{"product_id":"isbn978-4-588-42019-1","title":"彼自身によるロベール・ブレッソン","description":"\u003cp\u003e9784588420191\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-42019-1\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588420194\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-42019-4\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e0074\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e彼自身によるロベール・ブレッソン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eカレジシンニヨルロベールブレッソン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eインタビュー 1943–1983\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eインタビュー\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e映画史上の真に偉大な巨匠が自身の全作品を語り尽くす。その言葉は、『シネマトグラフ覚書』と同じく簡潔で揺るぎない響きを宿しているが、喜びや憤り、さらには逡巡や疑念の跡すら見てとることができる。ゴダールとは激論を交わし、デュラスやクロソウスキーらが語る。孤高の苛酷な思索を、具体的な事例によって、時にはユーモアを交えて、豊かに発展させ、ここに完全なる芸術としての《シネマトグラフ》が立ち現れる。図版多数。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e映画史上の巨匠が自身の全作品を語る。孤高の苛酷な思索を豊かに発展させて、完全なる芸術としての《シネマトグラフ》が立ち現れる。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e映画史上の巨匠が自身の全作品を語る。孤高の苛酷な思索を、時にはユーモアを交えて、豊かに発展させる。完全なる芸術としての《シネマトグラフ》が立ち現れる。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序論　「カメラによって導かれること……私が行きたいところへと」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e１　『公共問題』──1934年\n\u003cbr\u003e　　前奏曲\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e２　『罪の天使たち』──1943年\n\u003cbr\u003e　　作家が必要である\n\u003cbr\u003e　　ジャン・ジロドゥ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e３　『ブローニュの森の貴婦人たち』──1945年\n\u003cbr\u003e　　動揺と衝撃\n\u003cbr\u003e　　内面が命じる\n\u003cbr\u003e　　ジャン・コクトー\n\u003cbr\u003e　　呪われた映画祭\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e４　『田舎司祭の日記』──1951年\n\u003cbr\u003e　　それら二つの世界のあいだで\n\u003cbr\u003e　　この賭けこそが私を引きつける\n\u003cbr\u003e　　見ることと聞くこと\n\u003cbr\u003e　　詩を書くように\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e５　『抵抗』──1956年\n\u003cbr\u003e　　風は己の望むところに吹く\n\u003cbr\u003e　　新たなる表現手段\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e６　『スリ』──1959年\n\u003cbr\u003e　　手とオブジェと視線の映画\n\u003cbr\u003e　　映画のリズムは心臓の鼓動でなければならない\n\u003cbr\u003e　　ただ現実だけを捕獲するために\n\u003cbr\u003e　　神秘に至ること\n\u003cbr\u003e　　詩と真実は姉妹である\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e７　『ジャンヌ・ダルク裁判』──1962年\n\u003cbr\u003e　　手で触れうる超自然との親しき交わり\n\u003cbr\u003e　　私はこれ以上に残酷で痛ましいことを知らない\n\u003cbr\u003e　　映画がそれを望んだ\n\u003cbr\u003e　　エモーションがわれわれの唯一の導き手でなければならない\n\u003cbr\u003e　　ジャンヌ・ダルクは美しく、優雅で、天才的で、現代的であった──奇妙なまでに自由な神秘主義者\n\u003cbr\u003e　　彼女をリアルで親密なものとするために\n\u003cbr\u003e　　電流を流すためには、電線を裸に剥かねばならない \u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e８　脚色\n\u003cbr\u003e　　劇的創造の諸局面──脚色\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e９　『バルタザールどこへ行く』──1966年\n\u003cbr\u003e　　純粋さ、静けさ、平穏さ、聖性とともにあるロバ\n\u003cbr\u003e　　私の作った最も自由な映画、私自身を最も詰め込んだ映画\n\u003cbr\u003e　　生をコピーすることなく、生に至る方法を見つけること\n\u003cbr\u003e　　踏破された道のり\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e10　『少女ムシェット』──1967年\n\u003cbr\u003e　　むしろ肖像画家が描くように\n\u003cbr\u003e　　ベルナノスがしっくりくるのは、彼が現実を用いて超自然を作り出すからである\n\u003cbr\u003e　　死に至らしめる視線\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e11　サウンド・トラック\n\u003cbr\u003e　　耳は眼よりもずっと創造的である\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e12　『やさしい女』──1969年\n\u003cbr\u003e　　死と生の衝突\n\u003cbr\u003e　　私はここに、もう一人はよそに。そして沈黙は恐ろしい \u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e13　『白夜』──1972年\n\u003cbr\u003e　　芸術は贅沢品ではない。生活必需品である\n\u003cbr\u003e　　青と栗色のあいだで\n\u003cbr\u003e　　私は不意打ちを求めている\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e14　『湖のランスロ』──1974年\n\u003cbr\u003e　　過去を現在に置き直す\n\u003cbr\u003e　　ランスロのきわめて特異な内面の冒険こそが私の心を打った\n\u003cbr\u003e　　忠義と不忠のあいだに引き裂かれて\n\u003cbr\u003e　　音を立てる鉄\n\u003cbr\u003e　　聖杯、アクションを下から動かす原動力\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e15　『シネマトグラフ覚書』──1975年\n\u003cbr\u003e　　己の芸術を丸裸にする\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e16　『たぶん悪魔が』──1977年\n\u003cbr\u003e　　敵\n\u003cbr\u003e　　詩は省略を介して滑り込む\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e17　『ラルジャン』──1983年\n\u003cbr\u003e　　おお、金、眼に見える神よ！\n\u003cbr\u003e　　映画は広大である。まだ何もなされていない\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e訳者あとがき\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e図版クレジット\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eロベール・ブレッソン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eブレッソン ロベール\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Robert Bresson）\n\u003cbr\u003e1901年、ピュイ゠ド゠ドーム県ブロモン゠ラモットに生まれる。画家として活動を始めるも映画監督へ転身。1934年に短編『公共問題』を監督。第二次世界大戦に従軍し捕虜となった後、1943年に『罪の天使たち』で長編デビュー。『ブローニュの森の貴婦人たち』（1945年）を経て、3作目となる『田舎司祭の日記』（1951年）以降、徐々に職業俳優を排除し、「モデル」と呼ばれる素人を起用、他の諸芸術に依存しない自律した芸術としての「シネマトグラフ」を探求していった。『抵抗』（1956年）、『スリ』（1959年）、『ジャンヌ・ダルク裁判』（1962年）、『バルタザールどこへ行く』（1966年）、『少女ムシェット』（1967年）、『やさしい女』（1969年）、『白夜』（1972年）、『湖のランスロ』（1974年）、『たぶん悪魔が』（1977年）を監督。1983年の『ラルジャン』が遺作となった。著書に『シネマトグラフ覚書―映画監督のノート』（松浦寿輝訳、筑摩書房、1987年）がある。1999年、パリにて死去。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eミレーヌ・ブレッソン\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eブレッソン ミレーヌ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e（Mylène Bresson）\n\u003cbr\u003eベルギー出身。旧姓はミレーヌ・ヴァン・デル・メルシュ。『少女ムシェット』以降のブレッソン作品で助監督を務め、ロベール・ブレッソンの妻となった。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e角井 誠\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e角井誠\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eスミイ マコト\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1982年生まれ。東京大学大学院博士課程満期退学、パリ第1大学博士課程修了。博士（芸術学）。現在、首都大学東京准教授。専門はジャン・ルノワールを中心としたフランス映画研究。主な論文に「ルノワール・タッチ――『スワンプ・ウォーター』における俳優演出」（『映像学』91号）、「テクスト、情動、動物性――ジャン・ルノワールとルイ・ジュヴェの演技論をめぐって」（『表象』7号）、共著に『映画監督、北野武。』（フィルムアート社、2017年）、共訳に『ジル・ドゥルーズの「アベセデール」』（KADOKAWA、2015年）などがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e「神戸映画資料館 今月の1冊」（大谷晋平氏・評）に紹介されました。\n\u003cbr\u003e「キネマ旬報」（2019年7月下旬号／三浦哲哉氏・評）に紹介されました。\n\u003cbr\u003e「読書人」（2019年12月20日号／伊藤洋司氏・評）に紹介されました。\n\u003cbr\u003e「キネマ旬報」（2020年4月上旬号）映画本大賞2019で第8位に選出されました。\u003c\/p\u003e","brand":"ロベール・ブレッソン：著, ミレーヌ・ブレッソン：編, 角井 誠：訳\u003cbr\u003e2019年04月06日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969747030304,"sku":"42019","price":5280.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588420191_0.jpg?v=1764203479","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-42019-1","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}