両インド史
東インド篇/下巻

A5判 / 692ページ / 上製貼箱入 / 価格 19,800円 (消費税 1,800円) 
ISBN978-4-588-15057-9 C3020 [2011年05月 刊行]

内容紹介

東インドという総称のもとに含まれる非ヨーロッパ地域の文物を考察するとともに、「他者」との比較対照によって、ヨーロッパ的な「自己」をも分析・検討の対象とした『両インド史』東インド篇のうち、本巻では、第四篇「東インドにおけるフランス人の旅行、植民地、戦争、貿易」、第五篇「東インドにおけるデンマーク、オーステンデ、スウェーデン、プロイセン、スペイン、ロシアの貿易」を収める。

著訳者プロフィール

ギヨーム=トマ・レーナル(レーナル ギヨーム トマ)

ギヨーム=トマ・レーナル(Guillaume-Thomas Raynal)
1713年フランス南部の小さな町ラパヌーズに生まれる.ロデースのイエズス会コレージュに学び,卒業後イエズス会に入会する.1747年頃パリに赴き,文芸ジャーナリストとして活躍,1750年には『メルキュール・ド・フランス』の編集主幹の一人となり,ジャーナリズムの世界に確固たる地歩を占めた.1747年に『総督職の歴史』を,その翌年には『イギリス議会史』を出版する.1750年にはヴォルテールの推薦によりベルリン・アカデミー会員となり,1754年にはダランベールの推薦によりロイヤル・ソサイアティ入りを果たした.1770年,本書『両インド史』を,ディドロ等の協力を得て,匿名で出版し,その後,二版に渡り改訂増補し,いずれも「飛ぶように売れた」が,1781年,アンシアン・レジームの出版弾圧により身柄拘束と財産没収の判決を下されたため,フランスを脱出する.10年の追放の後,1791年にパリへ帰還し,「大革命の父」と賞讃されるが,議会に対して送った勧告の書は「専制主義の復興を企てるもの」として議会と民衆の憤激をよび,再びパリから脱出する.ナンシー,シャイヨ,アティス=モーンスの友人宅を転々,モンレリの娘宅を経て再びシャイヨに戻り,1796年同地の友人宅で死去.

大津 真作(オオツ シンサク)

大津 真作(オオツ シンサク)
1945年大阪府生まれ.70年名古屋大学理学部卒業.75年東京都立大学人文科学研究科仏文学専攻博士課程中退.西欧社会思想史専攻.現在,甲南大学文学部教授.著書:『理性と愛──スピノザの思想』(高文堂出版社),『啓蒙主義の辺境への旅』(世界思想社).訳書:モラン『方法1〜5』,セーヴ『マルクス主義と人格の理論』,ヴェントゥーリ『百科全書の起源』,ヴェーヌ『歴史をどう書くか』『差異の目録──歴史を変えるフーコー』,モスコヴィッシ『自然の人間的歴史上・下』(以上,法政大学出版局),エレンステン『スターリン現象の歴史』(大月書店),ジャルダン『トクヴィル伝』(晶文社),フュレ『フランス革命を考える』,バーク『フランス歴史学革命』(以上,岩波書店),共訳:『ディドロ著作集第3巻』,『啓蒙の地下文書Ⅰ』(以上,法政大学出版局),他.

※上記内容は本書刊行時のものです。

目次

 第四篇 東インドにおけるフランス人の旅行、植民地、戦争、貿易

第一章 フランスの貿易における古代の諸革命
第二章 大インドへ最初に旅したフランス人たち
第三章 大インドのためにフランスは会社を設立する。
    この会社に対して認められた振興策について
第四章 フランス人はマダガスカルに植民地を形成する。
    この島についての記述
第五章 マダガスカルにおけるフランス人の振る舞い。
    彼らはそこでなにをやることができ、
    なにをやらなければならなかったか
第六章 フランス人はスーラトを貿易の中心とする。
    この都市が位置するグジャラート地方についての概要
第七章 スーラトの始まりと進歩
第八章 スーラト住民の習俗
第九章 バイヤデールたちの姿は、インドの他の地域よりも
    スーラトにおいていっそう官能的である
第一〇章 スーラト貿易の規模。スーラトが経てきた諸革命
第一一章 セイロン島とサン・トーメにおける
     フランス人の企て。彼らのポンディシェリ植民
第一二章 フランス人はシャムに呼び寄せられる。
     この王国についての記述
第一三章 フランス人は、シャムを利用できていたのに、
     不手際のせいでその有利な立場を奪われてしまった
第一四章 トンキン地方とコーチシナ地方に関するフランス人の
     見解。これらの地方についての記述
第一五章 フランス人は、彼らの主要な植民地である
     ポンディシェリを失ったのち、取り戻す
第一六章 フランスの〔東インド〕会社の頽廃。その衰退の原因
第一七章 初期の王政以来、フランスの財政に起こった諸革命
第一八章 フランス財政は無秩序に落ちこんでしまった。
     そこからフランス財政を引き出すために、ローが考え
     出した方法。会社は彼の計画の実行に参画する
第一九章 システムが瓦解したときのインド会社の状態
第二〇章 会社の輝かしい成功。代理人たちが会社にもたらした
     成功とはどのようなものであるか
第二一章 北インドの有様
第二二章 インドに広大な植民地を持つためにフランス人が用いた手段
第二三章 イギリス人とフランス人の戦争。
     フランス人はすべての植民地を失う
第二四章 フランス人が味わった不幸の原因
第二五章 インドでの事業を立て直すためにフランスにおいてとられた対策
第二六章 会社の特権は中断された。その当時の会社の状況
第二七章 会社は貿易を再開する希望を失う。
     会社はすべての財物を政府に譲渡する
第二八章 マラバール海岸におけるフランス人の現状
第二九章 ベンガル地方におけるフランス人の現状
第三〇章 コロマンデル海岸におけるフランス人の現状
第三一章 ブルボン島の現状
第三二章 フランス島の現状。この植民地の重要性。
     そこではなにがなし遂げられてきたか、また、
     今後やるべきこととしてなにが残されているか
第三三章 フランス人がインドでどうにか尊敬を取り戻し、
     勢力を回復するようになれば、
     従わなければならなくなるいくつかの原理

 第五篇 東インドにおけるデンマーク、オーステンデ、
     スウェーデン、プロイセン、スペイン、ロシアの
     貿易。ヨーロッパと大インドとの結びつきに
     関する重要ないくつかの問題

第一章 デンマークの古代諸革命
第二章 デンマークは大インド貿易を企てる
第三章 大インドでデンマーク人の貿易はどのような変遷を経たか
第四章 大インドにおけるデンマーク人の現状
第五章 オーステンデにおける大インド会社の設立
第六章 オーステンデ会社を破滅に導いた理由
第七章 スウェーデンの会社。この国の統治に起こった諸革命
第八章 大インド貿易に加わるスウェーデン人。
    彼らはどのようなやり方で貿易を営んだか
第九章 スウェーデンの現状
第一〇章 プロイセン国王はエムデンに大インドのための会社を
     設立する。この君主の性格。その植民地の運命
第一一章 フィリピン群島へのスペインの植民。
     この群島に関する記述
第一二章 フィリピン群島の領有をめぐって
     スペイン人とポルトガル人が争う
第一三章 スペインはフィリピン群島に植民地を形成する。
     その成功が妨げられてしまった理由
第一四章 フィリピン群島の現状
第一五章 フィリピン群島はどのような危険にさらされているのだろうか?
第一六章 フィリピン群島はどのようになっていくだろうか
第一七章 タタール地方に関する一般観念
第一八章 タタール地方でのロシア人とシナ人とのいざこざ
第一九章 ロシアはシナに隊商を送る自由を獲得し、
     大インド貿易のための別の交通路を開く
第二〇章 ロシアの版図、統治、人口、収入
第二一章 ロシアの貿易全般
第二二章 ロシアの軍事力
第二三章 ロシアの繫栄を妨げる障害。
     それらを乗り越えるために用いることができる手段
第二四章 隣接地域とシナとの貿易
第二五章 ヨーロッパ人によるシナとの貿易
第二六章 茶に関してどのような知識を持っているにせよ、
     ヨーロッパ人は茶をシナから買っている
第二七章 ヨーロッパ人がシナから買っている磁器の起源・性質・特性
第二八章 ヨーロッパ人は品で絹を買う。
     それは、われわれのところの絹とどこがちがうのか
第二九章 ヨーロッパ人は、シナで漆と紙を買う。
     この帝国の技芸に関する余談
第三〇章 シナは、ヨーロッパ人にルバーブとその他、若干の商品を供給している
第三一章 シナとの関係を形成してきたヨーロッパの諸国民とは
     どういう人びとなのか。
     彼らの購入総額はいかほどにのぼっているのか
第三二章 シナとヨーロッパの貿易はどうなるであろうか
第三三章 ヨーロッパは大インドと貿易をつづけるべきであろうか?
第三四章 大インドで貿易を行なうために、大規模な植民地を
     ヨーロッパは必要としているか?
第三五章 ヨーロッパは大インド貿易を自由化すべきか、
     それとも独占会社を通じてそれを開発すべきか

 訳  注
 訳者解説
 索  引
 事項索引
  人名索引
  地名索引

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