{"product_id":"isbn978-4-588-43612-3","title":"未知との出会い","description":"\u003cp\u003e9784588436123\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-43612-3\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588436120\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-43612-0\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1081\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e未知との出会い\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eミチトノデアイ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e翻訳文化論再説\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eホンヤクブンカロンサイセツ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e未知の言葉や出来事は、最初の「出会い」のあとで、どのように既知のものへと「翻訳」されるのか。言葉はなぜ、出会いのもたらす驚きや戸惑いをやがて覆い隠し、忘れさせてしまうのか。出来事を言葉に、外国語を自国語に翻訳する行為に必然的にともなうズレのさまざまな帰結を、日本の歴史を貫く普遍的問題として追究する翻訳文化論のエッセンス。著者インタビューを付す最良の入門書。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e未知の言葉や出来事は、最初の「出会い」のあとで、どのように既知のものへと「翻訳」されるのか。柳父翻訳文化論の最良の入門書。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e未知の言葉や出来事は、最初の「出会い」のあとで、どのように既知のものへと「翻訳」されるのか。柳父翻訳文化論のエッセンスにして入門書。著者インタビュー付。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序　初めに出会いがあった\n\u003cbr\u003e　シンメトリー対オモテ・ウラ\n\u003cbr\u003e　普遍的な構造としてのオモテ・ウラ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第一章　「出会い」──未知との遭遇\n\u003cbr\u003e　コト（言葉）とコト（事実）\n\u003cbr\u003e　堅固な言葉、文字\n\u003cbr\u003e　「意味」よりも「形」が大切だった\n\u003cbr\u003e　「出会い」から考える\n\u003cbr\u003e　翻訳語の「戸惑い」\n\u003cbr\u003e　翻訳における意味のズレ\n\u003cbr\u003e　翻訳語の意味は必ずズレる\n\u003cbr\u003e　観念を語る言葉との「遭遇」\n\u003cbr\u003e　漢字は、意味よりも形が大切\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第二章　「文」との出会い\n\u003cbr\u003e　「文」との出会い\n\u003cbr\u003e　「である。」が造られた\n\u003cbr\u003e　翻訳で造られた日本文\n\u003cbr\u003e　初めと終わりのある文\n\u003cbr\u003e　「カセット文」\n\u003cbr\u003e　演繹論理をつくる文\n\u003cbr\u003e　「カセット文」と純粋言語\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第三章　「自然」との出会い\n\u003cbr\u003e　自然とnatureとの違い\n\u003cbr\u003e　natureから見た環境問題──宗教的背景\n\u003cbr\u003e　自然科学の転換\n\u003cbr\u003e　自然の二つの意味\n\u003cbr\u003e　「自然」の、環境問題における意味\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第四章　「神」との出会い\n\u003cbr\u003e　近代における「神」\n\u003cbr\u003e　Godの翻訳語「神」\n\u003cbr\u003e　宣教師の翻訳思想\n\u003cbr\u003e　日本に渡来したキリスト教「神」\n\u003cbr\u003e　天皇制における「神」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第五章　「愛」との出会い\n\u003cbr\u003e　恥ずかしかった「愛」\n\u003cbr\u003e　「愛」は虚偽か\n\u003cbr\u003e　煌めく言葉「愛」の出現\n\u003cbr\u003e　翻訳語「恋愛」\n\u003cbr\u003e　教会は「愛」の舞台だった\n\u003cbr\u003e　西洋における「愛」の由来\n\u003cbr\u003e　「愛」から女性崇拝へ\n\u003cbr\u003e　トゥルバドゥールの「愛」の形\n\u003cbr\u003e　トゥルバドゥールとキリスト教\n\u003cbr\u003e　「愛」の翻訳が問題だった\n\u003cbr\u003e　聖書の「愛」の翻訳、まず中国語から\n\u003cbr\u003e　中国語の「愛」と日本語の「愛」\n\u003cbr\u003e　近代日本の「愛」の行方\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第六章　異文化との出会い\n\u003cbr\u003e　日本における異文化\n\u003cbr\u003e　「出会い」からうまれる「境界」\n\u003cbr\u003e　権力は恐れていた\n\u003cbr\u003e　殉　教\n\u003cbr\u003e　キリシタン類族というフィクション\n\u003cbr\u003e　民衆もキリシタンが分からなかった\n\u003cbr\u003e　平人、類族、賤民\n\u003cbr\u003e　身分差別とケガレ差別\n\u003cbr\u003e　カースト制\n\u003cbr\u003e　カースト制の境界\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第七章　「文明」との出会い\n\u003cbr\u003e　それは「危機意識」から始まった\n\u003cbr\u003e　「文明」──都市化の運動\n\u003cbr\u003e　文明としてのキリスト教\n\u003cbr\u003e　シヴィリゼーション高揚の時代\n\u003cbr\u003e　日本にやってきた「文明」\n\u003cbr\u003e　日本における「文化」の台頭\n\u003cbr\u003e　フランスの「文明」対ドイツの「文化」\n\u003cbr\u003e　日本における「文明」の没落\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e附　翻訳との出会い　インタビュー\n\u003cbr\u003e　一　翻訳との出会い\n\u003cbr\u003e　二　評論家としての出発\n\u003cbr\u003e　三　翻訳文化論の深化と展開\n\u003cbr\u003e　四　翻訳研究の現在と未来\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eあとがき\n\u003cbr\u003e柳父章著作目録\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e柳父 章\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e柳父章\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eヤナブ アキラ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1928年東京市生。東京大学教養学部教養学科卒。元桃山学院大学教授。著書に『翻訳語の論理』『文体の論理』『翻訳とはなにか』『翻訳文化を考える』『日本語をどう書くか』『秘の思想』『近代日本語の思想』（以上、法政大学出版局）、編著に『日本の翻訳論──アンソロジーと解題』（法政大学出版局）、『翻訳の思想』（ちくま学芸文庫）、『比較日本語論』『翻訳学問批判』（日本翻訳家養成センター）、『翻訳語成立事情』（岩波新書）、『現代日本語の発見』（てらこや出版）、『「ゴッド」は神か上帝か』（岩波現代文庫）、『一語の辞典──文化』『一語の辞典──愛』（三省堂）、『翻訳語を読む』（丸山学芸図書）がある。\u003c\/p\u003e","brand":"柳父 章：著\u003cbr\u003e2013年05月01日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969628737824,"sku":"43612","price":2860.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588436123_0.jpg?v=1764203537","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-43612-3","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}