{"product_id":"isbn978-4-588-01015-6","title":"創造と狂気","description":"\u003cp\u003e9784588010156\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-01015-6\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588010158\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-01015-8\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e創造と狂気\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eソウゾウトキョウキ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e精神病理学的判断の歴史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eセイシンビョウリガクテキハンダンノレキシ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eミシェル・フーコーの「講義録」の校訂編集などでも知られる哲学者が提示する、新たな《狂気の歴史》。芸術、とりわけ〈書くこと＝エクリチュール〉と、狂気の関係は創造においてどのように問われてきたのか。本書は、フーコーの「作品の不在」という概念に応答しつつ、精神医学の文献という明確に限定された資料体の研究によって、芸術と狂気との総合が問題となる歴史と、それが文化的事象となる瞬間を記述する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eフーコーの「作品の不在」という概念に応答しつつ提示される新たな《狂気の歴史》。芸術と狂気の関係はどのように問われてきたのか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eフーコーの「講義録」の編集で著名な哲学者が提示する新たな《狂気の歴史》。芸術と狂気との総合が問題となる歴史と、それが文化的事象となる瞬間を記述する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eはじめに\n\u003cbr\u003e１　問題提示の原則\n\u003cbr\u003e２　内在性の原則\n\u003cbr\u003e３　言表主体の中立性の原則\n\u003cbr\u003e４　フィクションの原則\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅰ部　法医学的アプローチ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第１章　診断の諸原則\n\u003cbr\u003e１　決定的証言\n\u003cbr\u003e２　触知可能な狂気\n\u003cbr\u003e３　書くことの罠\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第２章　分類の魔\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第３章　エクリチュールの震え\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第４章　ヒステリーのエクリチュール、自動記述\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅱ部　病んだ天才の歴史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第１章　シャラントンの偉人廟\n\u003cbr\u003e１　文学の中の狂気\n\u003cbr\u003e２　狂人たちの回廊\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第２章　幻覚にとらわれた人\n\u003cbr\u003e１　民主的な狂気\n\u003cbr\u003e２　聖なる幻覚\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第３章　神経のトランス\n\u003cbr\u003e１　神経症としての天才\n\u003cbr\u003e２　真なるもの、健全なるもの、同一なるもの\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第４章　優秀変質者\n\u003cbr\u003e１　神経障害の一族\n\u003cbr\u003e２　ロンブローゾ─天才の癲癇気質の変質的精神病\n\u003cbr\u003e３　ノルダウ、民族の黄昏\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第５章　標準を超えるもの\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅲ部　芸術家としての狂人の肖像\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第１章　詩人とその狂気\n\u003cbr\u003e１　狂気のエクリチュール\n\u003cbr\u003e２　狂人文学者と文書資料\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第２章　裁き手を前にした狂人芸術家\n\u003cbr\u003e１　精神科医と裁判官\n\u003cbr\u003e２　精神科医とジャーナリスト\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第３章　子ども、芸術家、野蛮人、狂人\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e結論\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e訳者解説\n\u003cbr\u003e参考文献\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eF.グロ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eグロ フレデリック\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Frédéric GROS）\n\u003cbr\u003e1965年生まれ。パリ東（クレテイユ）大学哲学教授。パリの高等師範学校（ENS）で学び、哲学教授資格を取得。1999年にミシェル・フーコーについての研究「認識の理論と知の歴史」で博士号を取得。その後は、フーコーに関する著作を刊行する他、精神医学、正義と暴力といったフーコーの思想に触発された大きなテーマを軸に研究を行っている。フーコーのコレージュ・ド・フランス講義集の編者でもある。邦訳されている『ミシェル・フーコー』（白水社）、『フーコーと狂気』（法政大学出版局）の他に、未邦訳の著書として『暴力状態──戦争の終焉についてのエッセー』『歩く──ある哲学』『安全原則』などがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e澤田 直\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e澤田直\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eサワダ ナオ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1959年、東京生まれ。パリ第１大学哲学科博士課程修了（哲学博士）。立教大学文学部教授、専門はフランス現代思想、フランス語圏文学。著書に『〈呼びかけ〉の経験─サルトルのモラル論』（人文書院）、『新・サルトル講義──未完の思想、実存から倫理へ』（平凡社）、『ジャン＝リュック・ナンシー──分有のためのエチュード』（白水社）、訳書に、ジャン＝ポール・サルトル『言葉』『真理と実存』（以上、人文書院）、『自由への道』（共訳、岩波文庫）、ジャン＝リュック・ナンシー『自由の経験』（未來社）、フェルナンド・ペソア『ペソア詩集』（思潮社）『新編 不穏の書、断章』（平凡社）、フィリップ・フォレスト『さりながら』（白水社）『荒木経惟 つひのはてに』『夢、ゆきかひて』（以上、共訳、白水社）などがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e黒川 学\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e黒川学\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eクロカワ マナブ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1958年、神奈川県生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。明治大学、青山学院大学非常勤講師。フランス文学。共著に『サルトル──21世紀の思想家』（思潮社）、『サルトル読本』（法政大学出版局、近刊）、共訳に、ベルナール＝アンリ・レヴィ『サルトルの世紀』（藤原書店）、サルトル『家の馬鹿息子』第4巻（人文書院、近刊）他。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「図書新聞」（2014年12月20日号、2014年下半期読書アンケート／小倉孝誠氏・評）に紹介されました。\u003c\/p\u003e","brand":"F.グロ：著, 澤田 直：訳, 黒川 学：訳\u003cbr\u003e2014年07月31日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969645285664,"sku":"1015","price":3960.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588010156_0.jpg?v=1764197377","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-01015-6","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}