{"product_id":"isbn978-4-588-00987-7","title":"根源悪の系譜","description":"\u003cp\u003e9784588009877\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-00987-7\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588009877\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-00987-7\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e根源悪の系譜\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eコンゲンアクノケイフ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eカントからアーレントまで\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eカントカラアーレントマデ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e二十世紀の歴史に癒しえぬ傷を残した数々の大量虐殺のあとで、哲学は「悪」をどう語りうるのか。カントが創出した「根源悪」の概念を軸に、人間が罪悪を犯す生来の可能性や必然性を熟考した思想家の系譜──ヘーゲル、シェリング、ニーチェ、フロイト、レヴィナス、ヨーナス、アーレント──を鋭く一望する。弁神論による「悪」の正当化が困難な今日、倫理の根源を問い質す碩学の労作。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e二十世紀史に深い傷を残した数々の大量虐殺のあとで、哲学は悪をどう語れるのか。悪の弁神論的正当化を超えて倫理の今日的根拠を問う\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e二十世紀史に深い傷を残した数々の大量虐殺の後で、哲学は悪をどう語れるのか。人間が悪を犯す可能性や必然性を熟考した思想家の系譜を一望し、倫理の根源を問う。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序\n\u003cbr\u003e緒論\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一部　悪、意志、自由\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第一章　根源悪──自分自身と戦うカント\n\u003cbr\u003e　　悪しき格率\n\u003cbr\u003e　　根源悪\n\u003cbr\u003e　　悪魔的な悪\n\u003cbr\u003e　　無制約的な道徳的責任\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第二章　ヘーゲル──〈精神〉の治癒？\n\u003cbr\u003e　　有限者と無限者\n\u003cbr\u003e　　悪と有限性\n\u003cbr\u003e　　アダムの堕罪\n\u003cbr\u003e　　悪の必然性と正当化？\n\u003cbr\u003e　　ヘーゲル対ヘーゲル\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第三章　シェリング──悪の形而上学\n\u003cbr\u003e　　実在的な悪\n\u003cbr\u003e　　根拠と実存\n\u003cbr\u003e　　我意と闇の原理\n\u003cbr\u003e　　悪の道徳心理学\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　間奏曲\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二部　悪の道徳心理学\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第四章　ニーチェ──善悪の彼岸\n\u003cbr\u003e　　「よいとわるい」対「善と悪」\n\u003cbr\u003e　　弁証法的アイロニスト\n\u003cbr\u003e　　悪とルサンチマン\n\u003cbr\u003e　　善悪の彼岸\n\u003cbr\u003e　　悪についてニーチェから学ぶもの\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第五章　フロイト──根絶不可能な悪と両価性\n\u003cbr\u003e　　一群の兄弟たちが経験する両価性\n\u003cbr\u003e　　欲動論\n\u003cbr\u003e　　ニーチェとフロイト\n\u003cbr\u003e　　悪に対する責任\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三部　アウシュヴィッツ以後\n\u003cbr\u003e　プロローグ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第六章　レヴィナス──悪と弁神論の誘惑\n\u003cbr\u003e　　弁神論の終焉\n\u003cbr\u003e　　悪の現象学\n\u003cbr\u003e　　無限の責任\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第七章　ヨーナス──新しい責任の倫理\n\u003cbr\u003e　　ニヒリズムに対する応答\n\u003cbr\u003e　　悪とわれわれの黙示録的状況\n\u003cbr\u003e　　ヨーナスの神話を「脱神話化する」\n\u003cbr\u003e　　ヨーナスとレヴィナス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　第八章　アーレント──根源悪と悪の陳腐さ\n\u003cbr\u003e　　余計さ、自発性、複数性\n\u003cbr\u003e　　悪の意図と動機？\n\u003cbr\u003e　　アイヒマン──人間的な、あまりに人間的な\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e結論\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e原注\n\u003cbr\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003e文献一覧\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eリチャード・J.バーンスタイン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eバーンスタイン リチャード ジェイコブ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Richard J. Bernstein）\n\u003cbr\u003e1932年生まれ。ペンシルヴァニア大学、マサチューセッツ工科大学などを経て現在はニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチに所属。主としてプラグマティズムを研究するが、ヨーロッパ大陸の哲学にも造詣が深い。今は亡きリチャード・ローティの思想的盟友としても知られる。単著に『ジョン・デューイ』、『実践と行為』、『科学・解釈学・実践』（邦訳、岩波書店）、『手すりなき思考』（邦訳、産業図書）、『ハーバーマスとモダニティ』、『ハンナ・アーレントとユダヤ人問題』、『フロイトとモーゼ神話』、『悪の濫用』および『プラグマティズム的転回』がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e阿部 ふく子\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e阿部ふく子\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eアベ フクコ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1981年生まれ。日本学術振興会特別研究員（新潟大学）。共著書に『ヘーゲル体系の見直し』（理想社）、論文に「哲学と人間形成──ニートハンマーとシェリングの教養形成論をめぐって」（『シェリング年報』第19号）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e後藤 正英\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e後藤正英\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eゴトウ マサヒデ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1974年生まれ。佐賀大学准教授。共著書に『ユダヤ人と国民国家──「政教分離」を再考する』（岩波書店）、『ドイツ観念論を学ぶ人のために』（世界思想社）、共訳書に『シェリング著作集 （1b） 自然哲学』（燈影舎）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e齋藤 直樹\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e齋藤直樹\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eサイトウ ナオキ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1970年生まれ。盛岡大学准教授。共著書に『21世紀の哲学史』（昭和堂）、共訳書にブプナー『美的経験』（法政大学出版局）、論文に「ツァラトゥストラの「言語」──情動的言語使用の音楽的基礎」『理想』（第684号）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e菅原 潤\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e菅原潤\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eスガワラ ジュン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1963年生まれ。長崎大学大学院教授。著書に『環境倫理学入門──風景論からのアプローチ』（昭和堂）、『「近代の超克」再考』（晃洋書房）、『昭和思想史とシェリング──哲学と文学の間』（萌書房）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e田口 茂\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e田口茂\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eタグチ シゲル\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1967年生まれ。北海道大学大学院准教授。著書に『フッサールにおける〈原自我〉の問題』（法政大学出版局）、論文に「「私」の定義としての「身代わり」──主体の唯一性と留保なき普遍性をめぐって」『現代思想 総特集・レヴィナス』（40巻3号）ほか。\u003c\/p\u003e","brand":"リチャード・J.バーンスタイン：著, 阿部 ふく子：訳, 後藤 正英：訳, 齋藤 直樹：訳, 菅原 潤：訳, 田口 茂：訳\u003cbr\u003e2013年01月29日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969621791008,"sku":"987","price":4950.0,"currency_code":"JPY","in_stock":false}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588009877_0.jpg?v=1764197264","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-00987-7","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}