{"product_id":"isbn978-4-588-14049-5","title":"イメージの前で〈増補改訂版〉","description":"\u003cp\u003e9784588140495\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-14049-5\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588140493\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-14049-3\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1310\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eイメージの前で〈増補改訂版〉\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eイメージノマエデ ゾウホカイテイバン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e美術史の目的への問い\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eビジュツシノモクテキヘノトイ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e叢書・ウニベルシタス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eルネサンス以降、美術史はいかなる知の言説として確立されたのか。ヴァザーリによる人文主義的美術史の発明から、パノフスキー的イコノロジーの成立にいたる美学の歴史を、フロイト的「徴候」への眼差しを通じて批判的に解体する“美術史の脱構築”。バタイユやヴァールブルクを継承し、独自のイメージ人類学を実践する注目の美術史家の初期代表作に、英語版の序「悪魔祓い師」を増補して刊行。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eヴァザーリによる美術史の発明からパノフスキー的図像学にいたる美学史を脱構築する美術史家の代表作。英語版の序「悪魔祓い師」を増補。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e悪魔祓い師（英語版の序）\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e提起される問い\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［われわれが芸術的イメージへ眼差しを向けるとき\n\u003cbr\u003e確信的な調子に対する問い\n\u003cbr\u003eカント的調子、いくつかの魔術的な言葉、知の規定に対する問い\n\u003cbr\u003e形象可能性という非常に古い要請］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　単なる実践の限界内における美術史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［白い壁の面に向けられた眼差し──見えるもの、読めるもの、見えないもの、視覚的なもの、潜在的なもの\n\u003cbr\u003e視覚的なものの要請、あるいはいかにして受肉は模倣を「開く」のか\n\u003cbr\u003eそこでこの学問は非‑知を警戒するように理論を警戒する。特殊性という錯覚、正確さという錯覚、そして「歴史家の一撃」\n\u003cbr\u003eそこで過去が過去を隠蔽する。不可欠な発見と思考不可能な喪失。そこで歴史と芸術が美術史を妨げにくる\n\u003cbr\u003e第一の陳腐さ──芸術は終焉した……美術史が存在し始めてから。形而上学的罠と実証主義的罠\n\u003cbr\u003e第二の陳腐さ──すべてが見える……芸術が死んでから］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　再生としての芸術　そして理想的人間の不死性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［そこで芸術は自らの灰から再生するものとして発明された、そこで美術史は芸術とともに自らを発明した\n\u003cbr\u003eヴァザーリの『列伝』における四つの正当化──大公への服従、芸術の社会体、起源への訴えと目的への訴え\n\u003cbr\u003eそこでヴァザーリは芸術家を忘却から救い、永遠の名声（eterna fama）において「名声を与える」。理想的人間の不死性に捧げられた第二の宗教としての美術史\n\u003cbr\u003e形而上学的目的と宮廷的目的。そこで亀裂は理想と現実主義において縫合される──魔術的なメモ帳の操作\n\u003cbr\u003e三つの最初の魔術的言葉──再生（rinascita）、模倣（imitazione）、イデア（idea）\n\u003cbr\u003e第四の魔術的言葉──素描（disegno）。そこで芸術は統一された対象、高貴な実践、知的認識として正当化される。フェデリコ・ツッカリの形而上学。そこで美術史は自分自身のイメージに似せて芸術を創造する］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　単なる理性の限界内における美術史\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［ヴァザーリがわれわれに伝えた目的。単なる理性、あるいはいかにして言説はその対象を発明するのか\n\u003cbr\u003eヴァザーリ的定立の変貌、反定立の契機の出現──美術史が採用したカント的調子\n\u003cbr\u003eそこでエルヴィン・パノフスキーは反定立と批判の契機を展開する。いかにして見えるものは意味を持つのか。解釈の暴力\n\u003cbr\u003e反定立から総合へ。カント的目的、形而上学的目的。魔術的操作としての総合\n\u003cbr\u003e第一の魔術的言葉──人文主義。そこで知の対象は知の形式となる。カント的ヴァザーリと人文主義的カント。意識の力と理想的人間への回帰\n\u003cbr\u003e第二の魔術的言葉──イコノロジー。チェーザレ・リーパへの回帰。見えるもの、読めるもの、見えないもの。超越論的総合としてのイコノロジー的内容という概念。パノフスキーの後退\n\u003cbr\u003eさらに遠くへ、あまりにも遠くへ──観念論的強制。第三の魔術的言葉──象徴形式。そこで感性的記号は知性的なものによって消化される。機能の適切さ、「機能の統一性」という観念論\n\u003cbr\u003eイメージから概念へ、そして概念からイメージへ。第四の魔術的言葉──図式論。表象における総合の最終的統一性。モノグラム化され要約された「純粋な」イメージ。論理学と形而上学を強制された芸術の科学］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　裂け目としてのイメージ　そして受肉した神の死\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［美術史の図式論と絶縁する第一の接近方法──裂け目。イメージを開くこと、論理を開くこと\n\u003cbr\u003eそこで夢の作用は表象の箱を打ち砕く。作用は機能ではない。否定的なものの力。そこで類似は作用し、働き、転倒し、非類似化する。そこで形象化することは脱形象化することと等しくなる\n\u003cbr\u003e夢の範例の拡張と限界。見ることと見つめること。そこで夢と徴候は知の主体を脱中心化する\n\u003cbr\u003e美術史における観念論と絶縁する第二の接近方法──徴候。メタ心理学者パノフスキー？　問題提起から徴候の否認へ。パノフスキー的無意識は存在しない\n\u003cbr\u003e重層決定というフロイト的範例と対峙する演繹というパノフスキー的モデル。メランコリーの例。象徴と徴候。構築された部分、呪われた部分\n\u003cbr\u003e美術史における図像主義と絶縁して、模倣の専制と絶縁する第三の接近方法──受肉。肉と身体。二重の構造（エコノミー）──模倣の織物と「クッションの綴じ目」。キリスト教における原型的イメージと受肉の指標\n\u003cbr\u003e徴候的強度の歴史のために。いくつかの例。非類似と塗油。そこで形象化することは形象を変貌させることと等しくなり、脱形象化することと等しくなる\n\u003cbr\u003e美術史における人文主義と絶縁する第四の接近方法──死。ドラマとしての類似。ヴァザーリと対峙する中世の二つの芸術論──人文主義的人間と対峙する引き裂かれた主体。美術史とは錯綜の歴史である\n\u003cbr\u003e生の類似、死の類似。キリスト教における死の構造（エコノミー）──狡知と危険。そこで死はイメージにおいて存続する。そしてわれわれはイメージの前で？］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e補遺　細部という問題、面という問題\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e［細部という難問（アポリア）\n\u003cbr\u003e描くこと、あるいは描写すること\n\u003cbr\u003e事故──物質の輝き\n\u003cbr\u003e徴候──意味の鉱脈\n\u003cbr\u003e細部原則の彼岸］\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e〈付録〉内容紹介文\n\u003cbr\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003e第二版への訳者あとがき\n\u003cbr\u003e図版目録\n\u003cbr\u003e人名索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eジョルジュ・ディディ＝ユベルマン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eディディ ユベルマン ジョルジュ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Georges Didi-Huberman）\n\u003cbr\u003e哲学者，美術史家。1953年6月13日生（サン＝テティエンヌ，フランス）。リヨン大学で哲学の学士号を取得した後，美術史学の修士号を取得。その後，社会科学高等研究院（E.H.E.S.S.）で博士号を取得。1990年から社会科学高等研究院の助教授。日本語訳として『ヒステリーの発明──シャルコーとサルペトリエール写真図像集』（みすず書房），『フラ・アンジェリコ──神秘神学と絵画表現』『ニンファ・モデルナ──包まれて落ちたものについて』『イメージ，それでもなお──アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』（以上，平凡社），『ジャコメッティ──キューブと顔』（PARCO出版），『時間の前で──美術史とイメージのアナクロニズム』（法政大学出版局），『ヴィーナスを開く──裸体，夢，残酷』（白水社），『残存するイメージ──アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』（人文書院），『イメージが位置をとるとき──歴史の眼１』『受苦の時間の再モンタージュ──歴史の眼２』『アトラス，あるいは不安な悦ばしき知──歴史の眼３』（以上，ありな書房）がある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e江澤 健一郎\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e江澤健一郎\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eエザワ ケンイチロウ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1967年生まれ。フランス文学専攻。博士（文学）。立教大学兼任講師。著書に『バタイユ──呪われた思想家』（河出書房新社），『ジョルジュ・バタイユの《不定形》の美学』（水声社）。共著書に『中平卓馬──来たるべき写真家』（河出書房新社）ほか。訳書にジョルジュ・バタイユ『有罪者──無神学大全』『ドキュマン』（以上，河出文庫），『マネ』（月曜社），『聖なる陰謀──アセファル資料集』（共訳，ちくま学芸文庫），ジル・ドゥルーズ『シネマ2＊時間イメージ』（共訳，法政大学出版局）。\u003c\/p\u003e","brand":"ジョルジュ・ディディ＝ユベルマン：著, 江澤 健一郎：訳\u003cbr\u003e2018年04月18日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969741656352,"sku":"14049","price":5060.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588140495_0.jpg?v=1764200172","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-14049-5","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}