J.ルカーチ著/菅英輝訳『評伝 ジョージ・ケナン』が、「朝日新聞」(2011年12月25日付/書評委員お薦め「今年の3点」、保阪正康氏・評)にて紹介されました。
2011年 のアーカイブ
J.ルカーチ著/菅英輝訳『評伝 ジョージ・ケナン』が、「東京新聞」(2011年12月25日付/古関彰一氏・評)にて紹介されました。
香月洋一郎著『馬耕教師の旅』が、「季刊地域」(No.8、2011年冬号/相馬尅之氏・評)にて紹介されました。
張玉萍著『戴季陶と近代日本』が、「史学雑誌」(第120編第12号、2011年12月/黄東蘭氏・評)にて紹介されました。
1711年4月26日生まれ。スコットランドを代表する哲学者。エディンバラ大学で学び、哲学やその他の分野についての執筆活動をするとともに、フランス大使秘書などに就く。ルソーとの交流とその破綻はよく知られている。1776年8月25日死去。おもな著作は、『人間本性論』(1739-40)、『人間本性論摘要』(1740)、『人間知性研究』(1748)、『道徳原理研究』(1751)、『宗教の自然史』(1757)、『イングランド史』(1754-61)など。死後『自然宗教に関する対話』(1779)が公刊された。 1956年静岡県生まれ。京都大学文学部卒業。香川大学教育学部教授。専門は英国経験論・分析哲学。論文「ヒュームの情念論」(中才敏郎編『ヒューム読本』法政大学出版局、2005)、「自然主義的誤謬と「である-べきである問題」」(中才敏郎・美濃正編『知識と実在』世界思想社、2008)など。 1956年長崎県生まれ。京都大学文学部卒業。法政大学文学部教授。専門は言語哲学・科学哲学。論文「一般性制約について(1)」(『法政大学文学部紀要』第48号、2003)、「ホワイトヘッド」(伊藤邦武編『哲学の歴史8』中央公論新社、2007)など。 1959年岩手県生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学文学部教授。専門は英米近現代哲学。論文「ヒューム、その道徳哲学の視野」(中才敏郎編『ヒューム読本』法政大学出版局、2005)、「動物の心と人間の理性」(『立命館文學』603号、2008)など。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 第一部 誇りと卑下について
第一節 主題の区分
第二節 誇りと卑下について―それらの対象と原因
第三節 これらの対象と原因は何に由来するか
第四節 印象の関係と観念の関係について
第五節 誇りと卑下に対するこれらの関係の影響について
第六節 この体系の制限
第七節 悪徳と徳について
第八節 美しさと醜さについて
第九節 外的な〔対象の〕長所と短所について
第十節 所有と富について
第十一節 名声への愛について
第十二節 動物の誇りと卑下について
第二部 愛と憎しみについて
第一節 愛と憎しみの対象と原因について
第二節 この体系を強化する実験
第三節 諸困難の解決
第四節 〔われわれと〕関係を有するものに対する愛について
第五節 富と権力を持つ人々に対する敬意について
第六節 善意と怒りについて
第七節 同情について
第八節 悪意と妬みについて
第九節 善意と同情および怒りと悪意の混合について
第十節 尊敬と軽蔑について
第十一節 恋愛の情念、すなわち両性間の愛について
第十二節 動物の愛と憎しみについて
第三部 意志と直接情念について
第一節 自由と必然性について
第二節 同じ主題(自由と必然性)の続き
第三節 意志に影響する動機について
第四節 激しい情念の諸原因について
第五節 習慣の効果について
第六節 想像力が情念に与える影響について
第七節 空間時間における隣接と距離(隔たり)について
第八節 同じ主題(空間時間における隣接と距離)の続き
第九節 直接情念について
第十節 好奇心、すなわち真理への愛について
訳注
解説 ヒューム『人間本性論』における情念論 ヒュームは人間本性における理性の働きを限定的に捉え、行為の原動力を情念と考えた。そして、人間の行為を統御する道徳的判断も情念を基底としているはずだと一貫して主張し、第2巻では「間接情念」と名づけた4つの情念の因果的なメカニズムを徹底して考察する。情念の解明こそ彼の最重要課題であったことがうかがえ、「人間学」の構想がかいま見える。
12月5日より、早稲田大学生協にて大学出版部協会ブックフェアを開催しています。 (さらに…)
高橋雄造著『ラジオの歴史』が、「MJ 無線と実験」(2012年1月号)にて紹介されました。
R.フィネガン著/湯川新訳『隠れた音楽家たち』が、「日本経済新聞」(2011年12月11日付/岡田暁生氏・評)にて紹介されました。
J.-F.リオタール著/合田正人監修/三浦直希訳『言説、形象(ディスクール、フィギュール)』が、「図書新聞」(2011年12月17日号/加賀野井秀一氏・評)にて紹介されました。
1941年、ベルリンに生まれる。フランクフルト大学とベルリン大学で文学・哲学・社会学を修める。1973年以降、ニューヨークとベルリンに在住し、多彩な著作活動を展開。本書のほか、『鉄道旅行の歴史』(1977)、『楽園・味覚・理性』(1980)、『知識人の黄昏』(1982)、『図書館炎上』(1988)、『光と影のドラマトゥルギー』(1992)、『ベルリン文化戦争』(1995)、『敗北の文化』(2003。以上、邦訳は法政大学出版局刊)などの著書がある。2003年にハインリヒ・マン賞を授賞、2005年にマルティン・ヴァルンケ・メダル(アビイ・ワールブルク基金文化学賞)を授与された。 長崎県に生まれる。大阪市立大学大学院博士課程修了。ドイツ文学専攻。現在、宮崎大学教授。著書に『オリエンタリズムとジェンダー』、訳書に、ヴォルフガング・シヴェルブシュ『光と影のドラマトゥルギー』、ヴォルフ・レペニース『十八世紀の文人科学者たち』、カール・フォン・リンネ『神罰』、共訳に、ルネ・ケーニヒ『マキアヴェッリ』(以上、いずれも法政大学出版局刊)、その他がある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク ランプ
・火と焔
・アルガン、あるいは灯芯の合理化
・ガス灯
熱(テルモ)ランプ
集中供給
普及
爆発の危険性
ガス中毒の危険性
ガスの焔
換気装置
焔の終息、白熱ガス灯
・電気の神格化
アーク灯
白熱電球
電化
架空の会話
街路
・街灯破壊
・光の氾濫
太陽の塔
余論──夜の生活
・ショーウィンドー
サロン
舞台
・観客席の暗転
・一九世紀の光の娯楽──パノラマ、ジオラマ、幻灯
原註
訳者あとがき 産業革命を頂点に、バロックから近代にいたる照明技術の歴史を広範な文化史の観点から描き出す。ラヴォワジエの燃焼理論を化学の啓蒙主義と位置づけ、時代の哲学と社会と技術を結び、バシュラールの「管理された光」の社会的側面をダイナミックに論じてベンヤミンの未完の壮挙に挑む。
1941年、ベルリンに生まれる。フランクフルト大学とベルリン大学で文学・哲学・社会学を修める。1973年以降、ニューヨークとベルリンに在住し、多彩な著作活動を展開。本書のほか、『楽園・味覚・理性』(1980)、『知識人の黄昏』(1982)、『闇をひらく光』(1983)、『図書館炎上』(1988)、『光と影のドラマトゥルギー』(1992)、『ベルリン文化戦争』(1995)、『敗北の文化』(2003。以上、邦訳は法政大学出版局刊)などの著書がある。2003年にハインリヒ・マン賞を授賞、2005年にマルティン・ヴァルンケ・メダル(アビイ・ワールブルク基金文化学賞)を授与された。 1925年、神奈川県に生まれる。東京大学文学部独文科卒業。一橋大学教授・神奈川大学教授を歴任し、現在、一橋大学名誉教授。ドイツ文学専攻。訳書に、ローベルト・ムージル『特性のない男』(訳者代表。全4巻、河出書房新社)、ローベルト・ムージル『特性のない男』(全6巻、松籟社)、ゴーロ・マン『歴史論Ⅰ・Ⅱ』、イエーシュ・ジュラ『プスタの民』、U.ホルストマン『人間怪物論』、A.フリゼー編『ムージル読本』(共訳)(以上、法政大学出版局刊)などがある。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 1 原動力の機械化
2 機械のアンサンブル
3 鉄道の空間と鉄道の時間
余談──ガラス建築の空間
4 パノラマ風の旅行
5 仕切った車室(コンパートメント)
旅行中の談笑の終焉
孤絶
密室劇
車室の問題点
6 米国の鉄道
鉄道以前の交通
鉄道路線
新型車輛
米国の車輛のモデル、川蒸気と定期郵便船
レールの上の船旅
追記
7 鉄道旅行の病理学
余談──工業性疲労
8 事故
9 鉄道事故、鉄道性脊柱、外傷性ノイローゼ
余談──ショックの歴史
10 刺戟保護、または工業化した意識
11 都市への入口──駅
12 都市の中の鉄道路線
百貨店
流通
追記
原註
訳者あとがき
人名解説
人名索引 鉄道旅行を産業革命の市民的体験としてとらえた19世紀の旅の思想史。その生み出した時間・空間概念の変貌を語り、ヨーロッパと米国の鉄道の違いを技術・経済・国民性の側面から解明。さらに鉄道事故が精神医学および法律に与えた影響を説き、駅舎建築を都市の構造と機能の観点から検討する。
赤羽正春著『樹海の民』が、「山形新聞」「信濃毎日新聞」「神戸新聞」「徳島新聞」(各2011年12月4日付)にて紹介されました。
1924年生まれ。LSE(ロンドン大学経済学院)に学び、1962年博士号を取得。1963年ロンドン大学教育研究院の教育社会学シニア・レクチャラーに就任、1967年同教授、1979年には初代のカール・マンハイム記念講座教授に就任した。その後同研究院の名誉教授。社会における階級関係が、いかに言葉による社会統制の様式や学校教育における伝達・獲得を規定し、また逆にいかに後者が前者の再生産に寄与しているかという問題についての研究で世界的に知られた社会学者。本書のほかに、『言語社会化論』(明治図書)、『教育伝達の社会学』(同)が邦訳されている。2000年9月24日死去。 1946年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。教育社会学専攻。一橋大学名誉教授。著書:『競争の教育』(旬報社)。編著:『教員文化の日本的特性』(多賀出版)、『豊かさの底辺に生きる』(青木書店)。監訳書:G.ウィッティー『教育改革の社会学』(東京大学出版会)。 1961年生まれ。一橋大学大学院博士課程修了。教育社会学専攻。琉球大学教育学部教授。共著書:『教員文化の日本的特性』(多賀出版)、『人間形成論の視野』(大月書店)、『「心のノート」への方へは行かない』(子どもの未来社)。 1962年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。教育学専攻。相模女子大学学芸学部教授。共著書:『豊かさの底辺に生きる』(青木書店)、『講座学校』第6巻「学校文化という磁場」(柏書房)。 1960年生まれ。東京大学大学院博士課程修了。教育学専攻。東京大学大学院教育学研究科教授。著書:『教育改革と公共性─ボウルズ=ギンタスからハンナ・アレントへ』(東京大学出版会)。 1965年生まれ。一橋大学大学院博士課程修了。教育社会学専攻。中京大学現代社会学部教授。共著書:『ブルデューを読む』(情況出版)、『人間形成論の視野』(大月書店)。共訳書:ブルデュー『遺産相続者たち』(藤原書店)。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 日本の読者へのメッセージ
謝辞
シリーズ編者の序文
序章 理論、実証研究、応答、そして民主主義──本書の焦点と背景
1 本書の狙いと構成
2 民主主義と〈教育〉の権利
3 焦点の移動と展望的タイトル
第 I 部 〈教育〉の社会学理論をめざして
第1章 〈教育〉コードとその実践における諸様態
1 権力と統制
2 分類と枠づけ
3 分類──いくつかの例
4 枠づけ
5 〈教育〉コード
6 コードと変化
7 コードと意識
8 伝達と獲得
9 コードと実証研究
10 結論
第2章 〈教育〉装置
1 序
2 言語装置と〈教育〉装置
3 〈教育〉装置の諸ルール
4 結論
第3章 知識の〈教育〉化──再文脈化過程の探求
1 知識、配置、著者
2 コンペタンス、その社会的ロジック
3 〈教育〉のモデル──コンペタンスとパフォーマンス
4 モデルとそのモード
5 モデル、対立、アイデンティティ
6 再文脈化領域とそのダイナミックス
7 国家と再文脈化過程
8 資本主義の再組織化とアイデンティティ形成
第4章 三科と四科についての諸考察──知者からの知識の分離
第 II 部 理論に照らした実証/実証に照らした理論
第5章 コード理論とその実証研究
1 私にとっての理論のいくつかの基準
2 家族における統制のモデル化──初期の概念
3 学校構造のモデル化
4 〈教育〉コードのモデル化
5 〈教育〉コードとその実証研究
6 分類と枠づけの発展
7 コード獲得のモデル化
8 〈教育〉コード、認知・実現ルール、それらの実証研究
9 基礎的概念──コード
10 生産と象徴統制との領域
11 二つの領域と担い手たち──その実証研究
12 〈教育〉言説の構築──そのモデル化
13 〈教育〉言説──その実証研究
14 概括
補論
第6章 実証研究と記述の言語
1 実証研究の経済
2 記述の言語
3 探求の様式
4 例証
5 議論
6 結論
サブシステムのネットワークに関する補論
第 III 部 批判と応答
第7章 社会言語学──個人的見解
補論
第8章 エドワーズと言語コード論──エドワーズの回答を含む
1 コード概念
2 さまざまなコードと教室
A・D・エドワーズ──バジル・バーンスティンへの回答
第9章 言説、知識の構造、そして場──恣意的ないくつかの考察
結論
第10章 コード理論とその位置づけ──ある誤解のケース
1 物神化
2 コードと多義性を制限するもの
3 ルールと〈教育〉実践
4 ルールと〈教育〉言説
5 コード概念と特種な諸様式
6 恣意性の概念
7 結論
補論
特論(講演記録)
再生産理論とP・ブルデュー──いくつかの論点を考える
1 はじめに──理論の前景と後景
2 いくつかのマイナーな論点について
3 再生産理論は、歪められた〈教育〉コミュニケーションの理論
4 〈教育〉の「相対的自律性」の含意と「象徴暴力」問題について
5 記述のためのルールの欠落
6 ハビトゥス(habitus)概念の意味するもの
7 場(field/界)概念および「恣意」について
8 『ディスタンクシオン』について
9 ‘relation to’(他との関係)と‘relations within’(それ内部の諸関係)
10 結論
解題 本書の主要概念の理解のために(長谷川 裕)
訳者あとがき(久冨善之)
追加文献/邦訳文献リスト
参考文献
事項索引
人名索引 日本教育は明らかに行き詰まっているが、何がどうそうなのかを分析する理論用具を我々は持っていない。世界的な教育社会学者バーンスティンの1980-90年代における理論の集大成であり、〈教育〉(ペダゴジー)というものの存在と営みについて、その歴史的社会的性格の社会学的解明を目指すとともに、日本教育分析に必要な用具と着想を与えてくれる。
S.ヴェイユ著/今村純子訳『前キリスト教的直観』が、「出版ニュース」(2011年12月上旬号)にて紹介されました。
一 近代から文化へ
二 文化比較の功罪
三 比較する多元主義
四 本書の構成
第I部 保守・ポピュリズム・官僚制
第1章 信条倫理化する〈保守〉──ウェーバーとマンハイムを手がかりにして
一 保守主義とリフレクション
二 保守主義的思考と責任倫理
三 〈保守〉のプログラム化
四 〈保守〉批判の保守主義化
五 信条倫理の両義性
第2章 デマゴーグ以後──マックス・ウェーバーと脱政治化の問題
一 デマゴーグ批判とその構図
二 脱政治化された社会とその分析としての『儒教と道教』
三 ウェーバーとデマゴーグ
四 「新しい公共」と見えにくくなる党派性
第3章 マックス・ウェーバーと官僚制をめぐる情念──sine ira et studio と「不毛な興奮」
一 「いわゆるウェーバー的な官僚制論」はウェーバー的か?
二 sine ira et studio を支える情念の機制
三 カリスマと「不毛な興奮」
四 「リキッド・モダニティ」と官僚制の論じ方
第II部 ふたつの比較研究──「儒教とピューリタニズム」と『職業としての学問』
第4章 「儒教とピューリタニズム」再読
一 従来の受容
二 宗教の動態化とヨーロッパ宗教史研究の変容
三 ポスト世俗化とピューリタニズムの優位性の修正
四 比較と「開かれ」
第5章 ドイツの大学とアメリカの大学──比較研究としての『職業としての学問』
一 『職業としての学問』を読む位置
二 大学の「アメリカ化」
三 学問にできることとその「責任」
四 比較によってディレンマを掘り起こす知識人
補論 ナショナリズム論の現在──今野元『マックス・ヴェーバー』を読む
一 ウェーバー研究とナショナリズム
二 堅実な実証的歴史研究という挑戦
三 「一貫性」か、転回か──「政治的なもの」の理解をめぐって
四 「知性主義の逆説」をめぐって
第III部 受容史研究
第6章 日本のウェーバー受容における「普遍」の問題
一 「普遍」のテーマ化
二 歴史学派経済学──金井延と福田徳三
三 「戦後啓蒙」──大塚久雄
四 近代化論──ロバート・N・ベラー
五 「ニーチェ的」ウェーバー──山之内靖
六 むすびにかえて
初出一覧
あとがき
索引 〈比較〉の思想家としてのマックス・ウェーバー。その比較とは、複数の概念、類型、あるいは文化を同等の位置にあえて置き入れ、互いに突き合わせることで、相互にリフレクションを誘発せしめるような知の営みであった。本書は、20世紀初頭にウェーバーが実践した比較の契機を掘り起こし、その政治理論を冷戦の終焉以後の現代政治の文脈に置き入れ、その今日的な意義を再検討する。
B.ウリー著/野島秀勝・門田守訳『科学の花嫁』が、「日本バイロン協会『会報』」(第15号・2011年11月/相浦玲子氏・評)にて紹介されました。
コーネル大学卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で修士号と博士号を取得。その後、OECDの研究員を経て、カリフォルニア大学、コロンビア大学、ハーヴァード・ビジネス・スクールなどで教壇に立ち、同時に、世界銀行やOECDなどの国連諸機関でコンサルタントも務める。2002年、「レオンチェフ賞」を受賞。現在、マサチューセッツ工科大学(MIT)の都市研究・計画学部、バートン・L.ウェラー記念教授(政治経済学)。
単著・共著として、Beyond Late Development: Taiwan’s Upgrading Policies(with Wan-wen Chu, Cambridge, Mass: MIT Press, 2003); The Rise of “the Rest”: Challenges to the West from Late-Industrializing Countries(New York: Oxford University Press, 2001); The Market Meets its Match: Restructuring the Economies of Eastern Europe(with Jacek Kochanowicz and Lance Taylor, Cambridge, Mass: Harvard University Press, 1994); Asia’s Next Giant: South Korea and Late Industrialization (New York: Oxford University Press, 1989)、ほか多数。 1964年生まれ。1987年、同志社大学法学部政治学科卒業。1995年、大阪市立大学経済学研究科後期博士課程単位取得退学。現在、中部大学国際関係学部教授。
専攻:世界経済論。著書:(共著)『貧困緩和・解消の国際政治経済学』(築地書館、2005年)、『人間の安全保障』(ミネルヴァ書房、2009年)、Transnational Migration and Human Security(Springer,2011)など。訳書:(共訳)S.サッセン『グローバル空間の政治経済学』(岩波書店、2004年)、J.ネーデルフェーン・ピーテルス『グローバル化か帝国か』(法政大学出版局、2007年)など。 1967年生まれ。1991年、京都大学経済学部卒業。1997年、京都大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。山口大学経済学部教授を経て、現在、西南学院大学経済学部教授。
専攻:世界経済論。著著:Japan and East Asian Integration(LIT Verlag, 2007)など。訳書:(共訳)I.ウォーラステインほか『世界システム論の方法』(藤原書店、2002年)、S.サッセン『グローバル空間の政治経済学』(岩波書店、2004年)、J.ネーデルフェーン・ピーテルス『グローバル化か帝国か』(法政大学出版局、2007年)など。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 日本語版によせて
謝辞
第1章 天国は待てない
第二次世界大戦後の一九八〇年までの時期と、そこから今日にいたる時期をそれぞれ取り仕切った二つのアメリカ帝国は、途上国世界に劇的といってよいほど異なった成長率をもたらした。前者は黄金時代、後者は暗黒時代であった。
第2章 太陽は沈まず、賃金が上がらない場所
戦前の植民地帝国は文明の普及を声高に叫んだが、主に日本がたどった軌道に乗って、たった一二の後発途上国だけが製造業の経験を獲得したにすぎない。
第3章 地上と天国の交換
第一のアメリカ帝国においては、共産主義と無縁であるかぎり、開発途上国は独自の発展経路を進むことを許されていた。
第4章 援助という麻薬
対外援助が成長の梃子として失敗したのは、それが紐付きだったからだ(アメリカ議会は、対外援助の八〇パーセントをアメリカ製品の購入に当てなければならないと法令で定めていた)。そして援助が汚職にまみれ(貧しい国にはそれ以外にカネを稼ぐ手段がなかった)、援助にたいする理解も間違っていたからである。つまり、職を創出する組織的な投資が存在しないとすれば、いかなる財も教育への援助になどならない。
第5章 神の贈り物
第三世界の独立の父たちは、いくつかの大きなこと、つまり「自由貿易帝国主義」とディーセント・ワーク〔適正な職〕にたいする国民大衆の支持について理解していた。彼らは、輸入品の国内生産への代替を促進するよう独自の諸政策を考え出したのである。
第6章 月光
大部分の発展途上世界を近代へと導く役割を担った実験的な諸政策の基礎は、「パフォーマンス基準」つまり国家介入の効率性を高める一連の規範や制度にあった。
第7章 ディエン・ビエン・フー――知は永遠なり
第一のアメリカ帝国がヴェトナムにおいて滅亡したのは、経験豊富な途上国が精通していた情報、ノウハウ、そして実験をもたなかったからだ。
第8章 麦わらかごの地獄に向かって
戦争、石油、対日競争、そして影響力を拡大するウォール街によって、自由市場にたいする揺るぎなき信念とともに第二のアメリカ帝国は権力の座についた。
第9章 アメリカによる宣告(ファトワー)
開発にかんする考え方は、革新的なものからイデオロギー的なものに変化した。「ワシントン・コンセンサス」は途上国にできることとできないことを決定した。アジアだけが独自の道を行き、世界を驚かせた。
第10章 遅れたものは放っておけ
国家間と諸国内の所得格差は拡大した。所得の公平な分配は、開発を支えるもっとも重要な要因のひとつであると認識されるようになった。しかし、自由放任は救済には無力であった。
第11章 巨大な火の玉
巨大な火の玉が現われた。それは中国、インド、そして他の覚醒しつつある巨人たちである。それらの巨人たちが繁栄すれば、第二のアメリカ帝国はもはや絶対的権力を享受することはないだろう。第二のアメリカは適応できるのだろうか?
原註および訳註
訳者あとがき
引用文献一覧
索引 戦後アメリカ帝国のもとでの「繁栄の時代」は終わりを告げ、世界は貧困と衰退の時代に突入した。本書は、その歴史的過程を、米国および途上国の開発戦略を軸に詳細に検証し、はたして現在の状況から抜け出す道があるのかと問いかける。その際に重要なのが、それぞれの国による企業家精神に則った技術革新や政策であり、著者はその成功モデルのひとつとして戦後日本の経験を論じる。【世界経済論・開発経済学】
1908-88年。フランス南西部の地中海に面した都市セートに生まれる。船員、関税検査官などの職を経た後、1941年に哲学の教授資格(アグレガシオン)を取得。ストラスブール大学講師、助教授、リール大学助教授などを経て、60年に同大学教授。65年からはソルボンヌ(パリ第一大学)で教鞭を執る。国際哲学会(IIP)事務局長、ライプニッツ協会(Leibniz-Gesellschaft)副会長、18世紀学会会長などを歴任。ライプニッツ哲学の専門家としてはもちろん、広く17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパ哲学、とりわけライプニッツのヴォルテールやディドロといった啓蒙の哲学者たちやヘーゲルへの影響について、数多くの重要な業績を残した。また、哲学史家としてだけでなく、文学者、詩人としても活躍した。著書は代表作である本書以外に、『ライプニッツ入門』(1961)、『ライプニッツ研究』(1976)、『詩の探究』(1947)、『ディドロの逆説なき美学』(1950)、『啓蒙の世紀──文学の歴史第3巻』(1958)など多数。死後にも『ライプニッツ─古典主義時代から啓蒙へ』(1995)、『ディドロ研究』(2003)などの遺作集が後進の手により刊行されている。 1955年生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。東京音楽大学専任講師。哲学・倫理学専攻。訳書にコプルストン『理性論の哲学』上・下(共訳、以文社)、ライプニッツ『人間知性新論』上・下(共訳、工作舎)、ブーヴレス『合理性とシニシズム』(共訳、法政大学出版局)など。 1957年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程単位取得退学。奈良教育大学教育学部教授。哲学・倫理学専攻。著書に『哲学の歴史 第5巻 デカルト革命』(共著、中央公論新社)など。論文に「ライプニッツと「心身問題」」(『哲学』第37号)など。訳書にライプニッツ「普遍的総合と普遍的分析」、「チルンハウスへの書簡」(『季刊哲学』第1号)など。 法政大学出版局 ホウセイダイガクシュッパンキョク 序文
主題/その限定──ライプニッツのデカルト哲学への入門──一七世紀におけるデカルト主義の定義──われわれは方法と世界観を形而上学との結びつきの中で研究する/この研究の比較対照的方法
第一部 方法の精神
第一章 直観主義と形式主義
Ⅰ 方法の二つの局面
Ⅱ デカルトにとっての方法──精神の回心/ライプニッツにとっての方法──操作的技術/形式主義は空虚ではないし/機械的でもない/方法の二つの局面がライプニッツの批判を両義的なものにしている
Ⅲ 数学的範例から着想された諸理由の順序/デカルトはそれを自然学や形而上学へと拡張する/ライプニッツにおいて確実性は明証性ではなくなり、被定義項の決定は可感的記号により可能となる/デカルトとライプニッツの比較
Ⅳ デカルトの方法にとって不可欠な懐疑は、ライプニッツの目には単なる修辞的手続きに映った
Ⅴ デカルト主義は制限つきの独断論である──明証性を受け付けない一切の領域は、矛盾律にも支配されない/ライプニッツの独断論は不可侵の真理の連鎖に依拠しており、明証性には依拠しない/両者の独断論の比較
Ⅵ 両者の独断論の、外的世界の現実存在という問題への適用
第二章 革命と伝統
Ⅰ デカルトとライプニッツの態度の対照性/それは見かけほど明確なものではない
Ⅱ デカルトは歴史を、とりわけ諸学派の歴史を非難する/歴史は不確実である/歴史は不毛である/それゆえに幾何学の確実性と多産性から出発しなければならない/そのことでわれわれは学知の統一性を発見し、懐疑論の懐疑を方法的懐疑へと転換する/方法的懐疑とトリエント公会議/文献的学識の蔑視
Ⅲ 文献学者・歴史家としてのライプニッツ/〈観察ノ母〉としての文献的学識/歴史と懐疑論/歴史は蓋然的でしかないとしても豊かな認識をもたらす/デカルトは数学的な確実性しか認めないという誤りを犯した/宗教にとっての歴史の効用
Ⅳ ライプニッツの歴史哲学/普遍的調和/世代の連続性と人類の連帯/最善観と進歩/折衷主義/デカルト派の党派的精神に抗して/科学探究の組織化に関する『方法序説』第六部と『プルス・ウルトラ』の比較対照
Ⅴ デカルトは歴史を侮蔑したがゆえに哲学の歴史の推進者となったのに対して/歴史家でもあったライプニッツは歴史の哲学の先駆けとなった
第二部 数学的モデル
第三章 四つの規則への批判
Ⅰ 数学的モデルはデカルトとライプニッツにとって同じ内容でもないし同じ性質でもない
Ⅱ ライプニッツによって拒絶される明証性の規則/ライプニッツは可知的世界の学説を維持する/われわれの認識の直接的対象としての観念/観念はライプニッツにとって受動的ではありえない/観念は判断から分離されない/無意識/持続の連続性と、直観が現実には点的であることとは両立しない/含意されているもの、完全な観念と不完全な観念/明証性の主観性/内容の明証性を形式の明証性に置き換えねばならない/明証性から切り離された確実性
Ⅲ 真なる観念は定義によって保証される/スコラ派の定義へのデカルトの反論/逆にライプニッツは古典的論理学から着想を得る/デカルトとライプニッツにおける定義での分析と総合/名目的定義と実在的定義
Ⅳ 観念と想像力/デカルトによる場合/そしてライプニッツによる場合/想像力によって〔観念が〕曖昧になること/想像力の助け/記号法による想像力の超出
Ⅴ デカルトによる観念と言語/ライプニッツによる〔観念と言語〕/普遍言語の企て/観念の代わりにその表現を用いなければならない
Ⅵ 公理/公準
Ⅶ 他の三つの規則への批判
Ⅷ デカルトとライプニッツはそれぞれの流儀で自分の方法の確実性を生み出すものだけを数学から採り入れる
第四章 デカルトの幾何学主義とライプニッツの算術主義
Ⅰ デカルトの学説──デカルトは算術を好まないが、逆にライプニッツは算術から着想を得る/コギトの一性から〈思考されるもの〉の多数性へと進むデカルトは、ライプニッツのように抽象についての伝統的考え方に従うことができない/〈思考されるもの〉の二重の多数性(〈存在根拠〉と〈認識根拠〉)に対応する存在と〈直観〉の二重の連続性
Ⅱ 数の観念。形而上学的観念/延長と持続の介入をともなった数学的観念/計測/加えること/「そのときその都度」、瞬間の結びつき──序数と基数/算術的な連続性と不連続性/尺度を通した順序の自律的学問としての数学
Ⅲ 最大数の問題と/無限の可分性の問題
Ⅳ ライプニッツの学説──算術の特権/整数、一つの物質的実体に還元できない量、その原理はもはや一ではなく多、量を質に還元する傾向/表象、一における多の表出は、数の生得的観念を認識する機会をわれわれに与える/量の定義(共存によってのみ知られ得るもの)と質の定義(それ自身によって知られるもの)──算術的単位の観念/《これ》/幾何学的単位は算術的単位に従属する/算術的単位は多性を内含するかぎりにおいてのみ大きさを内含する/数──単位と同質なもの/加算/基数と序数/デカルトの学説との比較
Ⅴ 数の一般理論/算術的連続性/と推移の原理/実数と虚数/数、尺度の手段、デカルトにとってのように尺度の結果ではない
Ⅵ 最大数の問題/デカルトとの比較/様々な秩序の無限/ライプニッツの〈広大無辺〉とデカルトの〈無際限〉
第五章 代数幾何学と無限小算法
Ⅰ 算術に対する代数の三重の優位性──代数は想像力を軽減し、思考の順序を明るみに出し、数学的方法を一般化する
Ⅱ 代数と幾何学/幾何学は代数を制限する/代数は幾何学を制限する
Ⅲ デカルトの『幾何学』への批判──デカルトは代数を完成しなかったし、想像力から数字の混乱を取り除かなかった。彼は機械的曲線に専念できなかった、彼は尺度に従い、幾何学から計算への逆の移行を許さない。彼は結合法および無限についての学に対して代数を位置づけることができない
Ⅳ 無限なものの考慮はデカルトによって除去される/例えば、接線の決定/フェルマとの論争/サイクロイドの面積の計算/逆接線問題/デカルトはカヴァリエリに従う/ライプニッツはカヴァリエリを超える
Ⅴ 解析的ないし幾何学的求積、正確な近似値、比較不能なもの、様々な階数〔次元〕の大きさ、比較不能なものの学説の諸困難
Ⅵ 極限への移行/同質と同属/ライプニッツとデカルトにおける排中律の拒否
Ⅶ 無限算による比較不能なものから無限小量への推移/関数という観念/尺度を超えることと、あらゆる種類の曲線への計算の一般化/カヴァリエリとウォリスに対してのライプニッツの独創性
Ⅷ 無限小量概念の諸困難、それは直観に反する
Ⅸ 無限〔者〕の形而上学的問題
Ⅹ 結論──アルキメデス(ライプニッツ)対アポロニオス(デカルト)
原 注
◉下巻目次
第三部 世界観
第六章 自然学の基礎
第七章 自然学の諸原理
結 論
文献一覧/解説/訳者あとがき コギトの懐疑によって哲学を神学から解放したデカルト、そのデカルトに抗してモナド論的宇宙を構想したライプニッツ。ともに数学をモデルにした二人の哲学的天才の思索の原理を分析・比較し、その差異と対立点を徹底して内在的に読み解くことで、十七世紀西洋の科学的方法と新しい世界観を浮き彫りにした碩学ベラヴァルの思想史的傑作。全三部構成のうち、上巻には第二部までを収録。
金振松著/川村湊監訳『ソウルにダンスホールを』が、「歴博」(No.169・2011年11月/安田常雄氏)にて紹介されました。
第 I 部 ラジオの初めからテレビ普及まで
第1章 電波の発見、無線電話、真空管の登場、放送の開始
──欧米におけるラジオ
間章1 ラジオ雑誌の系譜Ⅰ
──柴田寛と『ラジオ科学』
第2章 日本におけるラジオ放送開始とラジオ雑誌
──濱地常康の『ラヂオ』から『無線と実験』へ
間章2 ラジオ雑誌の系譜Ⅱ
──第二次世界大戦後のラジオ雑誌
第3章 日本のラジオ工業のあゆみ
──自作ラジオと富士製作所(STAR)
間章3 山中電機の足跡
──第二次世界大戦前のラジオメーカーと戦中の成長
第4章 日本のテレビと受像機工業
──JAT、TVK、テレビキット、大企業による量産
間章4 ポータブルラジオの白砂電機(シルバー)
──ラジオ少年がつくった中堅企業
第II部 ラジオ工作とラジオ工業の諸相
第5章 ラジオ・エレクトロニクス技術通信教育の歴史
──ラジオ教育研究所の通信教育
間章5 神田・秋葉原の電気街
──ラジオ少年のふるさと
第6章 ラジオ・テレビと修理技術
──修理サービスの重要性
間章6 unofficialな研究グループ
──十日会、テープレコーダー研究会、学校のクラブ
第7章 オーディオ愛好家と日本オーディオ協会
──「世界のステレオ工場」への道
間章7 東京大学の「電気相談部」
──第二次大戦後の学生アルバイト団体
第8章 トランジスターラジオ輸出とロックンロール
──日本の電子工業の繁栄をもたらしたもの
間章8 戦争、政治とラジオ・テレピ
──技術進歩とプロパガンダ
第9章 ラジオ工作とunofficialなセクターの役割
──男性性、電気技術者教育、「電気リテラシー」
間章9 文芸に見るラジオ、女性とラジオ
──世につれて変わるラジオ
おわりに
史料・文献
索 引 電子立国日本の原点に、工作の〈文化〉があった! 厖大な史料を博捜し、インタビューを重ねて、ラジオ工作少年やフリーランサーの技術者、中小の部品メーカーなどを主人公に、日本のラジオ、テレビ、オーディオの歴史をあとづける。本書は、アマチュア精神へのオマージュであり、収録された457 点の写真・図版は、それだけで「ラジオ博物館」の趣をなす。元NHK放送博物館館長・中田薫氏推薦。