叢書・ウニベルシタス 1035
ライプニッツのデカルト批判 下

四六判 / 342ページ / 上製 / 定価:4,000円 + 税 
ISBN978-4-588-01035-4 C1310 [2015年12月 刊行]

内容紹介

二人の天才の思想的交錯を精密かつ総合的に分析した、1960年刊行の古典的研究、邦訳完結。下巻には第三部「世界観」を構成する「第六章 自然学の基礎」と「第七章 自然学の諸原理」を収録。現代ライプニッツ研究の第一人者ミシェル・フィシャンによるベラヴァルへのオマージュ「読むことの師匠」(日本語版書き下ろし)と、谷川多佳子氏および訳者による充実の「解説」も併載。

著訳者プロフィール

イヴォン・ベラヴァル(ベラヴァル イヴォン)

(Yvon Belaval)
1908-88年。フランス南西部の地中海に面した都市セートに生まれる。船員、関税検査官などの職を経た後、1941年に哲学の教授資格(アグレガシオン)を取得。ストラスブール大学講師、助教授、リール大学助教授などを経て、60年に同大学教授。65年からはソルボンヌ(パリ第一大学)で教鞭を執る。国際哲学会(IIP)事務局長、ライプニッツ協会(Leibniz-Gesellschaft)副会長、18世紀学会会長などを歴任。ライプニッツ哲学の専門家としてはもちろん、広く17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ哲学、とりわけライプニッツのヴォルテールやディドロといった啓蒙の哲学者たちやヘーゲルへの影響について、数多くの重要な業績を残した。また、哲学史家としてだけでなく、文学者、詩人としても活躍した。著書は代表作である本書以外に、『ライプニッツ入門』(1961)、『ライプニッツ研究』(1976)、『詩の探究』(1947)、『ディドロの逆説なき美学』(1950)、『啓蒙の世紀──文学の歴史第3巻』(1958)など多数。死後にも『ライプニッツ──古典主義時代から啓蒙へ』(1995)、『ディドロ研究』(2003)などの遺作集が後進の手により刊行されている。

岡部 英男(オカベ ヒデオ)

1955年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。東京音楽大学専任講師。哲学・倫理学専攻。著書に『ライプニッツ読本』(共著、法政大学出版局)など。訳書にコプルストン『理性論の哲学』上・下(共訳、以文社)、ライプニッツ『人間知性新論』上・下(共訳、工作舎)、ブーヴレス『合理性とシニシズム』(共訳、法政大学出版局)など。

伊豆藏 好美(イズクラ ヨシミ)

1957年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程単位取得退学。聖心女子大学文学部教授。哲学・倫理学専攻。著書に『哲学の歴史 第5巻:デカルト革命』(共著、中央公論新社)、『ライプニッツ読本』(共著、法政大学出版局)、『社会と感情』(共著、萌書房)など。訳書に『ライプニッツ著作集 第Ⅱ期 1哲学書簡』(共訳、工作舎)など。

※上記内容は本書刊行時のものです。

目次

第三部 世界観

第六章 自然学の基礎

形而上学に遡る必然性
Ⅰ 可能的なもの──デカルトの場合/ライプニッツの場合。可能的なものをライプニッツは実在的なものの尺度とする

Ⅱ 偶然的なものは、デカルトにとっては神の意志にのみ依存する/ライプニッツにとっては、第一に、至高の知性に依存する。そこでは共可能的なものが可能的なものに最善の考察を付け加える。現実存在する諸真理は完了し得る分析を超える。十分な理由の原理の場所/第二に、神の意志に依存する。デカルトの場合は判断するためには欲しなければならないのに対して、ライプニッツの場合は欲するためには判断しなければならない/第三に、至高の意志と知性との関係に依存する。選択:最善の決定と創造

Ⅲ 合目的性、偶然性の根源/創造する意志の目標であるためには、世界はまず神の知性の対象でなければならない/目的の価値をもつためには、世界はさらに組織化されていなければならない。あらゆる組織は異質性を含む。デカルトの機械論の仮説への批判/全体の建築術。最善の決定。〈最善と最大〉/デカルトに対して、光学の法則から与えられた合目的性についての証明/「最も決定されたもの」の定義は「最も決定的なもの」になる。連続的変化の〈最善〉としての完全性。完全なものは絶対的で、不完全なものは相対的/支配原理:諸部分を組織化する全体/未来の組織化、または到達すべき目標。第一に、「魂に満ちた」世界。動物──機械論への批判/第二に、すべてが魂で満ちているならば、時間は連続的で、終わりは始まりの条件である。原因からの時間(デカルト)と目的からの時間(ライプニッツ)。場所的運動と運動──過程との類比的な違い/要約:プラトン(ライプニッツ)対アナクサゴラス(デカルト)

Ⅳ 実在的なものの合理性、デカルトでは仮説的、ライプニッツでは絶対的/可知的ではあってもそれ自体では非理性的な、魂とは無縁の物質に、ライプニッツは物質──魂を対置し、対象の側の論理と主観の側の論理との一致を予示する/ライプニッツにとっての非理性的なものは、第一に、被造物の制限性において。第二に、分析の無終極性において要約される/実在的因果性と観念的因果性/それらの関係/因果関係の可知性/結論:〈原因すなわち理由〉という定式はライプニッツに関わるが、デカルトには適用できない

第七章 自然学の諸原理

Ⅰ 決定論。ライプニッツはこの概念にデカルトよりも近づいているように見える

Ⅱ 法則の観念もまた同じく、われわれの哲学者においては現在のような定式化を与えられてはいない/デカルトにとっての自然とライプニッツにとっての自然

Ⅲ 諸原理とそれらが確立される方法

Ⅳ 構造の諸法則:感覚的なものと感覚できないものとの主観的な対比。デカルトは一方から他方への移行で、結果的にア・プリオリなものとア・ポステリオリなものの間に裂け目を残し、ライプニッツはそれを連続律により消去する/不可視の構造により説明された物体の多様性。それはデカルトではア・プリオリに、ライプニッツによってはア・ポステリオリに説明される

Ⅴ 量的諸法則。ライプニッツによる級数としての法則概念/心身関係。心理学的法則と歴史的法則

Ⅵ デカルトと自然学における経験〔実験〕/ライプニッツの批判/しかしライプニッツはデカルトと同じく経験〔実験〕に従属的な役割しか与えていない

Ⅶ 学知における感覚的なものの場所/感覚的なものの主観性をデカルトは魂とは異質な実体の侵入として解釈し、ライプニッツはすべての被造物に本来的な制限として解釈する/感覚的なものの理論的意味/実践的意味/自然学における感覚の効用

Ⅷ 自然学の数学化。デカルトの場合/ライプニッツの場合/デカルトとライプニッツは量を同じ仕方で考えてはいない。機械論はライプニッツにとっていかなる点で部分的に想像的なところを有するのか/デカルト的機械論の第一の超克:動力学/第二の超克:目的論

Ⅸ その数学化の失敗。彼らが数学から取り上げるのはその方法の確実性の源泉だけである/デカルトとライプニッツはアプリオリズムのもとで再合流する/彼らは計測を行わない/そこに彼らの応用自然学の失敗の原因がある

Ⅹ 蓋然的なもの。ライプニッツも確率〔蓋然性の〕計算を諸学に応用してはいない/デカルトにおける確からしいこととは可能的なものから考察された現実存在である/ライプニッツにとっては論理的な収束である/説明的仮説と記述的仮説:形而上学的観点と現象主義的観点/仮説の意義/仮説の検証可能性の度合い/帰納と蓋然的なもの/帰納の従属的役割

Ⅺ 結論:デカルトとライプニッツは偉大な自然学者にして哲学者でもあった最後の二人である:彼らの自然学はニュートン以前的なものである

結 論

Ⅰ ライプニッツのデカルト批判

Ⅱ その批判をいかに読むべきか

Ⅲ その批判が教えていること

*  *  *

[日本語版の読者へ]
ミシェル・フィシャン「読むことの師匠」(谷川多佳子訳)
(パリ・ソルボンヌ大学名誉教授、ライプニッツ協会副会長)

[解説]
伊豆藏好美「ベラヴァルのライプニッツと十七世紀──あるいは、ライプニッツのデカルトと十七世紀」
岡部英男「ライプニッツのコギト批判」
訳者あとがき

谷川多佳子「デカルトからライプニッツへ──直観、真理、自然」
(筑波大学名誉教授)
謝辞

原注
文献一覧
人名索引

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