{"product_id":"isbn978-4-588-01062-0","title":"ラディカル無神論","description":"\u003cp\u003e9784588010620\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-01062-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e458801062X\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-01062-X\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eラディカル無神論\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eラディカルムシンロン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eデリダと生の時間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eデリダトセイノジカン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e痕跡の時間構造と自己免疫性の論理より導かれるデリダのあまりにもラディカルな無神論は、神を否定するにとどまらず、神すらも有限の時間のもとで堕落・汚染・変質の脅威に曝されるものとみなした。神の脱構築を通じて〈生き延び〉の思考を練り上げたデリダと、カント、フッサール、レヴィナス、ラクラウらとの決定的な差異を鮮やかに指摘する俊英の哲学的主著。日本語版付録としてメイヤスー批判論文を収録する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e神を超える時間的有限性を措定したデリダのラディカル無神論を鍵概念として、有限性のうちにのみに開かれる脱構築の可能性を論じる。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e神を超える時間的有限性を措定したデリダのラディカル無神論を鍵概念として、有限性のうちにある死すべき者のみに開かれる脱構築の可能性を論じた論争的書物。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序　文\n\u003cbr\u003e第一章　時間の自己免疫性──デリダとカント\n\u003cbr\u003e第二章　原‐エクリチュール──デリダとフッサール\n\u003cbr\u003e第三章　原‐暴力──デリダとレヴィナス\n\u003cbr\u003e第四章　生の自己免疫性──デリダのラディカル無神論\n\u003cbr\u003e第五章　デモクラシーの自己免疫性──デリダとラクラウ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e付録　ラディカル無神論的唯物論──メイヤスー批判\n\u003cbr\u003e訳者解説\n\u003cbr\u003e文献一覧\n\u003cbr\u003e索　引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eマーティン・ヘグルンド\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eヘグルンド マーティン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Martin Hägglund）\n\u003cbr\u003e1976年スウェーデンに生まれる。博士（比較文学）。現在、イェール大学教授（人文学）。本書でも提示されている「ラディカル無神論」というキーワードをもとに、デリダの思想だけでなく現代哲学にも積極的に応答し、独自の思想を展開している。著書は本書の他にKronofobi: Essäer om tid och ändlighet （Östlings Bokförlag Symposion, 2002）、Dying for Time: Proust, Woolf, Nabokov （Cambridge, MA: Harvard University Press, 2012）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e吉松 覚\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e吉松覚\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eヨシマツ サトル\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1987年生まれ。2016-7年度フランス政府給費留学生としてパリ西大学博士課程およびパリ高等師範学校に在籍中。哲学およびフランス思想専攻。共著にOcchi e sguardi nelle filosofia e nelle arti, Universitalia, 2015、主な論文に「遅延と切迫」（『人間・環境学』24号、2015年）、主な翻訳にジャック・デリダ「新造語、新〜主義、ポスト〜主義、寄生およびその他の小さな地震現象についての、いくつかの声明と自明の理」（『思想』第1088号）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e島田 貴史\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e島田貴史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eシマダ タカフミ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1986年生。東京大学大学院博士後期課程。フランス 現代思想専攻。論文に“The Idea of History as Difference of Force: Derrida Reading Nietzsche and Heidegger” （UTCP Booklet 27）、翻訳にマイケル・ナース「デリダ最盛期」（共訳、『現代思想』2015年2月臨時増刊号）、ユージーン・サッカー「二一世紀のための生哲学」（共訳、『現代思想』2015年6月号）、ユージーン・サッカー「絶滅と存在についての覚え書き」（『現代思想』2015年9月号）。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e松田 智裕\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e松田智裕\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eマツダ トモヒロ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1986年生。立命館大学大学院文学研究科博士課程。哲学専攻。主な論文に「新たなものの出現としての出来事」（『フランス哲学・思想研究』第20号、日仏哲学会）、主な翻訳にフランソワーズ・ダステュール「差異の問い──デリダとハイデガー」（共訳、『知のトポス』第12号）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「読書人」（2017年8月18日号／立花史氏・評）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「図書新聞」（2017年11月4日号／星野太氏・評）にて紹介されました。\u003c\/p\u003e","brand":"マーティン・ヘグルンド：著, 吉松 覚：訳, 島田 貴史：訳, 松田 智裕：訳\u003cbr\u003e2017年06月26日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969735069984,"sku":"1062","price":6050.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588010620_0.jpg?v=1764197569","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-01062-0","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}