ギヨーム=トマ・レーナル(レーナル ギヨーム トマ)
ギヨーム=トマ・レーナル(Guillaume-Thomas Raynal)
1713年フランス南部の小さな町ラパヌーズに生まれる.ロデースのイエズス会コレージュに学び,卒業後イエズス会に入会する.1747年頃パリに赴き,文芸ジャーナリストとして活躍,1750年には『メルキュール・ド・フランス』の編集主幹の一人となり,ジャーナリズムの世界に確固たる地歩を占めた.1747年に『総督職の歴史』を,その翌年には『イギリス議会史』を出版する.1750年にはヴォルテールの推薦によりベルリン・アカデミー会員となり,1754年にはダランベールの推薦によりロイヤル・ソサイアティ入りを果たした.1770年,本書『両インド史』を,ディドロ等の協力を得て,匿名で出版し,その後,二版に渡り改訂増補し,いずれも「飛ぶように売れた」が,1781年,アンシアン・レジームの出版弾圧により身柄拘束と財産没収の判決を下されたため,フランスを脱出する.10年の追放の後,1791年にパリへ帰還し,「大革命の父」と賞讃されるが,議会に対して送った勧告の書は「専制主義の復興を企てるもの」として議会と民衆の憤激をよび,再びパリから脱出する.ナンシー,シャイヨ,アティス=モーンスの友人宅を転々,モンレリの娘宅を経て再びシャイヨに戻り,1796年同地の友人宅で死去.
大津 真作(オオツ シンサク)
大津 真作(オオツ シンサク)
1945年大阪府生まれ.70年名古屋大学理学部卒業.75年東京都立大学人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退.西欧社会思想史専攻.現在,甲南大学文学部教授.著書:『理性と愛──スピノザの思想』(高文堂出版社),『啓蒙主義の辺境への旅』(世界思想社).訳書:モラン『方法1〜5』,セーヴ『マルクス主義と人格の理論』,ヴェントゥーリ『百科全書の起源』,ヴェーヌ『歴史をどう書くか』『差異の目録──歴史を変えるフーコー』,モスコヴィッシ『自然の人間的歴史上・下』(以上,法政大学出版局),エレンステン『スターリン現象の歴史』(大月書店),ジャルダン『トクヴィル伝』(晶文社),フュレ『フランス革命を考える』,バーク『フランス歴史学革命』(以上,岩波書店),共訳:『ディドロ著作集第3巻』,『啓蒙の地下文書Ⅰ』(以上,法政大学出版局),他.
第一篇 東インドにおけるポルトガル人の発見、戦争、征服
序 文
第一章 古くはアトランティス大陸があったと推測される
海域におけるポルトガル人の最初の航海
第二章 マデイラ島の発見。この島の現状
第三章 ポルトガル人のアフリカ大陸紀行
第四章 ポルトガル人の大インドへの到達
第五章 アジアの地理に関する記述
第六章 インドの自然に関する記述
第七章 インドの古さ
第八章 インドの宗教、政体、法制度、習慣、慣習
第九章 マラバール地方におけるポルトガル人の行ない
第一〇章 ポルトガル人によるゴア征服
第一一章 ポルトガル人が喜望峰を回るまで、ヨーロッパは
インドとどのようなやり方で貿易をしていか
第一二章 ポルトガル人は紅海の海運の主人となる
第一三章 紅海におけるポルトガル人の支配はいかなる危険から
ヨーロッパを守ったか
第一四章 ポルトガル人はペルシア湾において支配権を勝ち取る
第一五章 セイロンにおけるポルトガル人の植民
第一六章 ポルトガル人はマラッカ征服を実行する
第一七章 モルッカ諸島におけるポルトガルの植民
第一八章 ポルトガル人のおおいなる活力の原因
第一九章 ポルトガル人のシナ到達。この帝国を概括する
第二〇章 賛美者によるシナの状態
第二一章 中傷者によるシナの状態
第二二章 ポルトガル人の日本到達。
この諸島の宗教、習俗、政体
第二三章 大インドにおけるポルトガル支配の範囲
第二四章 インドにおけるポルトガル人の墜落
第二五章 カストロの輝かしい行政
第二六章 軟弱になり、もはや恐ろしくなくなったポルトガル人
第二七章 ポルトガル人に対して仕組まれた陰謀の広がり。
アタイデはどのようにしてそれを振り払ったか。
第二八章 ポルトガル人はスペイン人によって
支配される状態に転落する
第二九章 インドでポルトガル人の崩壊を導いた
ほかの原因はなんであろうか
第三〇章 インドにおけるポルトガル人の現状
第二篇 東インドにおけるオランダ人の植民、戦争、政治、貿易
第一章 オランダの古代諸革命
第二章 オランダ共和国の樹立
第三章 オランダ人による大インドへの最初の航海
第四章 インド会社の設立
第五章 オランダ人とポルトガル人の戦争
第六章 オランダ人はフォルモサ〔台湾〕に植民する
第七章 オランダ人の日本貿易
第八章 オランダ人の軛につながれたモルッカ諸島
第九章 オランダ人はティモールに植民する
第一〇章 オランダ人はセレベスの主人となる
第一一章 オランダ人はボルネオで歓待される
第一二章 スマトラでのオランダ人の植民
第一三章 シャムにおけるオランダ人の貿易
第一四章 マラッカにおけるオランダ人の状況
第一五章 セイロン島におけるオランダ人の植民
第一六章 コロマンデル海岸におけるオランダ人の貿易
第一七章 マラバール海岸におけるオランダ人の貿易
第一八章 喜望峰におけるオランダ人の植民
第一九章 ジャワ島におけるオランダ人の支配
第二〇章 大インドとヨーロッパで会社の事業は、
どのようなやり方で行なわれているか
第二一章 会社繁栄の諸要因
第二二章 会社の没落
第二三章 会社が没落した理由
第二四章 会社に残された事業立て直しの手段
第二五章 会社を脅かす不幸
第二六章 会社が破滅するのを黙って見過ごさないだけの
理由を共和国が持ちうることにつて
第二七章 オランダ人の古くからの知恵と現在の墜落
第三篇 東インドにおけるイギリス人の植民、貿易、征服
第一章 イギリス人の古代貿易を概観する
第二章 イギリス人による最初のインド航海
第三章 オランダ人とイギリス人の紛争
第四章 ポルトガル人とイギリス人の紛争
第五章 ペルシアとイギリス人との関係
第六章 大インドにおけるイギリス人の凋落
第七章 インドにおけるイギリス人の貿易の復興
第八章 大インドにおけるイギリス人の不幸と謝り
第九章 会社の諸特権がイギリスで引き起こした論争
第一〇章 英仏戦争
第一一章 アラビアに関する記述。
アラビアが経験した数々の革命。その住民の性格
第一二章 アラビアの貿易全般。とくにイギリス人の貿易
第一三章 ペルシア湾で数々の革命に見舞われた貿易
第一四章 ペルシア湾の貿易の現状、とくにイギリス人の貿易現状
第一五章 マラバール地方に関する記述。
それを構成する諸国家の概要
第一六章 マラバール地方の特産品
第一七章 ゴアの現状
第一八章 海賊アングリアの話
第一九章 マラバール海岸におけるマラーター族の現状
第二〇章 スーラトに起きた諸革命。
この地でイギリス人が獲得した影響力の結果
第二一章 サルセット島に関する記述
第二二章 ボンベイの島に関する記述。その現状と重要性
第二三章 ヨーロッパ人が到来したときのコロマンデル海岸の状態
第二四章 どのようにしてヨーロッパ人はコロマンデル海岸で
貿易を確立してきたか、どのような広がりをそれに
与えてきたか
第二五章 コロマンデル海岸におけるイギリスの所有地
第二六章 スマトラ島におけるイギリスの植民地
第二七章 バランバンガン島でのイギリス人の目論見。
この島からの彼らの追放
第二八章 ベンガル地方において生じた諸革命
第二九章 ビスナポルで再発見されたインド人の古代習俗
第三〇章 ベンガル地方の産物、マニュファクチュア、輸出
第三一章 セント・ヘレナのイギリス植民地について
どのような考えをもたなければならないか
第三二章 イギリス人はコモロ諸島をどのような用途に使っているか
第三三章 イギリスの会社民間商人にインド内貿易を委ねた
第三四章 会社が貿易で味わった窮屈な思い。
会社が注ぎこんだ資金。会社が貿易に与えた広がり
第三五章 ベンガル地方の征服。
征服はいかにして、だれによってなされたか
第三六章 ベンガル地方においてイギリス人が現状を
維持するためにとっている対策
第三七章 イギリス人はベンガル地方の繁栄がつづくのを
見ることを心ひそかに期待していていいのだろうか
第三八章 イギリス人がベンガル地方で犯した虐待を残虐行為
第三九章 政府と会社自身があらゆるたぐいの略奪を
終わらせるためにとった対策
第四〇章 会社の現状
第四一章 会社の特権は更新すべきか
訳 注
訳者解説
索 引
事項索引
人名索引
地名索引








