】
25 アドルノ、ハーバーマス、ホネット──危機の時代の生存と哲学【入谷秀一】
26 リクール──「短い道」と「長い道」【杉村靖彦】
27 レヴィナス──私の死と他人の死【小手川正二郎】
28 フーコー、ドゥルーズ──主体と真理、存在と出来事【廣瀬浩司/増田靖彦】
29 デリダ──「脱構築」の形成【加藤恵介】
コラム⑨ アガンベン、ナンシー、バディウ──ハイデガーと「脱構築」以後【三松幸雄】
コラム⑩ アンリ──ハイデガーと生の現象学【川瀬雅也】
コラム⑪ ラカン──ハイデガーと精神分析【立木康介】
30 カルナップ、ウィトゲンシュタイン──形而上学的なものをめぐる誤解と理解【荒畑靖宏】
31 テイラー、ローティ、ブランダム──点と線、鏡、そして理由の空間へ【乘立雄輝】
32 鈴木大拙、西田幾多郎、田邊元──三通りの出会いとすれ違い【松丸壽雄】
33 三木清、西谷啓治──アリストテレス解釈から未完の構想力論へ【秋富克哉】
34 和辻哲郎、九鬼周造──「他者」との共同性をめぐって【古荘真敬】
35 三宅剛一、辻村公一、渡邊二郎、川原栄峰──有限性、絶対性、本来性【佐野之人/松本直樹】
コラム⑫ ブルーメンベルク──ハイデガーと哲学史考【齋藤元紀】
付録 「ハイデガーと哲学史・現代思想」に関する文献案内【監修:齋藤元紀/陶久明日香/松本直樹】
人名・著作名索引【作成協力:庄子綾/渡辺和典】
図版・装丁=中野仁人 生涯の思索をつぶさにたどった決定版の入門書『ハイデガー読本』の続編。古代以来の哲学史と現代思想の流れのうちにハイデガーを位置づけ、その開かれた窓を通して精神史全体を眺望する。古今の思想家との緊張にみちた対決・交渉・影響関係を描き出し、日本での受容史をも一望。精鋭執筆陣50名の知を結集した必携の一冊! ■著者(掲載順)
日下部 吉信(クサカベ ヨシノブ) 1946年生。立命館大学特任教授。著書:『ギリシア哲学と主観性』(法政大学出版局),『ハイデガーと西洋形而上学』(晃洋書房)。
小島 和男(コジマ カズオ) 1976年生まれ。学習院大学准教授。著書:『プラトンの描いたソクラテス』(晃洋書房),共著:『面白いほどよくわかるギリシャ哲学』(日本文芸社)。
坂下 浩司(サカシタ コウジ) 1965年生。南山大学教授。著書:『アリストテレスの形而上学』(岩波書店),訳書:アリストテレス『動物部分論・動物運動論・動物進行論』(京都大学学術出版会)。
片柳 榮一(カタヤナギ エイイチ) 1944年生。聖学院大学客員教授。著書:『初期アウグスティヌス哲学の形成』(創文社),共著:The Depth of the Human Person(Wm. B. Eerdmans Publishing).
山本 芳久(ヤマモト ヨシヒサ) 1973年生。東京大学准教授。著書:『トマス・アクィナスにおけるの存在論』(知泉書館),『トマス・アクィナス 肯定の哲学』(慶應義塾大学出版会)。
上田 閑照(ウエダ シズテル) 1926年生。京都大学名誉教授。著書:『上田閑照集』(全11巻,岩波書店),Wer und was bin ich? Zur Phänomenologie des Selbst im Zen-buddhismus(Karl Alber).
中島 隆博(ナカジマ タカヒロ) 1964年生。東京大学教授。著書:『悪の哲学──中国哲学の想像力』(筑摩書房),編著書:『コスモロギア──天・化・時』(法政大学出版局)。
大峯 顯(オオミネ アキラ) 1929年生。大阪大学名誉教授。著書:『フィヒテ研究』(創文社),『花月の思想』(晃洋書房),『親鸞のコスモロジー』『親鸞のダイナミズム』『宗教の授業』(法蔵館)。
茂 牧人(シゲル マキト) 1958年生。青山学院大学教授。著書:『ハイデガーと神学』(知泉書館),共著:『ハイデガー哲学は反ユダヤ主義か』(水声社)。
小泉 義之(コイズミ ヨシユキ) 1954年生。立命館大学教授。著書:『兵士デカルト──戦いから祈りへ』(勁草書房),『デカルト哲学』(講談社学術文庫)。
酒井 潔(サカイ キヨシ) 1950年生。学習院大学教授。著書:『世界と自我』(創文社),『ライプニッツのモナド論とその射程』(知泉書館),『ライプニッツ』(清水書院),『自我の哲学史』(講談社)。
宮﨑 裕助(ミヤザキ ユウスケ) 1974年生。新潟大学准教授。著書:『判断と崇高──カント美学のポリティクス』(知泉書館),共訳書:デリダ『哲学への権利2』(みすず書房)。
森 哲郎(モリ テツロウ) 1950年生。京都産業大学教授。共著:『世界史の理論』『禅と京都哲学』(以上,燈影舎),『モデルネの翳り』(晃洋書房)。
大橋 良介(オオハシ リョウスケ) 1944年生。日独文化研究所所長。著書:『感性の精神現象学』(創文社),編著:『ハイデッガーを学ぶ人のために』(世界思想社)。
美濃部 仁(ミノベ ヒトシ) 1963年生。明治大学教授。共著:『思想間の対話』(法政大学出版局),『フィヒテ知識学の全容』(晃洋書房),論文:Selbstnegation des Wissens(Fichte-Studien Bd. 43).
竹内 綱史(タケウチ ツナフミ) 1977年生。龍谷大学准教授。共著:『哲学と大学』(未來社),論文:「ニーチェにおけるニヒリズムと身体」(『宗教哲学研究』第33号)。
的場 哲朗(マトバ テツロウ) 1949年生。白鴎大学教授。共編著:『ハイデッガー『存在と時間』の現在』(南窓社),編著:『第一次世界大戦と現代』(丸善プラネット)。
戸島 貴代志(トシマ キヨシ) 1958年生。東北大学教授。著書:『創造と想起──可能的ベルクソニズム』(理想社)。論文:「ふるさとの音」(『「地域」再考 復興の可能性を求めて』東北大学出版会)。
吉川 孝(ヨシカワ タカシ) 1974年生。高知県立大学准教授。著書:『フッサールの倫理学──生き方の探究』(知泉書館),論文:「アクラシアの現象学」(『現象学年報』第30号)。
榊原 哲也(サカキバラ テツヤ) 1958年生。東京大学教授。著書:『フッサール現象学の生成[方法の成立と展開]』(東京大学出版会)。共訳書:フッサール『イデーンⅡ-Ⅱ』(みすず書房)。
渡辺 和典(ワタナベ カズノリ) 1975年生。学習院大学ほか非常勤講師。著書:『最初期ハイデッガーの意味論──発生・形成・展開』(晃洋書房),共著:『科学と技術への問い』(理想社)。
庄子 綾(ショウジ アヤ) 1978年生。上智大学大学院博士後期課程。共訳:ラスク「哲学の論理学とカテゴリー論」(『哲学科紀要』上智大学,第40号),『科学と技術への問い』(理想社)。
熊野 純彦(クマノ スミヒコ) 1958年生。東京大学教授。著書:『マルクス 資本論の思考』(せりか書房),訳書:ハイデガー『存在と時間』(岩波文庫)。
立木 康介(ツイキ コウスケ) 1968年生。京都大学准教授。著書:『露出せよ,と現代文明は言う』(河出書房新社),『狂気の愛,狂女への愛,狂気のなかの愛』(水声社)。
芦名 定道(アシナ サダミチ) 1956年生。京都大学教授。著書:『ティリッヒと弁証神学の挑戦』(創文社),『自然神学再考──近代世界とキリスト教』(晃洋書房)。
中山 剛史(ナカヤマ ツヨシ) 1963年生。玉川大学教授。共編著:『精神医学と哲学の出会い──脳と心の精神病理』(玉川大学出版部),『始まりのハイデガー』(晃洋書房)。
佐々木 一也(ササキ カズヤ) 1954年生。立教大学教授。論文「精神科学の現代的意味」(『ディルタイ年報』第24号),分担執筆「Ⅵ ガーダマー」(『哲学の歴史10』中央公論新社)。
小松 恵一(コマツ ケイイチ) 1954年生。仙台大学教授。論文:「『否定弁証法』は『啓蒙の弁証法』の徹底であるか」(『思索』第47号),「森鴎外とカール・レーヴィット覚書」(『ヨーロッパ研究』第6号)。
本郷 均(ホンゴウ ヒトシ) 1959年生。東京電機大学教授。論文:「中間領域の創造性について」(『研究紀要』),共訳書:ディディエ・フランク『現象学を超えて』(萌書房)。
陶久 明日香(スエヒサ アスカ) 1973年生。成城大学准教授。著書:Die Grundstimmung Japans(Peter Lang),論文:「ハイデッガーにおける気分論の形成」(『現象学年報』第29号)。
柿木 伸之(カキギ ノブユキ) 1970年生。広島市立大学准教授。著書:『ベンヤミンの言語哲学』(平凡社),『パット剝ギトッテシマッタ後の世界ヘ──ヒロシマを想起する思考』(インパクト出版会)。
入谷 秀一(ニュウヤ シュウイチ) 1975年生。龍谷大学講師。著書:『ハイデガー──ポスト形而上学の時代の時間論』『かたちある生──アドルノと批判理論のビオ・グラフィー』(以上,大阪大学出版会)。
杉村 靖彦(スギムラ ヤスヒコ) 1965年生。京都大学准教授。著書:『ポール・リクールの思想 意味の探索』(創文社),共編著:Philosophie japonaise. Le néant, le monde et le corps(J. Vrin).
小手川 正二郎(コテガワ ショウジロウ) 1983年生。國學院大學准教授。著書:『甦るレヴィナス』(水声社),
論文:「いかにして「自己の内なる良心」に目覚めるのか」(『ハイデガー・フォーラム』第8号)。
廣瀬 浩司(ヒロセ コウジ) 1963年生。筑波大学教授。著書:『デリダ──きたるべき痕跡の記憶』(白水社),『後期フーコー』(青土社),共著:『知の教科書 デリダ』(講談社)。
増田 靖彦(マスダ ヤスヒコ) 1967年生。龍谷大学准教授。共編著:『ヨーロッパ現代哲学への招待』(梓出版社),共訳書:ドゥルーズ+パルネ『ディアローグ ドゥルーズの思想』(河出文庫)。
加藤 恵介(カトウ ケイスケ) 1958年生。神戸山手大学教授。共著:トラヴニー・中田・齋藤編『ハイデガー哲学は反ユダヤ主義か』(水声社),訳書:ナンシー『複数にして単数の存在』(松籟社)。
三松 幸雄(ミツマツ ユキオ) 明治大学兼任講師。論文:「「芸術」以後──音楽の零度より」(『21世紀の哲学をひらく』ミネルヴァ書房),共編訳書:B. Newman: The Stations of the Cross(Miho Museum/NGA).
川瀬 雅也(カワセ マサヤ) 1968年生。島根大学准教授。著書:『経験のアルケオロジー──現象学と生命の哲学』(勁草書房),訳書:『ミシェル・アンリ──生の現象学入門』(勁草書房)。
野間 俊一(ノマ シュンイチ) 1965年生。京都大学講師。著書:『解離する身体』(みすず書房),『身体の時間──〈今〉を生きるための精神病理学』(筑摩書房)。
荒畑 靖宏(アラハタ ヤスヒロ) 1971年生。慶應義塾大学准教授。著書:Welt-Sprache-Vernunft (Ergon),『世界内存在の解釈学──ハイデガー「心の哲学」と「言語哲学」』(春風社)。
乘立 雄輝(ノリタテ ユウキ) 1968年生。東京女子大学教授。論文:「オッカムからヒュームへ」(『西洋哲学史4』講談社),「世界はなぜ,このように存在しているのか」(『RATIO3』講談社)。
松丸 壽雄(マツマル ヒサオ) 1945年生。獨協大学教授。著書:『直接知の探求』(春風社),論文:Tanabe und Heidegger. Fragendes Kreisen um den Tod(Heidegger-Jahrbuch 7, Karl Alber).
佐野 之人(サノ ユキヒト) 1956年生。山口大学教授。共著:『ハイデッガーを学ぶ人のために』(世界思想社),論文:「純粋経験とは何か」(『西日本哲学年報』第23号)。
松本 直樹(マツモト ナオキ) 1966年生。同志社女子大学非常勤講師。論文:「死はいつかの出来事であるか」(『宗教哲学研究』第24号),共訳書:グレーシュ『『存在と時間』講義』(法政大学出版局)。
齋藤 元紀(サイトウ モトキ) 1968年生。高千穂大学教授。著書:『存在の解釈学──ハイデガー『存在と時間』の構造・転回・反復』,共訳書:ロックモア『カントの航跡のなかで』(以上,法政大学出版局)。
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
誠に勝手ながら、2016年5月2(月)は、創立記念に伴う特別休業とさせていただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
オットー・ペゲラー編/寄川条路監訳『ヘーゲル講義録研究』が、「図書新聞」(2016年5月7日号/福田静夫氏・評)にて紹介されました。
ペネロピ・フランクス、ジャネット・ハンター編/中村尚史、谷本雅之監訳『歴史のなかの消費者』が、「消費と生活」(2016-5・6号)にて紹介されました。
1902年ブレスラウに生まれる(本名はギュンター・シュテルン)。フッサールのもとで哲学を学び、学位取得後パリやベルリンで哲学にかんする論文を書くとともにジャーナリストとして評論活動を行なう。ハンナ・アーレントと結婚し、離婚。1933年パリへ、次いで1936年にアメリカ合衆国へ亡命し、さまざまな仕事につく。とくに工場労働者としての経験は、執筆活動の重要な契機となる。1945年以降、核に反対する活動を積極的に展開し、国際的反核運動の指導者となる。邦訳された著書に、『時代おくれの人間』上下、『世界なき人間:文学・美術論集』、『異端の思想』、『塔からの眺め』(いずれも青木隆嘉訳、法政大学出版局)、『われらはみな、アイヒマンの息子』(岩淵達治訳、晶文社)などがある。アムステルダム亡命文学賞、イタリア・レジスタンス賞、批評家賞、バイエルン美術アカデミー文学賞、オーストリア文化賞、ウィーン出版文化賞、フランクフルト市アドルノ賞などを受賞。1992年12月死去。 1932年福岡県に生まれる。京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学(哲学専攻)。大阪女子大学名誉教授。著書:『ニーチェと政治』、『ニーチェを学ぶ人のために』、共著:『実践哲学の現在』(以上、世界思想社)、『過剰としてのプラクシス』(晃洋書房)ほか。訳書:アーレント『思索日記』Ⅰ・Ⅱ(レッシング・ドイツ連邦共和国翻訳賞受賞)、カネッティ『蠅の苦しみ:断想』、ブルーメンベルク『神話の変奏』、エリアス『モーツァルト』、『ドイツ人論』、シュトラウス『始まりの喪失』、エーベリング『マルティン・ハイデガー』、ピヒト『ニーチェ』、(以上、法政大学出版局)、クリステヴァ『ハンナ・アーレント講義:新しい世界のために』(論創社)ほか。2016年2月死去。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク まえがき
はしがき
Ⅰ 哀悼される未来
Ⅱ 激変
1 全能によって大国に
2 核による全体主義
3 政治的なものの終焉
4 われわれが全能なのは、われわれが無力だからである
Ⅲ 今日における責任について
Ⅳ 核による死は自殺ではない
Ⅴ 原子力時代の退廃──無風状態への警告
Ⅵ 原子力時代への提言
ヒロシマと化した世界
〈時の終わり〉を阻む最後の時代
政治動向が核兵器を生むのではない、実態はその逆である
核は兵器ではない、われわれの敵である
核の脅威は全体主義的である
誰にでも起こることは誰も免れられない
世代間の同盟
想像を絶する虚無
われわれは逆転したユートピアンである
「プロメテウス的落差」
「閾を超えるもの」
感性は考え方を歪め、空想こそ現実的である
創造的挫折
距離の移転
比較級の終焉
権限に訴えるのは倫理的無能の証である
「行為」の廃止
現代的虚偽の嘘八百な諸形態
物化でなく疑似人間化
疑似人間の信条
敵意の不気味な消滅
Ⅶ アポカリプス不感症の根源
1 拡散
2 生活水準
補遺 時間の本質についての追記
Ⅷ 矮小化──その手口
第一の手口──危険の分類を偽る
第二の手口──怖ろしいものを控えめに言う
第三の手口──厳かに語る
第四の手口──間違った比較をする
第五の手口──反対のものを持ちだして脅す
第六の手口──茶化す
第七の手口──無知につけ込む
Ⅸ ヒポクラテスの誓い──「生産スト」問題の検討
普遍的なヒポクラテスの誓いを立てる試み
生産ストライキ
実態は分からない(Non olet)
ストライキ反対論?──二面性
知ある無知(Docta ignorantia)
二面性のある製品
専門知識(know how)と結果に関する無知(not knowing how)
原罪(Peccatum originale)と汚れなき手
追記(一九七一年)
Ⅹ 途方もない事実
Ⅺ 猶予期間
われわれの形而上学的状態の変化──人類から絶滅危惧種へ
終末論的状況︱存在論にとっての好機
「核による自殺」という言い方は正しいか
保有=使用(Habere = adhibere)
そのときには一緒に皆くたばるわけだ
逆転の法則
寡頭制の法則──被害者が増えると加害者は減る
われわれが生きているのは時代ではなく猶予期間である
神の国なきアポカリプス
キリスト教における猶予期間の曖昧さ
終わりの終焉
キリスト教的なアポカリプスと核によるアポカリプスについての補説
キリスト教的なアポカリプスと核によるアポカリプスとの対比
訳者あとがき 広島、長崎、第五福竜丸、そして、福島──われわれはいま何を考えるべきか? 日本で反核運動に参加したアンダースは、「日本では原子力時代はすでに〈経験〉になっている」と語った。われわれは自らのこの生きた経験から、核の脅威を、核兵器使用や原子力発電の問題にとどめず、いまあらたに世界全体を巻き込んでいる全体主義の問題としても受け止めねばならない。絶望することなく、いかにして世界への希望や信頼を失わずにいられるのか。その徹底的な考察がここにある。
ロバート・ロス著/平田雅博訳『洋服を着る近代』が、「出版ニュース」(2016-4 下旬号)にて紹介されました。