{"product_id":"isbn978-4-588-01036-1","title":"熱のない人間","description":"\u003cp\u003e9784588010361\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-01036-1\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588010360\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-01036-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e熱のない人間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eネツノナイニンゲン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e治癒せざるものの治療のために\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eチユセザルモノノチリョウノタメニ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e治療の目的は病いの治癒であり健康の回復だが、治療は必ずしも治癒をもたらさない。多発性の関節炎を伴う自己免疫疾患に苦しむ自身の体験から書かれた本書は、現代の医療がその中心的目標とする「治癒」の概念、その基底にある「健康」観、「生命」観を問い直す。「治癒をもたらすことなく治療することは可能か」。治療の技術が、病む人の生に寄り添うものとなるために、新たな哲学が誕生する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e現代医療における「治癒」の概念、その基底にある「健康」観、「生命」観を問い直し、ケアの思想と治療の哲学に新たな地平を切り開く。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e現代医療がその中心的目標とする治癒の概念、その基底にある健康観、生命観を問い直す。治療の技術が病む人の生に寄り添うものとなるための新たな哲学の誕生。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e前言\n\u003cbr\u003e　治癒をもたらすことなく治療することは可能か\n\u003cbr\u003e　治療とは治癒をもたらすことではない\n\u003cbr\u003e　人間、病理学的動物としての\n\u003cbr\u003e　すべてを治療するという幻想\n\u003cbr\u003e　傷つきやすさに寄り添う治療\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅰ部　社会を治癒させる、新しいユートピア\n\u003cbr\u003e第１章　病いなき人間\n\u003cbr\u003e　人間を改良する\n\u003cbr\u003e　私たちの見知らぬ身体\n\u003cbr\u003e　解剖学の教え\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第２章　完璧な健康、不可能な健康\n\u003cbr\u003e　医療の大量摂取？　医療化過剰についての批判\n\u003cbr\u003e　あら皮\n\u003cbr\u003e　義務としての、労働としての健康\n\u003cbr\u003e　保証としての医療\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第３章　治療の領域の拡張\n\u003cbr\u003e　思想の舞台における「ケア」\n\u003cbr\u003e　脆弱さと傷つきやすさ\n\u003cbr\u003e　些末なことで騒いでいる？「知ったことじゃない（Who cares?）」\n\u003cbr\u003e　患者の自律性──問い直される治療の政治\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅱ部　治療することと苦しめること、治癒をもたらすことなく治療すること\n\u003cbr\u003e第１章　治療の中の暴力\n\u003cbr\u003e　試練としての治療──侵入の暴力、剝奪の経験\n\u003cbr\u003e　戦場に足を踏み入れる\n\u003cbr\u003e　皮を剝がれた人間\n\u003cbr\u003e　侵入者\n\u003cbr\u003e　寄生的暴力\n\u003cbr\u003e　社会的諸関係の暴力の再生\n\u003cbr\u003e　制度的暴力\n\u003cbr\u003e　「取るに足らない」暴力\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第２章　苦しむ治療者たち\n\u003cbr\u003e　治療と恐怖\n\u003cbr\u003e　医療教育、あるいは暴力への参入儀礼\n\u003cbr\u003e　死を飼い慣らす──エロスとタナトス\n\u003cbr\u003e　嘲弄、暴力へのもうひとつの応答\n\u003cbr\u003e　傷つきやすい治療者たち\n\u003cbr\u003e　自己を危険にさらす\n\u003cbr\u003e　治療の起源としての苦しみ？\n\u003cbr\u003e　介護者の疲れ\n\u003cbr\u003e　消耗と躍動のあいだにある治療\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第３章　治癒をもたらすことなく治療すること\n\u003cbr\u003e　治療の無益さ、選択の重さ\n\u003cbr\u003e　死にゆく者の孤独\n\u003cbr\u003e　治癒せざるものの医療\n\u003cbr\u003e　最後まで治療を担う\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e結論──人々はますます病んでいるのだろうか\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003e訳注\n\u003cbr\u003e原注\n\u003cbr\u003e参考文献\n\u003cbr\u003e事項索引\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eクレール・マラン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eマラン クレール\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Claire Marin）\n\u003cbr\u003e1974年、パリに生まれる。2003年にパリ第四大学（ソルボンヌ）で哲学の博士号を取得。現在は「現代フランス哲学研究国際センター」のメンバーを務めるとともに、高校の教員として哲学を教える。自らが多発性の関節炎をともなう自己免疫疾患に苦しめられ、厳しい治療生活を送ってきた患者（当事者）でもあり、その経験を起点として、「病い」と「医療」に関する哲学的な省察へと歩みを進め、精力的な著作活動を続けている。著書に、『病いの暴力、生の暴力』（Violences de la maladie, violence de la vie, Armand Colin, 2008）、『病い、内なる破局』（La maladie, catastrophe intime, PUF, 2014）、自らの経験を小説として綴った作品『私の外で』（鈴木智之訳、ゆみる出版、2015年）などがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e鈴木 智之\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e鈴木智之\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eスズキ トモユキ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1962年生まれ。法政大学社会学部教授。著書に、『村上春樹と物語の条件――『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』（青弓社、2009年）、『眼の奥に突き立てられた言葉の銛――目取真俊の〈文学〉と沖縄戦の記憶』（晶文社、2013年）、『ケアとサポートの社会学』（共著、法政大学出版局、2007年）、『ケアのリアリティ――境界を問いなおす』（共著、法政大学出版局、2012年）。訳書に、Ｊ・デュボア『探偵小説あるいはモデルニテ』（法政大学出版局、1998年）、Ａ・Ｗ・フランク『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』（ゆみる出版、2002年）、Ｂ・ライール『複数的人間――行為のさまざまな原動力』（法政大学出版局、2013年）などがある。\u003c\/p\u003e","brand":"クレール・マラン：著, 鈴木 智之：訳\u003cbr\u003e2016年02月10日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969666584864,"sku":"1036","price":4180.0,"currency_code":"JPY","in_stock":false}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588010361_0.jpg?v=1764197464","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-01036-1","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}