{"product_id":"isbn978-4-588-60322-8","title":"比較のエートス","description":"\u003cp\u003e9784588603228\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e978-4-588-60322-8\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4588603221\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e4-588-60322-1\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1330\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e比較のエートス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eヒカクノエートス\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e冷戦の終焉以後のマックス・ウェーバー\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eレイセンノシュウエンイゴノマックスウェーバー\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eサピエンティア\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e〈比較〉の思想家としてのマックス・ウェーバー。その比較とは、複数の概念、類型、あるいは文化を同等の位置にあえて置き入れ、互いに突き合わせることで、相互にリフレクションを誘発せしめるような知の営みであった。本書は、20世紀初頭にウェーバーが実践した比較の契機を掘り起こし、その政治理論を冷戦の終焉以後の現代政治の文脈に置き入れ、その今日的な意義を再検討する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eウェーバーにおける〈比較〉の契機に注目しつつ、その政治理論を冷戦の終焉以後の現代政治の文脈に置き入れ、その意義を再検討する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e20世紀初頭にウェーバーが実践した〈比較〉の契機に注目しつつ、その政治理論を冷戦の終焉以後の現代政治の文脈に置き入れ、その概念やテクストを再検討する。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e序論　比較の政治理論家としてのウェーバー\n\u003cbr\u003e　一　近代から文化へ\n\u003cbr\u003e　二　文化比較の功罪\n\u003cbr\u003e　三　比較する多元主義\n\u003cbr\u003e　四　本書の構成\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第I部　保守・ポピュリズム・官僚制\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第1章　信条倫理化する〈保守〉──ウェーバーとマンハイムを手がかりにして\n\u003cbr\u003e　一　保守主義とリフレクション\n\u003cbr\u003e　二　保守主義的思考と責任倫理\n\u003cbr\u003e　三　〈保守〉のプログラム化\n\u003cbr\u003e　四　〈保守〉批判の保守主義化\n\u003cbr\u003e　五　信条倫理の両義性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第2章　デマゴーグ以後──マックス・ウェーバーと脱政治化の問題\n\u003cbr\u003e　一　デマゴーグ批判とその構図\n\u003cbr\u003e　二　脱政治化された社会とその分析としての『儒教と道教』\n\u003cbr\u003e　三　ウェーバーとデマゴーグ\n\u003cbr\u003e　四　「新しい公共」と見えにくくなる党派性\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第3章　マックス・ウェーバーと官僚制をめぐる情念──sine ira et studio と「不毛な興奮」\n\u003cbr\u003e　一　「いわゆるウェーバー的な官僚制論」はウェーバー的か？\n\u003cbr\u003e　二　sine ira et studio を支える情念の機制\n\u003cbr\u003e　三　カリスマと「不毛な興奮」\n\u003cbr\u003e　四　「リキッド・モダニティ」と官僚制の論じ方\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第II部　ふたつの比較研究──「儒教とピューリタニズム」と『職業としての学問』\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第4章　「儒教とピューリタニズム」再読\n\u003cbr\u003e　一　従来の受容\n\u003cbr\u003e　二　宗教の動態化とヨーロッパ宗教史研究の変容\n\u003cbr\u003e　三　ポスト世俗化とピューリタニズムの優位性の修正\n\u003cbr\u003e　四　比較と「開かれ」\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第5章　ドイツの大学とアメリカの大学──比較研究としての『職業としての学問』\n\u003cbr\u003e　一　『職業としての学問』を読む位置\n\u003cbr\u003e　二　大学の「アメリカ化」\n\u003cbr\u003e　三　学問にできることとその「責任」\n\u003cbr\u003e　四　比較によってディレンマを掘り起こす知識人\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e補論　ナショナリズム論の現在──今野元『マックス・ヴェーバー』を読む\n\u003cbr\u003e　一　ウェーバー研究とナショナリズム\n\u003cbr\u003e　二　堅実な実証的歴史研究という挑戦\n\u003cbr\u003e　三　「一貫性」か、転回か──「政治的なもの」の理解をめぐって\n\u003cbr\u003e　四　「知性主義の逆説」をめぐって\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第III部　受容史研究\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e第6章　日本のウェーバー受容における「普遍」の問題\n\u003cbr\u003e　一　「普遍」のテーマ化\n\u003cbr\u003e　二　歴史学派経済学──金井延と福田徳三\n\u003cbr\u003e　三　「戦後啓蒙」──大塚久雄\n\u003cbr\u003e　四　近代化論──ロバート・Ｎ・ベラー\n\u003cbr\u003e　五　「ニーチェ的」ウェーバー──山之内靖\n\u003cbr\u003e　六　 むすびにかえて\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e　初出一覧\n\u003cbr\u003e　あとがき\n\u003cbr\u003e　索引\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eC.オッフェ『アメリカの省察』（野口雅弘訳、法政大学出版局）\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e野口 雅弘\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e野口雅弘\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003eノグチ マサヒロ\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e1969年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。2003年、ボン大学哲学部で博士号（Ph.D）取得。早稲田大学政治経済学術院助教、岐阜大学教育学部准教等を経て、2010年4月より立命館大学法学部准教授。専門は政治学、政治思想史。主な著訳書に、Kampf und Kultur: Max Webers Theorie der Politik ausder Sicht seiner Kultursoziologie（ Berlin: Duncker \u0026amp; Humblot, 2005）、『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』（みすず書房、2006年）、『官僚制批判の論理と心理――デモクラシーの友と敵』（中公新書、2011年）、『はじめて学ぶ政治学』（共著、ミネルヴァ書房、2008年）、『大学と哲学』（共著、未來社、2009年）、クラウス・オッフェ『アメリカの省察――トクヴィル・ウェーバー・アドルノ』（法政大学出版局、2009年）、などがある。\u003c\/p\u003e\n\n\u003cp\u003e奥定泰之\u003c\/p\u003e","brand":"野口 雅弘：著\u003cbr\u003e2011年12月02日 刊行","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":50969613795616,"sku":"60322","price":3190.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0942\/0931\/1008\/files\/9784588603228_0.jpg?v=1764204219","url":"https:\/\/www.h-up.com\/products\/isbn978-4-588-60322-8","provider":"一般財団法人法政大学出版局","version":"1.0","type":"link"}