{"product_id":"isbn978-4-588-41030-7","title":"トリオ","description":"\u003cp\u003e9784588410307\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-41030-7\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e458841030X\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-41030-X\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e0073\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eトリオ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eトリオ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「GTChトリオ」として今日の新しいジャズを創り出した生ける伝説のドラマーの《自伝》。本書は71年のトリオ結成からソ連解体直前のトリオ解散までを辿る。「自由な」ジャズを切り口に、ジャズが切り開いてきた自由と独創のための不屈の闘争の姿が現れる。写真図版多数。ディスコグラフィー付き。本邦訳版は日本のジャズ評論家の副島輝人氏に捧げられている。佐藤允彦氏、梅津和時氏推薦！\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e今日の新しいジャズを創り出した生ける伝説のドラマーの自伝。写真図版多数。ディスコグラフィー付き。佐藤允彦氏、梅津和時氏推薦！\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e今日の新しいジャズを創り出したドラマーの自伝。自由と独創をめぐる不屈の闘争がここにある。図版多数、ディスコグラフィー付き。佐藤允彦氏、梅津和時氏推薦！\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e著者より日本語版への献辞\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e盗んだ大気\tトマス・ヴェンツローヴァ\n\u003cbr\u003e『太鼓手の運命』\tアンドレイ・ビートフ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e著者より\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第1章　二人での演奏《OPUS A DUE》\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　トリオへの一歩、あるいは六〇年代半ばのアルハンゲリスク\n\u003cbr\u003e　ヴィリニュスの都、カフェ「ネリンガ」\n\u003cbr\u003e1970年\n\u003cbr\u003e二人での演奏\n\u003cbr\u003e　カウナス──これぞカウナス\n\u003cbr\u003e　私はいかに建築プランナーとして働いたか\n\u003cbr\u003e　ソ連のジャズ・フェスティヴァルでは何が起きていたのか？\n\u003cbr\u003e　スヴェルドロフスク将校会館ではチェカーシンの音楽でどのように踊ったのか　そして彼はヴィリニュスへやってきた\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第2章　企画《CONSILIUM》\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1971年\n\u003cbr\u003e　トリオのはじまり、そしてソ連のジャズ・フェスティヴァルの周辺では何が起こっていたのか\n\u003cbr\u003e　友人たちについて\n\u003cbr\u003e　モスクワの70年代についてさらにいくつか\n\u003cbr\u003e1972年\n\u003cbr\u003e　トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか\n\u003cbr\u003e1973年\n\u003cbr\u003e　フィルハーモニーへの就職の最初の試み\n\u003cbr\u003e1974年\n\u003cbr\u003e　私たちの最初の出国の試み\n\u003cbr\u003e　私はいかにしてチェコスロヴァキアへ行けたか\n\u003cbr\u003e　公式的な活動のはじまり\n\u003cbr\u003e1975年\n\u003cbr\u003e　私はいかにしてフランスへ勉強に行こうとしたか\n\u003cbr\u003e　最初の録音……\n\u003cbr\u003e　……そして、レコード\n\u003cbr\u003e　バルバンについて\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第3章　徐々に《POCO A POCO》\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1976年\n\u003cbr\u003e　ワルシャワ。トリオの最初の海外への出国。ウィリス・カノーヴァー\n\u003cbr\u003e1977年\n\u003cbr\u003e　トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか\n\u003cbr\u003e　ヴィリニュス・フィルハーモニーとノヴォシビルスクの学園都市における私たちの最初のコンサート\n\u003cbr\u003e1978年\n\u003cbr\u003e　シベリアについてさらにいくつか\n\u003cbr\u003e　グルジア\n\u003cbr\u003e　キューバ。第11回若者と学生の全世界フェスティヴァル\n\u003cbr\u003e1979年\n\u003cbr\u003e　ドイツ民主共和国。ハンガリー。「9つの部屋での室内楽」\n\u003cbr\u003e1980年\n\u003cbr\u003e　ソ連対外友好・文化交流団体協議会およびノーボスチ通信社とはいかなるものか\n\u003cbr\u003e　「外套」\n\u003cbr\u003e　チェコスロヴァキアにて\n\u003cbr\u003e　「おや、何してたんだい？」\n\u003cbr\u003e　レオニード・フェイギン、アレクセイ・レオニードフと「レオ・レコード」について\n\u003cbr\u003e　労働組合──それらはどこもかしこも労働組合\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第4章　さらに続く《POI SEGUE》\n\u003cbr\u003e1981年\n\u003cbr\u003e　トリオ10周年\n\u003cbr\u003e　ルーマニアにて\n\u003cbr\u003e　コムソモールと共にドイツ連邦共和国へ\n\u003cbr\u003e　イタリアにて\n\u003cbr\u003e1982年\n\u003cbr\u003e　「Non Troppo」\n\u003cbr\u003e　リトアニアのコムソモールと共にドイツ民主共和国へ\n\u003cbr\u003e1983年\n\u003cbr\u003e　もう一度ルーマニアへの巡業\n\u003cbr\u003e　「壁紙」の報酬\n\u003cbr\u003e　ドイツではいかにfree jazzを演奏するか\n\u003cbr\u003e　どのようにして私たちはドルトムントで「外套」から逃げたか\n\u003cbr\u003e　楽器について\n\u003cbr\u003e　トリオにおける変化のはじまり。フィンランド\n\u003cbr\u003e1984年\n\u003cbr\u003e　イギリス\n\u003cbr\u003eローマでの三つの出会い\n\u003cbr\u003e　第一の出会い──マリオ・スキアーノ\n\u003cbr\u003e　第二の出会い──マーク・ドレッサー\n\u003cbr\u003e　第三の出会い──アンタナス・ストゥクス\n\u003cbr\u003e　再び閉鎖\n\u003cbr\u003e　ユーゴスラヴィアにて\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第5章　だんだんゆるやかに《RITARDANDO》\n\u003cbr\u003e1985年\n\u003cbr\u003e　モスクワ。第12回若者と学生の全世界フェスティヴァル\n\u003cbr\u003e　オランダ\n\u003cbr\u003e　ポルトガル　オーストリア\n\u003cbr\u003e　レニングラードの「秋のリズム」フェスティヴァル\n\u003cbr\u003e1986年\n\u003cbr\u003e　インドにて\n\u003cbr\u003e　トリオ15周年\n\u003cbr\u003e　フランス\n\u003cbr\u003e　モスクワでのコンサート\n\u003cbr\u003e　ジョン・バラード、「スペース・エージェンシー」\n\u003cbr\u003e　「グッド・モーニング、アメリカ」\n\u003cbr\u003e　最後のコンサート\n\u003cbr\u003e1987年\n\u003cbr\u003e　スラーヴァ・ガネーリンの旅立ち\n\u003cbr\u003e　トリオ後の一歩\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eあとがき\n\u003cbr\u003e　バルト三国について、およびトリオについてさらにいくつか\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eガネーリン、タラーソフ、チェカーシン──夜の会話\n\u003cbr\u003eパヴェウ・ブロドウスキの手紙\n\u003cbr\u003eパウル・アケットの手紙\n\u003cbr\u003eパウル・アケットと国立コンサート連盟との手紙のやりとり\n\u003cbr\u003eジョン・バラードの手紙\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「トリオ」後のタラーソフ──訳者解説\n\u003cbr\u003e訳者あとがき\n\u003cbr\u003eディスコグラフィー\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eウラジーミル・タラーソフ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eタラーソフ ウラジーミル\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Vladimir Tarasov, 1947–）\n\u003cbr\u003eドラマー、パーカッショニスト、アート作家。旧ソ連アルハンゲリスクに生まれる。打楽器を独学で習得し、14歳からアルハンゲリスクのエストラーダ（バラエティ・ショウ）・アンサンブルで演奏した。1967年、ヴャチェスラフ・ガネーリンと出会い、リトアニアの首都ヴィリニュスを拠点にデュオで演奏。1971年からウラジーミル・チェカーシンが加わり、GTChトリオとして前衛ジャズを追究する。1987年のトリオ解散後はソロ演奏で独自の世界を切りひらくほか、さまざまなミュージシャンや詩人との共演を重ねる。アート作家として、サウンド・インスタレーションも手がけ、1994年から現在に至るまで、数多くの作品を発表している。著作に本書『トリオ』（1998）、『タムタム』（2009）のほか多数のCDがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e鈴木 正美\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e鈴木正美\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eスズキ マサミ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1959年生まれ。新潟大学人文学部教授。専門は現代ロシア文化、特にオシップ・マンデリシュターム研究。現代ロシアの音楽、詩、アートの現場をフィールドワークしている。著作に『言葉の建築術──マンデリシュターム研究１』（群像社、2001年）、『ロシア・ジャズ―寒い国の熱い音楽』（ユーラシアブックレット№97、東洋書店、2006年）、『どこにもない言葉を求めて──現代ロシア詩の窓』（高志書院、2007年）ほか。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「ジャズ批評」（2016年3月号）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「新潟日報」（2016年3月5日付）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「北日本新聞」「山梨日日新聞」「岩手日報」（以上、2016年3月13日付）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「秋田さきがけ」「福井新聞」「京都新聞」「山陰中央新報」「徳島新聞」「愛媛新聞」「宮崎日日新聞」「沖縄タイムス」「琉球新報」（以上、2016年3月20日付）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「長崎新聞」（2016年4月10日付／村井康司氏・評）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「レコード・コレクターズ」（2016年5月1日号／松尾史朗氏・評）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「新潟日報」（2016年4月17日付／村井康司氏・評）にて紹介されました。\n\u003cbr\u003e「静岡新聞」（2016年5月29日付／村井康司氏・評）にて紹介されました。\u003c\/p\u003e","brand":"ウラジーミル・タラーソフ：著, 鈴木 正美：訳\u003cbr\u003e2016年01月15日 刊行","offers":[{"title":"Default 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