{"product_id":"isbn978-4-588-15067-8","title":"閾の思考","description":"\u003cp\u003e9784588150678\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-15067-8\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588150677\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-15067-7\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1010\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e閾の思考\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eイキノシコウ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e他者・外部性・故郷\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eタシャガイブセイコキョウ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e異種混淆的な生を説くポストコロニアリズムを経て、日本文化のナショナリズムを東アジア諸国との関係を踏まえて批判的に検討する。柄谷行人、安丸良夫、酒井直樹、エドワード・サイード、ホミ・バーバ、タラル・アサド、ガヤトリ・スピヴァク、ジョルジョ・アガンベン、山尾三省らの思想を通して、「戸惑い」と「受苦」を絆とし、他者を排除しない新たな共同性を創出する可能性を構想する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e日本文化のナショナリズムを批判的に検討し、他者を排除せず、「戸惑い」と「受苦」を絆とする新たな共同性の創出可能性を構想する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「自分の居場所がない」。ポストコロニアル思想はそこに一つの道を示す。震災以降、他者を排除せず、「戸惑い」と「受苦」を絆とする共同性の創出を構想する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eはじめに　ポストコロニアル的な生をめぐる断想\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序章　閾の思考──他者の眼差しのもとで\n\u003cbr\u003e　はじめに\n\u003cbr\u003e　第一節　他者とナルシシズム\n\u003cbr\u003e　第二節　日本文化と私のあいだ\n\u003cbr\u003e　第三節　他者としての自文化\n\u003cbr\u003e　おわりに\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　思想を紡ぎだす声──はざまに立つ歴史家　安丸良夫\n\u003cbr\u003e　第一節　民衆を記述する\n\u003cbr\u003e　第二節　困難なる主体―通俗道徳論\n\u003cbr\u003e　第三節　跳躍する主体―世直し論\n\u003cbr\u003e　第四節　主体と権力―天皇像論\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　ポストコロニアリズムという言説──ホミ・バーバ　その可能性と限界\n\u003cbr\u003e　はじめに\n\u003cbr\u003e　第一節　国際都市ボンベイとパールシー\n\u003cbr\u003e　第二節　バーバの芸術・宗教論―「アウラとアゴラ」\n\u003cbr\u003e　第三節　ポストコロニアル状況下のネイション論―「散種するネイション」\n\u003cbr\u003e　第四節　コスモポリタニズム論へ―『文化の場所』以降\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　他者と共に在ること──ディアスポラの知識人　タラル・アサド\n\u003cbr\u003e　第一節　ディアスボラの知識人としてのタラル・アサド\n\u003cbr\u003e　第二節　『自爆テロ』―西洋リベラリズムの批判\n\u003cbr\u003e　第三節　アサドの思索―受苦と他者\n\u003cbr\u003e　第四節　ポストコロニアリズムと世俗主義\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　外部性とは何か──日本のポストモダン　柄谷行人から酒井直樹へ\n\u003cbr\u003e　第一節　柄谷行人における「内部／外部」\n\u003cbr\u003e　第二節　外部性と他者\n\u003cbr\u003e　第三節　外部性から普遍性へ\n\u003cbr\u003e　第四節　普遍性と祭祀不能なもの\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第五章　モダニティ・帝国・普遍性──「近代の超克」と京都学派\n\u003cbr\u003e　第一節　絡み合った言説―西洋とアジア\n\u003cbr\u003e　第二節　モダニティの内部と外部―外部性の探究\n\u003cbr\u003e　第三節　「近代の超克」と「世界史的立場と日本」―現在性をいかに発話するか\n\u003cbr\u003e　第四節　普遍性の両義性―帝国と植民地\n\u003cbr\u003e　第五節　他者と暴力―身体の深みから\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第六章　帝国の記憶を生きる──ポストコロニアル批評と植民地朝鮮\n\u003cbr\u003e　第一節　メトロポリタン・ディアスポラのポストコロニアル批評\n\u003cbr\u003e　第二節　トランスナショナル・ヒストリーと民族主義\n\u003cbr\u003e　第三節　異種混淆性とグレーゾーン\n\u003cbr\u003e　第四節　転向と絶望\n\u003cbr\u003e　第五節　サバルタンと恥辱\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e終章　故郷への帰還──ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァクから山尾三省、そしてジョルジョ・アガンベンへ\n\u003cbr\u003e　第一節　国民的主体という欺瞞―「私」は「あなた」にはなれない\n\u003cbr\u003e　第二節　特異性としての故郷―スピヴァクの批判的地域主義\n\u003cbr\u003e　第三節　場所で暮らす決意―山尾三省の故郷性\n\u003cbr\u003e　第四節　戦後という言説空間の終焉―アガンベンの例外状態\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eあとがき　震災の後に──アイデンティティの傷について\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e出典・初出一覧\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eH.K.バーバ著／本橋哲也訳『文化の場所』\n\u003cbr\u003eE.W.サイード著／山形和美訳『世界・テキスト・批評家』\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e磯前 順一\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e磯前順一\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eイソマエ ジュンイチ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1961年生まれ。宗教・歴史研究。文学博士（東京大学）。\n\u003cbr\u003e東京大学文学部助手、日本女子大学助教授を経て、現在、国際日本文化研究センター准教授。ハーバード大学、ロンドン大学SOAS、チュービンゲン大学、ルール大学ボッフム、チューリッヒ大学の客員研究員および客員教授を歴任。\n\u003cbr\u003e著書に、『土偶と仮面──縄文社会の宗教構造』（校倉書房、1994年）、『記紀神話のメタヒストリー』（吉川弘文館、1998年）、『近代日本の宗教言説とその系譜──宗教・国家・神道』（岩波書店、2003年）、『喪失とノスタルジア──近代日本の余白へ』（みすず書房、2007年）、『記紀神話と考古学──歴史的始原へのノスタルジア』（角川学芸出版、2009年）、Japanese Mythology: Hermeneutics on Scripture （London: Equinox Publishing, 2010）、『宗教概念あるいは宗教学の死』（東京大学出版会、2012年）、『どこにもいないあなたへ──恋愛と学問についてのエッセイ』（秋山書店、2013年）など。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「週刊読書人」（2014年3月14日号／苅田真司氏・評）に紹介されました。\n\u003cbr\u003e「京都新聞」（2013年9月18日付／内田孝氏・評）に紹介されました。\u003c\/p\u003e","brand":"磯前 順一：著\u003cbr\u003e2013年07月24日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969630507296,"sku":"15067","price":7260.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588150678_0.jpg?v=1764200531","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-15067-8","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}