啓蒙時代の礼節や行儀作法が、文明化の価値、社会慣習と誠実さとの緊張関係、人類の多様性などの問題を浮上させる。モンテスキュー、ヴォルテール、ヒューム、ルソー、カント、スタール夫人らの考察から、今日では等閑に付されがちな法・習俗・マナーの関係にまで光を当て、その考察が炙り出した政治的・道徳的問題が、現在もなお私たちの重要な問題であることを明らかにする。
フィリップ・レノ(レノ フィリップ)
フィリップ・レノ(Philippe Raynaud)
1952年-。サン゠クルーの高等師範学校(リヨン)を卒業、1987年に政治学で国家博士号を取得。パンテオン゠アサス(パリ第2)大学、社会科学高等研究院(EHESS)、レイモン・アロン政治研究センター(社会科学高等研究院)、パリ政治学院で教鞭を取ったのち、パンテオン゠アサス(パリ第2)大学名誉教授(政治学)。専門はアメリカ政治思想・法思想史、法哲学、政治哲学。フランス学士院会員。本書によってラ・ブリュイエール賞(アカデミー・フランセーズ、2014)、ボルドー・モンテーニュ賞(ボルドー・ワイン・アカデミー/ボルドー市、2014)を受賞。主な著書に『司法官と哲学者――法の新時代についてのエッセイ』(アルマン・コラン、2020)、『ライシテ――フランス固有の政教分離の歴史』(ガリマール、2019)、『自由の三革命――イギリス、アメリカ、フランス』PUF、2009)、共編著に『政治哲学事典』(PUF、2003)など。
増田 都希(マスダ トキ)
増田 都希(マスダ トキ)
1973年生まれ。一橋大学大学院言語社会研究科言語社会専攻博士課程修了、学術博士。東海大学特任准教授。専門は近世フランス文化史。共著に『〈フランス革命〉を生きる』(刀水書房、2019)、訳書に『クルタンの礼儀作法書』(作品社、2017)。
序論
第一章 行儀作法と礼節──古典主義時代から啓蒙時代へ
第二章 王、法、習俗──ヴォルテールと君主政フランス
第三章 モンテスキュー、フランス、イギリス
第四章 礼節と自由──ヒュームの政治哲学
第五章 ルソー、あるいは真正さのパラドクス
第六章 礼節と道徳性──カント流の総括
第七章 啓蒙の地誌──スタール夫人の場合
第八章 アメリカと民主主義
結論
謝辞
訳者あとがき
人名索引
第一章 行儀作法と礼節──古典主義時代から啓蒙時代へ
第二章 王、法、習俗──ヴォルテールと君主政フランス
第三章 モンテスキュー、フランス、イギリス
第四章 礼節と自由──ヒュームの政治哲学
第五章 ルソー、あるいは真正さのパラドクス
第六章 礼節と道徳性──カント流の総括
第七章 啓蒙の地誌──スタール夫人の場合
第八章 アメリカと民主主義
結論
謝辞
訳者あとがき
人名索引
『啓蒙時代の礼節』(第 1 刷)訂正のお知らせ
本書の刊行後、誤字を含む組版上の重大なミスが生じていたことがわかりました。
以下に修正点をお知らせするとともに、正誤表を付します。
ミスの責任はすべて編集部にございます。読者の皆様ならびに訳者・関係者各位には、誠にご迷惑をおかけして申し訳ございません。謹んでお詫び申し上げます。
*
■ 241 頁 6 行目〜 8 行目:
「よって自身の気持ちを〜なのである。」の割注を含む 3 行です。正しくは以下です。
よって自身の気持ちをごまかす「善きマナー」や「礼節」をそれ自体として偽りとみなすべきならば、こうしたごまかしが我われの道徳的義務といかにすれば折り合うのか理解にくるしむ。だが問題は、厳密な意味での倫理ではなく、むしろマナーや礼節を社会生活において適用する際に生じる「決疑論的問題〔カトリックの用語:教義を現実社会の問題においていかに適用すべきかを問う〕」なのである。
■ 263 頁 6 行目〜 7 行目:
「かれらを大々的に持ち上げ(イギリス人に〜〔誇り高い〕。がちのようだ。」の 2 行です。
正しくは以下です。
かれらを大々的に持ち上げがちのようだ。
■ 286頁:4行目に行が空き、その後に 」¥「、という不明瞭な記号が続いている箇所です。
正しくは、3 行目の「からだ。」で段落が変わりますが、以下の文章が欠落しております。
とはいえ、コリンナが女性の権利と自由の賛美の名のもとに、イギリスを単に非難すると考えれば見誤ることになろう。女性についてさえも、基本的にスタール夫人はイギリスに対しては好意的評価をもちつづけたからである。『文学について』で、すでにこう述べていた。「イギリスは、〜
「イギリスは、の後に「世界中で女性たちが〜」と続きます。
*
『啓蒙時代の礼節』正誤表PDF
『啓蒙時代の礼節』241頁PDF
『啓蒙時代の礼節』263頁PDF
『啓蒙時代の礼節』286頁PDF
2025年5月 編集部
本書の刊行後、誤字を含む組版上の重大なミスが生じていたことがわかりました。
以下に修正点をお知らせするとともに、正誤表を付します。
ミスの責任はすべて編集部にございます。読者の皆様ならびに訳者・関係者各位には、誠にご迷惑をおかけして申し訳ございません。謹んでお詫び申し上げます。
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■ 241 頁 6 行目〜 8 行目:
「よって自身の気持ちを〜なのである。」の割注を含む 3 行です。正しくは以下です。
よって自身の気持ちをごまかす「善きマナー」や「礼節」をそれ自体として偽りとみなすべきならば、こうしたごまかしが我われの道徳的義務といかにすれば折り合うのか理解にくるしむ。だが問題は、厳密な意味での倫理ではなく、むしろマナーや礼節を社会生活において適用する際に生じる「決疑論的問題〔カトリックの用語:教義を現実社会の問題においていかに適用すべきかを問う〕」なのである。
■ 263 頁 6 行目〜 7 行目:
「かれらを大々的に持ち上げ(イギリス人に〜〔誇り高い〕。がちのようだ。」の 2 行です。
正しくは以下です。
かれらを大々的に持ち上げがちのようだ。
■ 286頁:4行目に行が空き、その後に 」¥「、という不明瞭な記号が続いている箇所です。
正しくは、3 行目の「からだ。」で段落が変わりますが、以下の文章が欠落しております。
とはいえ、コリンナが女性の権利と自由の賛美の名のもとに、イギリスを単に非難すると考えれば見誤ることになろう。女性についてさえも、基本的にスタール夫人はイギリスに対しては好意的評価をもちつづけたからである。『文学について』で、すでにこう述べていた。「イギリスは、〜
「イギリスは、の後に「世界中で女性たちが〜」と続きます。
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『啓蒙時代の礼節』正誤表PDF
『啓蒙時代の礼節』241頁PDF
『啓蒙時代の礼節』263頁PDF
『啓蒙時代の礼節』286頁PDF
2025年5月 編集部