{"product_id":"isbn978-4-588-01085-9","title":"メシア的時間","description":"\u003cp\u003e9784588010859\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-01085-9\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588010859\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-01085-9\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eメシア的時間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eメシアテキジカン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e歴史の時間と生きられた時間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eレキシノジカントイキラレタジカン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e到来と期待、失望と忍耐のあいだで反復される人間の生。ユダヤ的伝統の記憶と、近現代の世俗化した歴史哲学との出会いから生まれた〈メシア的なもの〉の本質とはなにか？　ヘーゲル、シェリングの観念論から、マルクスそしてモーゼス・ヘスをへてローゼンツヴァイク、ベンヤミンにいたる時間の経験を再考し、進歩主義やユートピアをめぐる宗教の手前にある、われわれの明日の現実を照らし出す。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e到来と期待、失望と忍耐の間で反復される生。ユダヤ的記憶と、世俗化した歴史哲学との出会いから生まれた〈メシア的なもの〉の本質。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eはじめに　歴史の時間と主体の時間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　フィールド──メシアニズムと近代\n\u003cbr\u003e　世俗化\n\u003cbr\u003e　近代哲学のメシア的構造\n\u003cbr\u003e　歴史的知のメシア的脱呪術化\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　問い──メシアニズムと哲学\n\u003cbr\u003e　形而上学と時間表象\n\u003cbr\u003e　ヘブライズムとヘレニズム\n\u003cbr\u003e　ユダヤ・メシアニズム\n\u003cbr\u003e　預言的記憶と預言的忘却\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　時代のなかの歴史と政治\n\u003cbr\u003e　ヘーゲル、シェリング──国家と政治\n\u003cbr\u003e　理性の神話学と否定的ユートピア\n\u003cbr\u003e　内的歴史と外的歴史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　忍耐と希望\n\u003cbr\u003e　待望と忍耐\n\u003cbr\u003e　時間的な決断\n\u003cbr\u003e　期待とノスタルジー\n\u003cbr\u003e　善の思い出\n\u003cbr\u003e　ツァラトゥストラは期待するか\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第五章　《義なるもの》の隔たり\n\u003cbr\u003e　律法、隔たり、残りのもの\n\u003cbr\u003e　法と善意\n\u003cbr\u003e　正義と恩寵\n\u003cbr\u003e　無と同一性──律法と業\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eエピローグ　メシア的言葉\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e原　注\n\u003cbr\u003e訳　注\n\u003cbr\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジェラール・ベンスーサン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eベンスーサン ジェラール\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Gérard Bensussan）\n\u003cbr\u003e1948年生。ストラスブール大学名誉教授。専門はドイツ観念論およびユダヤ思想。ヘス、マルクス、シェリング、ローゼンツヴァイク、レヴィナスらについての多数の著書・翻訳で知られる。おもな著作に『モーゼス・ヘス、哲学、社会主義──1836–1845』（PUF, 1985）、『ユダヤ人問題』（Éd. Osiris, 1988）、『フランツ・ローゼンツヴァイク──実存と哲学』（PUF, 2000）、『ユダヤ哲学とはなにか』（Desclée de Brouwer, 2004）、『出て行く者マルクス──過度の思想』（Hermann, 2007）、『倫理と経験──政治的レヴィナス』（Éd. de la Phocide, 2008）、『世界の形態のなかで──フランツ・ローゼンツヴァイクについて』（Hermann, 2009）、『シェリングの『世界年代』──絶対的なものの翻訳』（Vrin, 2015）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e渡名喜 庸哲\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e渡名喜庸哲\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eトナキ ヨウテツ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1980年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。パリ第7大学社会科学部博士課程修了。博士（政治哲学）。慶應義塾大学商学部准教授。フランス哲学、社会思想史。共著にArrachement et évasion: Levinas et Arendt face à l'histoire（Vrin, 2013）、訳書にナンシー『フクシマの後で』（以文社）、ブーレッツ『20世紀ユダヤ思想家』1・2・3巻（共訳、みすず書房）、デリダ『最後のユダヤ人』（未來社）、『レヴィナス著作集1・2・3』（共訳、法政大学出版局）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e藤岡 俊博\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e藤岡俊博\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eフジオカ トシヒロ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1979年生。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士（学術）。滋賀大学経済学部准教授。フランス哲学、ヨーロッパ思想史。著書に『レヴィナスと「場所」の倫理』（東京大学出版会）、訳書にブーレッツ『20世紀ユダヤ思想家』1・2巻（共訳、みすず書房）、カイエ『功利的理性批判』（以文社）、『レヴィナス著作集1・2・3』（共訳、法政大学出版局）ほか。\u003c\/p\u003e","brand":"ジェラール・ベンスーサン：著, 渡名喜 庸哲：訳, 藤岡 俊博：訳\u003cbr\u003e2018年10月11日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969744408864,"sku":"1085","price":4070.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588010859_0.jpg?v=1764197660","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-01085-9","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}