{"product_id":"isbn978-4-588-13025-0","title":"ハイデガーと哲学の可能性","description":"\u003cp\u003e9784588130250\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-13025-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588130250\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-13025-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1010\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eハイデガーと哲学の可能性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eハイデガートテツガクノカノウセイ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e世界・時間・政治\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eセカイジカンセイジ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e『存在と時間』はどう書き継がれるべきか？　ハイデガーの思考に拠りつつ、それを超えて哲学に意味を見出すことはいかにして可能か？　日本のハイデガー研究を牽引する著者が、カント、マルクス、アリストテレスの今日的読み直しも含め、言語、世界、死、時間、技術、労働、政治といった問題群に真正面から切り込んだ全16章の探究。「愉しい学問」の実践！\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e『存在と時間』はどう書き継がれるべきか。時間、技術、労働、政治の問題をめぐって書き続けられた、全16章の「愉しい学問」の実践。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序\n\u003cbr\u003e凡　例\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅰ部　自己と世界\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　ハイデガーにおける形式的暗示について\n\u003cbr\u003e　一　語り方の問題\n\u003cbr\u003e　二　「解釈学的直観」の生成\n\u003cbr\u003e　三　『存在と時間』における問いの構造とその遂行意味\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　死の明証\n\u003cbr\u003e　一　死に関するデモクラシーと、死の管理体制\n\u003cbr\u003e　二　死を飼い馴らすことと、死によって飼い馴らされること\n\u003cbr\u003e　三　死の経験可能性と、死のリアリティー\n\u003cbr\u003e　四　他者の死と、そのひとごとならなさ\n\u003cbr\u003e　五　「我死につつ在る」という語りと、その遂行的明証性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　自発性の回路　 『存在と時間』における世界概念の再検討\n\u003cbr\u003e　一　ハイデガーの「世界」概念の問題性\n\u003cbr\u003e　二　「適所を得させること」と「自己を指示しむけること」\n\u003cbr\u003e　三　自発性の回路としての「有意義性」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　感受性と主体　 カントの尊敬論から\n\u003cbr\u003e　一　「主体」という問題\n\u003cbr\u003e　二　主体における自己服従の回路\n\u003cbr\u003e　三　感受性と主体──支配と服従の間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第五章　哲学的言説のパフォーマティヴな性格について\n\u003cbr\u003e　一　現象学の方法的アポリア？\n\u003cbr\u003e　二　「ふるまい」としての語り\n\u003cbr\u003e　三　パフォーマンスとしての哲学\n\u003cbr\u003e　四　気分とレトリック\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅱ部　時間とその有意義性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第六章　配慮される時間　 ハイデガーの世界時間論\n\u003cbr\u003e　一　世界と時間\n\u003cbr\u003e　二　世界時間という蝶番\n\u003cbr\u003e　三　世界時間のまったき構造\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第七章　時計と時間\n\u003cbr\u003e　一　時間が「客観的」に与えられる現場\n\u003cbr\u003e　二　尺度としての時計\n\u003cbr\u003e　三　〈尺度するモノ〉と〈尺度されるモノ〉\n\u003cbr\u003e　四　尺度における反照規定\n\u003cbr\u003e　五　時計と時間\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第八章　時間の有意義性について\n\u003cbr\u003e　一　陳腐な教訓か、時間論の根本問題か\n\u003cbr\u003e　二　時間の有意義性の意味するもの\n\u003cbr\u003e　三　有限性と〈死への存在〉\n\u003cbr\u003e　四　限りある〈いのち〉の限りなさ\n\u003cbr\u003e　五　有限性への抵抗と、時間のエコノミー\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第九章　技術と生産　 ハイデガーからマルクスへ\n\u003cbr\u003e　一　ハイデガーとマルクス？\n\u003cbr\u003e　二　技術への問い\n\u003cbr\u003e　三　集立と資本\n\u003cbr\u003e　四　時間のテクノロジー\n\u003cbr\u003e　五　テクネーはスコレーのために\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅲ部　哲学と政治\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十章　哲学の実存　 ハイデガーとアリストテレス\n\u003cbr\u003e　一　実存の哲学と哲学の実存\n\u003cbr\u003e　二　理論と実践の対立の起源へ\n\u003cbr\u003e　三　ソフィアかフロネーシスか\n\u003cbr\u003e　四　観照的生と近代\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十一章　ハイデガーにおける学問と政治　 『ドイツの大学の自己主張』再読\n\u003cbr\u003e　一　「ハイデガー問題」とは何であったか\n\u003cbr\u003e　二　『ドイツの大学の自己主張』は何を主張しているか\n\u003cbr\u003e　三　「学問の原初的本質」はどこまで原初的か\n\u003cbr\u003e　四　ハイデガー問題からソクラテス問題へ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十二章　労働のゆくえ　 「ハイデガーからアーレントへ」の途上\n\u003cbr\u003e　一　ハイデガーのマルクス論と労働概念\n\u003cbr\u003e　二　勤労奉仕を奨励する学長\n\u003cbr\u003e　三　労働の擬似存在論\n\u003cbr\u003e　四　労働批判としての「総かり立て体制」論\n\u003cbr\u003e　五　労働者はどこへ？\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十三章　出来事から革命へ　 ハイデガー、ニーチェ、アーレント\n\u003cbr\u003e　一　始まりの思索者たち\n\u003cbr\u003e　二　反時代的な脱現在化から、近代そのものの批判へ\n\u003cbr\u003e　三　大いなる出来事としての哲学革命\n\u003cbr\u003e　四　新しきものへの自由──将来は原初にやどる\n\u003cbr\u003e　五　『出来事について』から『革命について』へ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第Ⅳ部　哲学の可能性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十四章　共‑脱現在化と共‑存在時性　 ハイデガー解釈の可能性\n\u003cbr\u003e　一　存在者と存在、物と世界\n\u003cbr\u003e　二　『存在と時間』における存在者論\n\u003cbr\u003e　三　「もとでの存在」の問題点と、脱現在化\n\u003cbr\u003e　四　物の「共‑脱現在化」の働き\n\u003cbr\u003e　五　物は何を語るか──『マルテの手記』の一節から\n\u003cbr\u003e　六　本来性と非本来性との絡み合い──渡邊二郎の解釈\n\u003cbr\u003e　七　『存在と時間』における「共‑存在時性」の問題群\n\u003cbr\u003e　八　「隔世代倫理」へ──原爆ドームを手がかりに\n\u003cbr\u003e　九　「反‑存在時性」の爛熟──３・11以後\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十五章　政治に対する哲学する者たちの応答可能性　ハイデガーの事例を手がかりに\n\u003cbr\u003e　一　ある戦中と戦後の間──『注記』拾い読み\n\u003cbr\u003e　二　準備的考察──責任の所在\n\u003cbr\u003e　三　政治に対する哲学する者たちの応答可能性\n\u003cbr\u003e　四　われわれの政治責任\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第十六章　『存在と時間』はどう書き継がれるべきか\n\u003cbr\u003e　一　夢を追い続けて\n\u003cbr\u003e　二　では、どのようにして書き継ぐか\n\u003cbr\u003e　三　「前半」はどう終わっていたか\n\u003cbr\u003e　四　二通りの暫定的結論めいたもの\n\u003cbr\u003e　五　「時間性のある本質上の時熟可能性」\n\u003cbr\u003e　六　歴史性と時間内部性の絡み合い\n\u003cbr\u003e　七　四方界の反照‑遊戯\n\u003cbr\u003e　八　共‑存在時性の問題群\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eあとがき\n\u003cbr\u003e初出一覧\n\u003cbr\u003e人名索引\n\u003cbr\u003e著作名索引\n\u003cbr\u003e事項索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e森 一郎\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e森一郎\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eモリ イチロウ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1962年埼玉県生まれ。東京大学文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了、同博士課程中途退学。東京大学文学部助手、東京女子大学文理学部専任講師、助教授、教授を経て、現在、東北大学大学院情報科学研究科教授。博士（文学）。専攻は近現代ドイツ哲学、現代における哲学の可能性。著書に、『死と誕生──ハイデガー・九鬼周造・アーレント』（東京大学出版会、第21回和辻哲郎文化賞・学術部門受賞）、『死を超えるもの──3・11以後の哲学の可能性』（東京大学出版会）、『世代問題の再燃──ハイデガー、アーレントとともに哲学する』（明石書店）、『現代の危機と哲学』（放送大学教育振興会）、共編著に、『ハイデガー読本』『続・ハイデガー読本』（法政大学出版局）、訳書に、ハイデッガー『ブレーメン講演とフライブルク講演 ハイデッガー全集第79巻』（創文社）、アーレント『活動的生』（みすず書房、第52回日本翻訳文化賞受賞）、ニーチェ『愉しい学問』（講談社学術文庫）、など。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「読書人」（2018年10月26日号／原大佑木氏・評）に紹介されました。\u003c\/p\u003e","brand":"森 一郎：著\u003cbr\u003e2018年08月24日 刊行","offers":[{"title":"Default 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