叢書・ウニベルシタス 1065
映画と経験〈新装版〉
クラカウアー、ベンヤミン、アドルノ
ISBN978-4-588-14091-4 C1310 [2025年11月 刊行]
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン(ハンセン・ブラトゥ・ミリアム)
ミリアム・ブラトゥ・ハンセン(Miriam Bratu Hansen)
1949年生まれ。フランクフルト・ゲーテ大学でアメリカ文学を専攻。エズラ・パウンド研究で博士号を取得後、渡米。イェール大学およびラトガース大学で教鞭をとり、1990年よりシカゴ大学英文科教授。映画メディア学科の創設に尽力する。フランクフルト学派とメディアに関する研究を精力的に発表するかたわら、初期映画や映画とモダニティをめぐる論考を幅広く執筆。著書に、本書のほか、『バベル・アンド・バビロン──アメリカ無声映画における観客』(1991)。主な論考に、オスカー・ネークト/アレクサンダー・クルーゲ『公共圏と経験──ブルジョワ公共圏とプロレタリア公共圏の分析にむけて』英語版序文(1993)、「感覚の大量生産──ヴァナキュラー・モダニズムとしての古典的映画」(1999;邦訳:2010)、「ヴァナキュラー・モダニズム──グローバルな規模で映画を跡づける」(2009)など。本書脱稿直後の2011年2月に逝去。
竹峰 義和(タケミネ ヨシカズ)
竹峰 義和(タケミネ ヨシカズ)
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。専門は、ドイツ思想史、映像文化論。現在、東京大学大学院総合文化研究科教授。ドイツ思想史・映像文化論専攻。著書に、『アドルノ、複製技術へのまなざし──「知覚」のアクチュアリティ』(青弓社)、『〈救済〉のメーディウム──ベンヤミン、アドルノ、クルーゲ』(東京大学出版会)。訳書に、クラカウアー『映画の理論──物理的現実の救済』(東京大学出版会)ほか。共訳書に、アウエルバッハ『文学と戦争──ヨーロッパの歴史と文化をめぐる亡命者の思索(1938-1947)』(法政大学出版局)ほか。
滝浪 佑紀(タキナミ ユウキ)
滝浪 佑紀(タキナミ ユウキ)
1977年生まれ。シカゴ大学映画メディア学科博士課程修了。専門は、映画研究、メディア論。現在、立教大学現代心理学部映像身体学科教授。著書に、『小津安二郎 サイレント映画の美学』(慶應義塾大学出版会)。論文に、「小津安二郎作品における認めることの主題──『晩春』と『麦秋』の比較」(『立教映像身体学研究』第12号)ほか。
謝辞
略語
第Ⅰ部 クラカウアー
第1章 映画──崩壊していく世界の媒体
モダニズム的唯物論に向けて
写真、および歴史の一か八かの賭け
第2章 奇妙なアメリカニズム
装飾と公衆としての大衆
大衆文化、階級、主体性
競合しあう複数のモダニティ、狭まる選択肢
第Ⅱ部 ベンヤミン
第3章 アクチュアリティ、さまざまなアンチノミー
複製技術論文──テクスト上の戦略、概念上の被害
大衆、気散じ
第4章 アウラ──ある概念の我有化
一般的な意味におけるアウラ
アウラ芸術、美しい仮象
アウラ、原初的イメージ、夢意識
アウラ的な自己遭遇、生産的な自己疎外
第5章 月をボールと取り違えること
神経刺激伝達
ミメーシス的能力
視覚的無意識
第6章 ミッキーマウス
集合的哄笑──治癒と恐怖
モダニストのメルヒェン
異種混交的な被造物──「自然目的論の破砕」
過剰と馴致
第7章 第二の自然の遊戯形式
《Spiel》と遊戯論
遊戯のための空間、第二の自然、反復可能性
遊戯のアンチノミー
第Ⅲ部 アドルノ
第8章 映画美学という問題
技法、技術
透かし絵
映像/文字
自然美、言語的性格
運動、時間、音楽
第Ⅳ部 亡命時代のクラカウアー
第9章 映画の理論
マルセイユ – ニューヨーク
歴史の待合室としての映画
訳者あとがき
原註+訳註
索引













