{"product_id":"isbn978-4-588-00975-4","title":"時間の前で","description":"\u003cp\u003e9784588009754\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-00975-4\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588009753\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-00975-3\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e時間の前で\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジカンノマエデ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e美術史とイメージのアナクロニズム\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eビジュツシトイメージノアナクロニズム\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eベンヤミン、アインシュタイン、ヴァールブルク……。二十世紀前半、大文字の〈歴史〉の破局のなかで閃光のように出現した知の星座が形づくるイメージ人類学とは何か。連続的時間を解体する歴史の弁証法がかいま見せる「徴候」「モンタージュ」「残存」を注視しつつ、プリニウスの古代からバーネット・ニューマンの現代までを往還し、アナクロニズムとしての美術史を実践する著者の理論的画期作。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eベンヤミン、アインシュタイン、ヴァールブルク……。大文字の〈歴史〉の破局のなかで出現した知の星座は美術史に何をもたらしたか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eベンヤミン、カール・アインシュタイン、ヴァールブルク……。大文字の〈歴史〉の破局のなか、20世紀前半に出現した知の星座が美術史にもたらした革新とは何か。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序論　開け──アナクロニズム的学問としての美術史\n\u003cbr\u003e　イメージの前で──時間の前で\n\u003cbr\u003e　パラドクスと呪われた部分\n\u003cbr\u003e　あらゆる歴史はアナクロニズム的である──モンタージュ\n\u003cbr\u003e　あらゆる歴史はさまざまなアナクロニズムからなる──徴候\n\u003cbr\u003e　アナクロニズムの星座──われわれの時代を前にしての美術史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一部　アナクロニズムの考古学\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　原型‐イメージ　美術史、そして類似の系譜学\n\u003cbr\u003e　美術史はつねに二度始まる\n\u003cbr\u003e　大プリニウス──「類似は死んでいる」\n\u003cbr\u003e　顔の痕跡、法の痕跡\n\u003cbr\u003e　生成による類似と置換による類似\n\u003cbr\u003e　渦巻きとしての起源\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　悪意‐イメージ　美術史、そして時間という難問\n\u003cbr\u003e　美術史はつねに再び開始されねばならない\n\u003cbr\u003e　ヴァルター・ベンヤミン──記憶の考古学者にして屑拾い\n\u003cbr\u003e　イメージは残存する──歴史は解体される\n\u003cbr\u003e　モンタージュによる認識\n\u003cbr\u003e　万華鏡と難問──「時間はブレッツェルのような曲線を描く……」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二部　アナクロニズムの近代性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　闘争‐イメージ　反時代性、危機的経験、近代性\n\u003cbr\u003e　「美術史はあらゆる経験の闘争である……」\n\u003cbr\u003e　歴史の先端におけるカール・アインシュタイン──アナクロニズムの危険性\n\u003cbr\u003e　空間の経験と内的経験──視覚的徴候\n\u003cbr\u003e　「私の語りは体系的でない……」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　アウラ‐イメージ　〈今〉、〈むかし〉、近代について\n\u003cbr\u003e　対象の仮定──「いかなる目も見飽きることのないもの」\n\u003cbr\u003e　時間の仮定──「根源、それは今」\n\u003cbr\u003e　場の仮定──「遠さの出現」\n\u003cbr\u003e　主体の仮定──「私は主語である。私はまた動詞でもある……。」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003e原注\n\u003cbr\u003e書誌情報\n\u003cbr\u003e図版目録\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eG.ディディ＝ユベルマン著／江澤健一郎訳『イメージの前で』\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジョルジュ・ディディ＝ユベルマン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eディディ=ユベルマン,G.\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Georges Didi-Huberman）\n\u003cbr\u003e哲学者、美術史家。1953年6月13日生（サン＝テティエンヌ、フランス）。リヨン大学で哲学の学士号を取得した後、美術史の修士号を取得。その後、社会科学高等研究院（E.H.E.S.S.）で博士号を取得。1990年から社会科学高等研究院の助教授。日本語訳として『アウラ・ヒステリカ──パリ精神病院の写真図像集』（リブロポート）、『フラ・アンジェリコ──神秘神学と絵画表現』（平凡社）、『ジャコメッティ──キューブと顔』（PARCO出版）、『ヴィーナスを開く』（白水社）、『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』（人文書院）、『イメージ、それでもなお──アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』（平凡社）、『イメージの前で──美術史の目的への問い』（法政大学出版局）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e小野 康男\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e小野康男\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eオノ ヤスオ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1953年生まれ。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了（芸術学専攻）。横浜国立大学教授。共訳書にヒバード『ミケランジェロ』、リオタール『文の抗争』、同『遍歴』、同『異教入門』、フェリー『ホモ・エステティクス』（以上、法政大学出版局）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e三小田 祥久\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e三小田祥久\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eミコダ ヨシナガ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1964年生まれ。神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了（哲学専攻）。ルーヴァン＝ラ＝ヌーヴ、パリの各大学で文学、哲学・論理学史、美術史を修める。訳書にメディクス『ハプスブルク 記憶と場所──都市観相学の試み』（平凡社）、フェリー『ホモ・エステティクス』（共訳）ほか。\u003c\/p\u003e","brand":"ジョルジュ・ディディ＝ユベルマン：著, 小野 康男：訳, 三小田 祥久：訳\u003cbr\u003e2012年06月21日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969618055456,"sku":"975","price":4180.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588009754_0.jpg?v=1764197214","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-00975-4","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}