{"product_id":"isbn978-4-588-00960-0","title":"言説、形象（ディスクール、フィギュール）","description":"\u003cp\u003e9784588009600\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-00960-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588009605\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-00960-5\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e言説、形象（ディスクール、フィギュール）\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eゲンセツケイショウディスクールフィギュール\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e見ることと語ること、言葉と像のあいだで、意味はどのように生まれ、欲望は何を成就するのか。現象学と言語哲学、構造主義と精神分析、美学と記号学の領野を自在に移動しながら、メルロ＝ポンティやラカンを批判的に乗り越え、言説と形象の空間的厚みを比類ない知性で探究した初期リオタール哲学の頂点。翻訳不可能といわれたポスト構造主義の記念碑的著作、刊行から四〇年後の全訳。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e現象学と構造主義、精神分析と記号学を自在に移動し、意味と欲望の生成を比類ない知性で探究した、ポスト構造主義の記念碑的作品。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e現象学と構造主義、精神分析と記号学を自在に移動しながら、言説と形象の空間における意味と欲望の生成を比類ない知性で探究した、ポスト構造主義の記念碑的作品。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e形象的なものの決意\n\u003cbr\u003e　　不透明性としての形象的なもの\n\u003cbr\u003e　　真理としての形象的なもの\n\u003cbr\u003e　　出来事としての形象的なもの\n\u003cbr\u003e《意義と指示》\n\u003cbr\u003e弁証法、人差し指、形式\n\u003cbr\u003e　　体系内と体系外の否定\n\u003cbr\u003e　　弁証法と指示詞\n\u003cbr\u003e　　象徴の内在性とされるもの\n\u003cbr\u003e　　直喩の外在性とされるもの\n\u003cbr\u003e逆過程と超反省\n\u003cbr\u003e　　超反省──現象学の希望\n\u003cbr\u003e　　身振りではなく逆過程\n\u003cbr\u003e　　思考の形象──『骰子一擲』\n\u003cbr\u003e言語記号？\n\u003cbr\u003e　　いかなる不在？\n\u003cbr\u003e　　表現、意義、指示\n\u003cbr\u003e　　二重分節と抑圧\n\u003cbr\u003e体系における厚みの効果\n\u003cbr\u003e　　場\n\u003cbr\u003e　　意義から価値へ\n\u003cbr\u003e　　不透明性の強迫\n\u003cbr\u003e言説の縁にある厚み\n\u003cbr\u003e　　指向、意義、表現\n\u003cbr\u003e　　換入とその限界\n\u003cbr\u003e〈否〉と対象の定立\n\u003cbr\u003e　　〈然り〉としての〈否〉\n\u003cbr\u003e　　否定と死の欲動\n\u003cbr\u003e対立と差異\n\u003cbr\u003e　　二者択一の彼岸\n\u003cbr\u003e　　非人間の性\n\u003cbr\u003e　　対立は表意的差異である\n\u003cbr\u003e　　ある作業の痕跡\n\u003cbr\u003e　　性と配置（dispositio）\n\u003cbr\u003e　　時間は抑圧する\n\u003cbr\u003e　　側面性\n\u003cbr\u003e《欲望の「歴史」の一断章をめぐるヴェドゥータ》\n\u003cbr\u003e　　中立的空間と言説の定立\n\u003cbr\u003e　　ロマンス語のミニアチュール写本における形象とテクスト\n\u003cbr\u003e　　ロマンス語作品におけるテクストと形象\n\u003cbr\u003e　　新たな哲学の空間\n\u003cbr\u003e　　絵画的空間の回転\n\u003cbr\u003e　　逆回転\n\u003cbr\u003e《他なる空間》\n\u003cbr\u003e線と文字\n\u003cbr\u003e　　読めるものと見えるもの\n\u003cbr\u003e　　語る絵画\n\u003cbr\u003e　　幻想的エクリチュールの貧しさ\n\u003cbr\u003e　　狭間世界、幻想の彼方\n\u003cbr\u003e「夢作業は思考しない」\n\u003cbr\u003e　　Ⅰ　歪曲\n\u003cbr\u003e　　Ⅱ　隠喩と言説\n\u003cbr\u003e　　Ⅲ　二次加工の偽書記法\n\u003cbr\u003e欲望と形象的なものとの共謀\n\u003cbr\u003e　　欲望の空間\n\u003cbr\u003e　　諸形象\n\u003cbr\u003e言説における欲望\n\u003cbr\u003e　　認識と真理\n\u003cbr\u003e　　形象的なものはいかにして言説のうちに現前しているか\n\u003cbr\u003e　　現実性の乏しさに関する余談\n\u003cbr\u003e　　隠喩と身振り\n\u003cbr\u003e　　いくつかの隠喩──それらの身振りはどこにあるのか\n\u003cbr\u003e　　現象学と共同本性性\n\u003cbr\u003e　　和解としての表現\n\u003cbr\u003e　　判じ物（loquitur）\n\u003cbr\u003e　　判じ物は言説を加工する……\n\u003cbr\u003e　　……そして造形的空間を加工する\n\u003cbr\u003e　　判じ物と規則\n\u003cbr\u003e　　テクスト内主義とテクスト外主義\n\u003cbr\u003e　　意味の場所\n\u003cbr\u003e　　詩的狂気の理性的な一覧表\n\u003cbr\u003e　　誰がどのように加工するのか\n\u003cbr\u003e　　隔たりの再認とその回収\n\u003cbr\u003e　　一種の「感情的」言語\n\u003cbr\u003e　　もうひとつの「感情的言語」\n\u003cbr\u003e　　おとりは像に固執しない\n\u003cbr\u003e　　詩的なものは脱構築に固執する\n\u003cbr\u003e形説・言象、幻想のユートピア\n\u003cbr\u003e　　§１　偽起源的な場\n\u003cbr\u003e　　§２　幻想の一覧表\n\u003cbr\u003e　　§３　欲動の運命\n\u003cbr\u003e　　§４　言語代表の運命\n\u003cbr\u003e　　§５　物代表の運命\n\u003cbr\u003e　　§６　「叩く」\n\u003cbr\u003e回帰、自己‐説明、二重の逆転\n\u003cbr\u003e　　回帰と詩的なもの\n\u003cbr\u003e　　浮遊的テクスト‐対象\n\u003cbr\u003e　　シェイクスピアの挿話\n\u003cbr\u003e　　浮遊的聴取と二重の逆転\n\u003cbr\u003e　　シェイクスピアの挿話\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e解説　岸辺のない漂流　　合田正人\n\u003cbr\u003e訳者あとがき　　三浦直希\n\u003cbr\u003e図と図版の解説付き一覧／引用文献／索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジャン＝フランソワ・リオタール\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eリオタール ジャン フランソワ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジャン＝フランソワ・リオタール（Jean-François Lyotard）\n\u003cbr\u003e1924年、ヴェルサイユに生まれる。現象学とマルクス（そして後にフロイト）を思想的源泉とし、それらの批判的再検討を通じて政治、経済、哲学、美学など多方面にわたる理論的・実践的活動を展開、20世紀後半のフランスを代表する思想家・哲学者として広く知られる。パリ第八大学教授を経て、国際哲学学院長等をつとめた。『現象学』を著したのち、アルジェリアでマルクス主義の内部批判グループ「社会主義か野蛮か」に参加、戦闘的マルクス主義者として実践活動に従う。グループの内部分裂を機にパリに戻り、マルクス研究に精力的に取り組む。68年の五月革命に積極的に身を投じ、その体験の中から彼の思想的総決算ともいうべき本書『言説、形象』および『マルクスとフロイトからの漂流』を著して思想的跳躍の基盤を固め、さらに『リビドー経済』によって独自の哲学を構築した。1998年4月死去。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e合田 正人\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e合田正人\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eゴウダ マサト\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1957年生まれ。一橋大学社会学部卒業、東京都立大学大学院博士課程中退、同大学人文学部助教授を経て、明治大学文学部教授。主な著書:『レヴィナスを読む』（NHKブックス）、『レヴィナス』（ちくま学芸文庫）、『ジャンケレヴィッチ』『サルトル『むかつき』ニートという冒険』（みすず書房）、『吉本隆明と柄谷行人』（PHP新書）、主な訳書:レヴィナス『全体性と無限』（国文社）、同『存在の彼方へ』（講談社学術文庫）、デリダ『ユリシーズグラモフォン』、モーゼス『歴史の天使』、『ベルクソン講義録全四巻』（法政大学出版局）、グットマン『ユダヤ哲学』、メルロ＝ポンティ『ヒューマニズムとテロル』（みすず書房）、ベルクソン『物質と記憶』（ちくま学芸文庫）他。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e三浦 直希\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e三浦直希\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eミウラ ナオキ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1970年生まれ。上智大学外国語学部卒業、東京都立大学大学院博士課程修了。博士（文学）。上智大学ほか非常勤講師。共著『フランス現代作家と絵画』（水声社）、主な論文「レヴィナスのエコノミー─正義と慈愛のあいだ」（東京都立大学博士論文）、訳書：レヴィナス『貨幣の哲学』『困難な自由』（法政大学出版局）、シャンジュー／リクール『脳と心』、ブーレッツ『20世紀ユダヤ思想家Ⅰ』（みすず書房）、ボルタンスキー／テヴノー『正当化の理論』（新曜社）、ボルタンスキー『偉大さのエコノミーと愛』（文化科学高等研究院出版局）、コルバン他監修『身体の歴史Ⅲ』（藤原書店）他。\u003c\/p\u003e","brand":"ジャン＝フランソワ・リオタール：著, 合田 正人：監修, 三浦 直希：訳\u003cbr\u003e2011年09月21日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969612910880,"sku":"960","price":7700.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588009600_0.jpg?v=1764197154","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-00960-0","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}